【明慧日本2015年8月3日】
中国の明朝の時、永豊に羅倫という人がいた。明憲宗の成化2年(紀元1466年)に上京して科挙を受験しに行く途中、羅倫の従僕は金の腕輪を拾った。出発して5日後、羅倫は自分たちの旅費の不足を心配した。
従僕は「数日前、私は山東省のある家の外で金の腕輪を拾いました。質に入れればお金を得られるのではありませんか」と言った。羅倫はこれを聞いて憤慨し、自ら金の腕輪を返すことに決めた。従僕は「引き返せば受験に間に合わないかもしれません」と言った。
羅倫は「この金の腕輪は間違いなく下女や従僕が落としたものだ。万一、彼らの主人の追及や拷問で下人が死ねば、誰が責任を負うのか? 私は受験できなくても、金の腕輪を戻さなければならない!」と答えた。
羅倫は山東に戻り、金の腕輪を失った家を尋ねた。その家では大混乱が起きていた。顔を洗う時に使った水の中に金の腕輪があることを知らなかった下女が水を捨てたとき、金の腕輪を家の外に落とした。女主人は下女が金の腕輪を盗んだと思い込み、下女が流血するまで鞭打った。下女は無実の罪を着せられて数回自殺を図った。そして家の男主人は妻がこの金の腕輪を不倫相手に与えたと思い込み、妻を厳しく問い詰めた。妻は非常に怒って自殺を図った。
羅倫は金の腕輪を本来の主人に戻して2人の命を救った。一同は深く感謝して羅倫が状元(科挙の首席合格者)になるよう祈った。羅倫が急いで京城に着いた時、試験は始まった。羅倫は準備の時間が全くなかった状態で受験したが、なんと合格して、その後の殿試(進士に合格した者が皇帝臨席のもとで受ける最終試験)を受けて状元に及第した。『徳育古監』より