【明慧日本2015年10月29日】私の母は法輪功学習者で、法輪功を学ぶ前は、気性が激しく、私の躾をする時にすぐに大声を出したり、殴ったりした。また母は身体が弱く、家中にさまざまな薬とサプリメントが溢れていた。有名な医者に診察を受けても病気が治らなかった。しかし、母が法輪功を学んでから「真・善・忍」に従うようになると、人に優しくなった。私が悪いことをした時も、叱らずに、熱心に道理を説いて教えてくれた。病弱だった母の身体はますますよくなり、幸せな一家になった。
しかし、江沢民グループによる法輪功への迫害が始まってから、我々の生活は破壊された。
母は法輪功の無実を伝えるため、上京して陳情に行った。ある日家に知らない人が来て、法輪功の関連書籍、資料、現金を押収した。父の給与は差し押さえられ、母も停職になり監視された。
迫害が激しくなるとともに、我々の生活も大きな影響を受け、経済的な苦境に陥った。また周りの人たちは中国共産党の法輪功への誹謗中傷を信じ、私たちを差別した。私の学校の勉強と生活も影響を受けた。
2000年、母は再び上京して陳情に行った後、行方不明になった。その後、母は警官に留置場に拘禁されたことがわかった。数カ月後解放されたが、激やせして、全身傷だらけだった。母は私たちに留置場で受けた拷問を教えてくれた。私たちは心が痛み、涙がでた。
同年の末、母は市内に行ったきり戻って来なかった。私は母が再び連行されたという予感がした。私はもう一度、母がいない子になり、その時わずか13歳だった。
数カ月後、母が留置場に拘禁されていたことがわかった。2001年の初め、母は断食で迫害に抗議したため、警官に無理やり灌食され、肺に大きなダメージを与えた。その結果、咳が止まらなくなったが、公安局は、病弱の母を労働教養収容所に送った。
労働教養所の関係者は母の身体の状態を考慮しなかった。そのため母の病状は悪化し、喀血をした。父は数カ月後の面会の時、ようやく母の状態を知り検査を要求した。診断の結果は肺ガンの末期だった。母が家に帰された時にはすでに重体に陥っていた。
母は家に帰れたが、母の行動はずっと監視され、軟禁状態となった。母は煉功をして徐々に健康を回復した。法輪大法が母に第二の命を賜ったことに深く感謝した。
2003年、母の身体の状態が少し回復した時、再び地元の洗脳班に連行された。私と父が面会に行った時、610弁公室の関係者に「彼女は肺ガン末期の人です。もしも何かが起きたら、誰が責任を取るのですか?」と問い詰めたら、半月後に解放された。
2004年、母は再び労働教養収容所に連行され、1年半の間、拷問を受けた。
江沢民グループは自分たちの利益のために、法輪功に迫害を加え、善良な法輪功学習者たちに非人道的な拷問をし、さらに命の大切さを無視した。私は自分の母と、数えきれない母のような人のために、江沢民を告訴する。