文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年10月22日】昨日、私は一人の同修からある話を聞かされ、そのストーリーに感動しました。
それは1990年の話でした。ある日、蓮という女性が畑仕事に出かけている間、家にある人が訪ねてきました。その人がお父さんに、「お宅のお嬢さんは修煉の機縁があるので、必ず修煉させてください」と言いました。「修煉」と聞いて、蓮のお父さんは、「私が修煉してもいいですか?」と聞きました。その人はお父さんを見ると「あなたは間に合いません」と言いました。お父さんは残念で返事できませんでしたが、自分の娘は何人もいるので、どの娘に修煉させればいいのかわからないと思い、その人に尋ねてみると「生まれて39日目に連れてきた娘さんです」と答えました。お父さんはびっくりして「どうして39日目だと知っているのですか? 確かにあなたの言う通り、その娘は生まれて39日目に養女にしたのですが、他の人には覚えやすいように、40日目だと言っていたのです。いったいあなたは何者ですか?」と聞いて、その人は、「私は彼女の師父です、娘さんに必ず修煉するように言ってあげてください」と言いました。
そう言い終わると、その人は家から出て、庭で遊んでいた蓮の2歳の甥っ子の頭を撫でて、去っていきました。甥っ子は「さっきの人、飛んで行ったよ! さっきの人、飛んで行ったよ!」と叫びました。その子が言うには顔をあげた時、空が赤く染まる中、その人は空を飛んで行ったそうです。
蓮が家に帰ると、お父さんはこの出来事を伝え、蓮に修煉しなさいと言いました。甥っ子もそれからの一年間、ずっと修煉を忘れないで、修煉を忘れないでと言い続けました。しかし、それから1年ぐらい経っても、蓮は修煉の機縁が見つかることができず、お父さんは亡くなってしまいました。お父さんは、亡くなる前、蓮に修煉の事を忘れないようにと言いました。
2年後、李洪志師父は大法を伝え始め、多くの人が法を得ました。そんなある日、法輪功の修煉者たちが蓮のいる村に、法を広めに来ました。蓮は李洪志師父の著作『轉法輪』を手にし、中に書いてある修煉の2文字を見た時、これは即ち修煉だと思い、『轉法輪』を購入し、修煉し始めました。
蓮の周りはますます多くの人が修煉し始め、皆共に修煉し向上していました。しかし、1999年に大法が迫害されると、一部の同修の修煉状態がだんだん悪くなり、また蓮の修煉も緩んでしまいました。でも蓮は修煉を諦めませんでした。
ある日、蓮は通勤バスに乗って、家に帰っている途中、なぜか窓の外の風景がいつもの風景と違い、前へ進めば進むほど、家に辿りつけない気がしました。蓮は焦りました。しかし蓮はふと「私の修煉も今日の出来事と同じではないか? このままだと、本当に元の家に帰れなくなる」と気づきました。そのあと蓮は同修を訪ね、これから修煉の機縁を大事にして、しっかり修煉すると伝えました。
今年の5月から、全国各地の多くの同修は江沢民への告訴状を出しはじめました。蓮がいる村の同修たちも江沢民告訴の活動に参加しました。そんなある日、蓮が同修の家を訪ねてみると、ちょうど同修たちが江沢民への告訴状を書いたところでした。その同修の説明を聞いて、蓮は自分も告訴すると言い、告訴状を書き終わり、郵送しました。告訴状を書いてから出すまでの一連の修煉を通して、蓮の修煉の道は一歩大きく前に進みました。
話はここまでですが、私は蓮の家族と大法との深い縁に感激しました。残念なのは、蓮のお父さんは大法が伝え始める前に亡くなったことです。また甥っ子の事が気になり同修に聞いてみると、甥っ子は機縁がまだ来ていないかもしれず、まだ修煉していないと言いました。それを聞いて、お父さんと甥の子は大法と深い縁があるにもかかわらず、まだ修煉していない、法を得るのも簡単ではないと感じて、すでに修煉している今の大法弟子たちはどんなに幸運であり、また貴重なのだろうと思いました。表面的に見て、どんな方法で法を得たにしても、大法弟子は本当に大法と聖なるご縁があったからこそ法を得ることができました。しかし、大法弟子の家族も大法と深い縁のある生命なので、彼らも済度できるように、私たちはよく修めなければならない責任を感じました。