文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年8月1日】私は複数回にわたって迫害に遭い、数年間、労働教養所と刑務所に拘禁されました。現地や他の地方の留置場や洗脳班に転々と身柄を拘束されたこともあります。黒い巣の内幕を比較的分かるほか、魔難に陥った同修は何を考えているか、何を最も必要としているかも分かっています。そのような同修たちは私たちに何を求めているかについて、自分の見解を話したいと思います。
私自身が出所した後、周囲の同修が獄中にいる同修にあまり関心を持たないという冷たさを感じました。一部の人は、あまり迫害に遭っていないので、迫害に遭った同修への関心に欠けています。また一部の人は自身が労働教養所や刑務所に拘禁されたことはありますが、出所してからすぐ家庭生活に没頭して、獄中の同修に対して何もしません。甚だしきにいたっては、迫害を受けている修煉者の家族が国際社会に救助を呼びかける時、地元の修煉者たちは、その審判がいつ開廷されるのかさえ知らないことがあります。
近隣の地区の同修のAさんが労働教養所にいた時、法輪大法に対する固い信念のため、警官や受刑者は口を揃えて「12級の台風にも吹き飛ばされない、何本のスタンガンで殴られても平然として動かない」と称賛されていました。しかし、彼に面会に来る人はほとんどおらず、現地の同修はAさんが労働教養所に拘禁されている事実すら知らないのです。2010年(Aさんはすでに逮捕された)、私がAさんのいる地域に行って、Aさんの近況を周囲の某同修に尋ねたところ、その同修は、なんとAさんは大法の仕事でまだ活躍しているよと私に教えたのです! その後、私は逮捕されて、なんと労働教養所でAさんと会いました。Aさんは長年独房に入れられて、とても痩せて、生活用品を買うお金さえなくて、時には他の受刑者から生活用品を援助してもらっていました。
私が2012年に出所した後、ある日突然『明慧週刊』にAさんが2011年に出所後、間もなく亡くなったことが分かりました。出所直前に不明な薬物を注射されたのが死亡の原因だそうです。若いAさんが死因もあやふやで亡くなったことは、とても信じられません。Aさんが出所後、もし周囲の同修が少しでもAさんの状況に関心を持っていれば、こんな結果にならなかったかもしれないと私はずっと思っています。
師父が『米国法会での説法・ニューヨーク座談会での説法』におっしゃった「しかしもし本当に殺人や放火などのことに遭って何も助けなかったら、それは心性の問題です。修煉者、一人の神としても助けてあげるべきです。そうではないでしょうか?」が、ずっと私の脳裏から離れません。
もうすぐ中国の旧正月になります。私はまた師父が『各地での説法四・二〇〇三年アトランタ法会での説法』の問答部分でおっしゃった言葉を思い出しました。
「弟子:この佳節に際して、全ての大法弟子からの敬意と師父からいただいた恩に対する感謝の意をどうぞお受け取りください。弟子は必ず良く行い、師父の苦労を少なくし、師父が喜んで安心できるようにいたします」
「師:ありがとうございました。(拍手)大法弟子がまだ迫害されており、私を喜ばせようとしても、私は喜びを感じることができません。多くの大法弟子はこの時中国の邪悪な労働教養所で迫害を受けています。皆さんの気持ちはありがたく頂戴します」
外にいる同修は、獄中にいる同修に多く関心を払って、それらの同修の家族を見舞いに行ったほうが良いと思います。外の世界での時間が過ぎるのはとても速いのですが、獄中にいる同修は、1分1秒でも苦しみの中に漬かっているのですから。
私自身が迫害された時、多くの同修や常人の助けを頂きました。本当に「干天の慈雨」のようでした! 私は地元の労働教養所に拘禁された時、地元の同修は労働教養所の近くまで来て発正念をしてくれました。労働教養所の警官は、私の部屋に入ると目に見えない圧力を感じるが、他の修煉者の部屋に入るとそんな感じがしないと言っていました。実際、私は拘禁されている間に、警官らは私に指一本も触れる勇気がなかったのです。
一方、私は地方の労働教養所に拘禁された時期もありました。そこの警官の態度は非常に荒くて傲慢で、「お前を確かに虐めているが、それがどうしたというのだ? ここはお前の地元ではない。遠路はるばるお前の家族も来られないだろう。断食して抗議するというのか? 餓死してしまえ!」と叫びました。以前私は地元の労働教養所に拘禁された時、断食して抗議すると、警官らはとても緊張して「人命は最も重要だ。あなたに万一のことがあれば我々の責任になる」と言っていました。
姉(同修)が面会に来た時、労働教養所は面会を許可しませんでした。姉は「許可しないのは、あなたたちが弟を殴って、虐待しているからではありませんか」と問い詰めました。その一言に警官らはすべて緊張して、拘禁中に一度も私に暴力を振るうことがありませんでした。私は「厳重に管理」された時期に買い物を禁止され、トイレットペーパーさえ買わせてくれませんでした。悪徳な警官は「用を足してから水道水で洗い流しなさい」と言っていました。姉が面会に来た時、私は第一に日用品を買ってほしいと頼みました。そばで会話を盗み聞きしていた大隊長は即座に買い物の許可をしてくれ、しかも栄養食品でも何でも買って良いと言いました。姉はまたよく電話をかけて警官らに私の釈放を要求しました。私が出所後、地元「610弁公室」の上層部でさえ、「あなたは幸運にもお姉さんがいましたが、不明な薬物を注射されたAさんはこれほどの幸運に恵まれていませんでした!」と言いました。
邪悪は自分の悪行を暴露されることを恐れています。外にいる同修の一言だけでも、獄中の同修を励まして邪悪に警告する効果があり、重要な役割を果たしている、と私はよく思います。
某刑務所では「転向」しない大法弟子に残虐な拷問を加えていることを明慧文章で読んでから、私はその刑務所から出所した同修のBさんを探して、情況を聞きました。彼は10数年も拘禁され、苦難を受け尽くしていました。「奥さんも修煉者なのに、あなたを助けなかったのでしょうか」と聞くと、彼は「たとえ家族が同じ修煉者であっても、もし正念が足りなければ、獄中の我々を助けるどころか、かえって悪徳な警官らに金銭を強いられたりします」と言いました。奥さんは面会に来たのですが、面会が許可されないために帰ってしまい、何の対策も考えませんでした。
Bさんが出所後間もなく、修煉者である妻が不法に刑を言い渡されて女子刑務所に入れられました。Bさんが妻の面会に行くと、最初刑務所は面会を断りましたが、Bさんが「妻に合わせてくれなかったら、私は刑務所の所長や刑務所管理局にクレームを出します。あなた達が夫である私の面会の権利を犯しているからです」と言ったら、刑務所の職員の態度がぐっと変わって、彼に椅子を勧めお水も出して、「ゆっくりと話しましょう」と言いました。妻に会った時Bさんは「ほかのことは力になれないかもしれないが、あなたを虐めたり虐待したりする人がいれば、私に言ってほしい。決してそんなやつを許さない」と言いました。妻は「私を虐める人なんかいない」と言うと、刑務所の職員も「そうです」と言っていました。
Bさんは職員に「このようなところに私は長くいた経験があるので、うそは止めてください。妻はいつか出所して、中で起きた事をいずれ私に言うのです。その時になると、妻を迫害したやつを私は決して許しません」と話しました。Bさんは私に、「悪徳な警官と彼らに従う受刑者らは法輪功が迫害されている真相をたくさん聞いて、真相を知らないわけでないのに、人間の善良な本性をすでに失ったため、法輪功修煉者に対して依然として迫害を加え続けています。彼らの親族、もしくは職場の上司や同僚が彼らの悪行を暴露しない限り、彼らの悪行は終わらないと思います」と言いました。
実は、悪徳な警官らは「明慧ネットは全世界の人に見られている」ために、明慧ネットの力をとても恐れています。彼らは毎日入念に明慧ネットを読んでいて、特に彼らの悪行を暴露する文章の一句一句を入念に読んでいます。しかし彼らの悪行を明慧ネットに暴露しただけではまだ不十分で、悪人のいる職場や上層部門に訴えたほうが良いと思います。
新年が訪れる際、不法に拘禁されている同修を思いやって、彼らに年賀状などを送ることを勧めます。きっと計り知れないほど大きな効果を果たせると思います。地方の同修でも、海外の同修でも年賀状を送ることができます。近くの同修は、迫害をされている同修の家に行って、その家族にカレンダーや神韻DVDを届けることもできます。数年前に迫害で亡くなった同修のCさんの家に先日私は行きましたが、家の壁になんと毛沢東の写真がまだ貼られており、Cさんの夫は中央テレビの番組(うそばかりの番組)を見ていたのです。周囲の同修はきっと長い間その夫を見舞いに行っていないことが分かりました。
魚の骨が喉に詰まっていれば吐き出さないといけないように、どうしても以上の情況を書きたいと思いました。投獄されたことを経験していない同修は、私のような獄中で迫害を受けた人の気持ちをあまり理解できないと思います。世の中には錦に花を添える人は多いのですが、雪中に炭を送る人は少ないのです。少ないからこそたいへん貴重なのです!