―――マスコミ人の修煉体験
文/北京の大法弟子
【明慧日本2015年10月31日】
三、真相を伝える中で自我を捨て 慈悲を修める
私は法輪功への迫害が始まった後に大法の修煉に入ったので、個人修煉は法を実証する中に溶け込んでいました。着実に修煉し始めて間もなく私は真相を伝え衆生を救い済度することを始めました。
初めて法を実証したのは職場で大法のチラシをコピーしたのが始まりです。その時はまだ正念の発し方も知らず、心の中でとても心配しながら小さなコピー室の中でコピーしていました。その結果、紙がコピー機の中に詰まって取り出せなくなり、あせってしまい、紙をどんなに引っ張っても取り出せませんでした。その後、同僚が来て、コピー機の中の紙を取り出してくれました。その時、同僚は紙に書かれている字を見て非常に疑わしそうな表情をしましたが、何も聞かずに行ってしまいました。私ははっきりと自身の恐怖心に気づきました。
それは息詰まるような恐怖心でした。私は非常に困惑しました。なぜなら私は普段は図太く、メンタル的に強い人間だったからです。何百何千という人の前で演技をしてもこんなに緊張したことはないのに、どうしてこんなに手が震え、心臓がドキドキしてしまうのでしょうか? 後になって、学法を通してわかったのですが、他の空間にいる邪悪の要素が迫害していたのでした。その頃は、心がいつも重苦しく、体に見えない圧力を感じていました。まるで師父が説かれた、「当時の状況を私は皆さんに言い表したことがありますが、草や木まで他の空間の邪悪生命に憑かれており、歩くときに枝にひっぱたかれ、草に足を取られる程でした。空気の中まで邪悪が充満していました」[2]のようでした。
三ー1、大会を行い 選手に真相を伝える
後に私は「この恐怖心を突破する方法を考えなければならない」と思い、自分に合った「真相を伝える方法」を見つけ出しました。私は会話能力に優れており、しゃべりを仕事とする人たちに対して、機会を見つけて真相を伝えようと思いました。しかし、だれに真相を伝えればよいのでしょうか? その頃、親類と友人に真相を伝える以外に、真相を伝える環境を作り出す方法を私は考え始めました。テレビ局で私はある大会を企画しており、もしこの企画が通れば、私は選手と会う機会を利用できるし、単独で大会の申込者と会えることになります。この考えが生まれたのは、師父がこのような機会を按排してくださったからであり、私のこの企画は簡単に通りました。私は選手と外で会う約束をし、私はいつも選手たちにお茶や食事をごちそうしました。はじめは、公共の場所で「法輪功」の3文字を口に出すと、声が大きいか小さいかに関わらず、いつも恐怖を感じていました。真相を聞いた人もあちこち見まわし、度肝を抜かれた様子でした。少し慣れてからは、正念を発して選手たちを加持し、選手たちの背後で選手たちが真相を聞くことを妨害している邪悪要素を除去しました。衆生に真相を理解してもらうために適切な言葉と内容を、私はまとめ始めました。どんな話題が自然に迫害の話題へと引き込めるのか、どんな話し方が聞いている者の心を動かすことができるのか、などでした。
三ー2、テレビのメディアを利用して真相を伝える
メディアの仕事に携わってから、いつも視聴率のことを考えなければならないので、私はいつも抵抗感があり、「欺瞞のメディアなのに何が視聴率だ。視聴率そのものさえ嘘であり、視聴率のことを考えること自体無駄だ」と、思っていました。しかしある時、偶然のチャンスがあり、ある常人の専門家がニュースメディアの受け手の心理の問題について話しているのを聞きました。私は突然納得しました。つまり、視聴者をつかむために誰もが聞きたがる番組を切り口として、視聴者が興味を持つ方法で真相を伝えれば、容易に難局を打開できるということでした。しかし、何が視聴者を喜ばせるでしょうか? それは真実の物語でした! 母親が修煉中に迫害された事例を私はいつも用いました。また、身近にいる大法修煉者が迫害を受けた事例も体験談としてリスナーに伝えました。常人は一般には公開されていない情報を好み、客観性が重要だと感じているようでした。そこで、第三者の角度から真相を伝えれば、容易に共感が得られると思いました。
メディア人として、私がインタビューしたり接触したりした人は大部分が社会で一定以上の階層や地位にあり、ホワイトカラーや弁護士、同業者や企業の上層部の指導者などでした。一定以上の階層や地位にある人たちは自信に満ちており、思想が複雑で、農村の人たちのように単純で素朴ではありませんでした。ですから、豊富な事例を必要とし、論理性も強く求められました。誰かが私に「あなたは法輪功を学んでいるのですか?」と聞けば当然「法輪功は素晴らしい」と私が言うだろうと、常人は思っていることに私は気が付きました。ですから、信じてもらうために、私は傍観者の角度から客観的に話をしました。私はテレビ局で働いている身分を利用し、「内部の人間によって伝えられた内部の真実の情況」という角度を用いて、偽りの焼身自殺事件をはっきりと説明し、法輪功が濡れ衣を着せられたことを伝える一連のテレビ番組に対して絶対的な権威性を持たせることができました。一般に公開されていない情報に対して私は非常に興味を持っていると、一般人は信じ込んでいました。
三ー3、真相を伝える機会と環境を作り出す
修煉を始める前、私は何事に対しても熱心な人間でなく、多くの物事に対して無関心でした。修煉を始めてからは、私はいつも職場の同僚を助け、友達の子供に仕事や恋人を紹介し、知り合いかどうかにかかわらず、私はどんな人にも一度は会うようにしました。その目的は真相を伝える機会を作るためでした。卒業したばかりのある子供たちが非常に苦しんでいることを私は知りました。中国共産党の教育下で、子供たちには信念がなく、さらには信仰もなく、良いことと悪いことの区別もよくわからないにもかかわらず、自分の人生と事業に対しては比較的はっきりした思考と方向性を持っていました。
私はいつも自分の職業上の方向性を如何に利用するかというところから始め、自分のテレビ局での経験を用いて、中国共産党の統治下にあるテレビ局がいかに嘘をつき、いかに嘘のニュースを流しているかを伝えると、自然に大法が迫害されていることを伝えることになり、さらに、中国共産党はなぜ法輪功を迫害するのか、中国共産党とは何かということを伝えることになりました。このようにすると、往々にしてよい結果を得られました。真相を伝える時、私はできるだけ詳細に、普通は2時間以上の時間をかけて伝えました。
真相を伝えた相手がよく考え質問してくることを私は重視していました。なぜなら私は相手が疑問を投げかけて来ることを恐れていなかったからです。普通は、大法の真相を伝える前に、私はまず真相を伝える相手に大法に対する考え方を聞き、真相を伝える相手の考えを理解してから手段を講じると、往々にして真相は着実に伝えられました。「衆生を救い済度することは神の目から見れば、人類社会で誰かが過ちを犯したら、人間の方法でその人に過ちを改めてもらうというようなことではありません。神は慈悲深く、最大の寛容を持っており、真に生命のために責任を持っているのであって、人間の一時の行いを重く見ているのではありません。なぜならば、神は本質から生命を悟らせ、本質から生命の佛性を目覚めさせているからです」[3]と、師父は説かれました。ですから、真相を伝える以外に、私は真相を伝えた相手に人としての道理を伝え、佛道を修めることの基本理論を伝え、真相を伝えた相手の善の心を啓発すると、よい結果を得られました。
「このことを伝えてくれて非常に感謝しています。あなたの話を聞く事ができて、本当に運が良かった」と、真相を聞いた人はいつも私に心を込めて言いました。真相を聞いた人の話はとても質朴でしたが、真相がわかった後の生命は純真で素晴らしく、毎回私の心を震わせました。そのような時は、私は心の中で深々と合掌し、真相を伝える機会を私のために作ってくださり、私に知恵を授けてくださった慈悲深い師父に感謝しました。衆生のために無条件に与え、純粋な善を用いて人によい影響を与え、人の佛性を啓発することはなんと素晴らしく、なんと幸福なことかと、私は心から感じました。これは、修煉していない人には永遠に体験することのできない素晴らしさでした。
真相を伝え始めた時は、仕事を紹介するという名目のもとに人に会って真相を伝え、相手が真相を理解した後に、私はいつも真相を伝えた相手に仕事のチャンスを与えるか、私のコラムを組む実習ができるよう按配しました。「大法を修煉する人が修煉しているのは真・善・忍なのですから、人を騙すような行為をしてはいけないのではないか」と、私は思いました。そしてしばらく続けていると、私は悩み始めました。というのも真相を伝えた人は大勢いるのに、こんなに大勢の人の仕事を手配するための段取りが回らなかったからです! しかし不思議だったのは、真相を聞いた人たちの大多数が短い間に別の仕事を見つけ、各々が落ち着き先を見つけたのでした。これは師父が修煉者をお助けになり、大法の真相を理解した縁のある人に最も良い按排をされたのだと私は理解しました。本当に「修は己にありて、功は師にあり」[4]でした。
三ー4、自我を捨ててはじめて衆生を救い済度する事ができる
2004年、上海から昆明へ行く飛行機に乗る前に、縁のある人が隣に座り、その人に真相が伝えられるよう按排してくださるように私は師父にお願いしました。搭乗後、私の隣には誰もいませんでした。「若い女性が来てくれると一番いい」と、私は心の中で思いました。なぜなら私が最も多く真相を伝えたのが若い女性で、どのように真相を伝えたらよいかを把握していたからで、そう考えているうちに、中年の男性が私の隣に座りました。私が横を見てみると、その中年男性の顔には先天母斑があり、その先天母斑はちょうど私の座っている側にあったのです。私は吐き気を催しました。すぐに、その中年男性と話したいという気持ちは全くなくなってしまいました。飛行機が離陸した後、私は心の中で葛藤し、「この人は縁のある人で、衆生に対して差別の心を持つべきではない」と、私の理性的な一面が絶えず私に訴えました。そこで私は覚悟を決めてその男性に真相を伝えることにしました。しかし、どうやって話し始めたらいいでしょうか? 私はその中年男性の先天母斑でいっぱいの顔を眺めながら、その中年男性が目を合わせてくれれば、話し始めるきっかけになるのですが、その中年男性はまったく振り向きませんでした。
師父が私にチャンスをくださるようにと、私は心の中でその男性に向けて正念を発し始めました。「師父、私は間違っていました。容貌だけで人の良し悪しを判断してはならず、もし私に彼と話す機会を与えてくだされば、私は絶対に師父の按排を無駄にせず、必ず彼を救います」と、私は心の中で言いました。しばらくして、機内食が配られ始め、機内食が私たちの所に来た時、飛行機が揺れ始め、フライトアテンダントが私に渡そうとした水がその中年男性の体にかかってしまいました。私は急いでその中年男性にタオルを渡し、その中年男性のために拭いてあげた時、難局が打開されました。とても自然に私たちは話し始めたのです! 私がテレビ局の仕事をしていることをその男性に話すと、その男性は私の仕事にとても興味を持ったようでした。「週に一回、テレビ局から私たちに内部情報がもたらされ、その情報の中には報道できない内容や話すことのできない内容が含まれている」というところから私は話し始めました。それから自然に「テレビ局は中国共産党の代弁機関であり、いろいろな嘘をでっち上げ、中国の民衆を騙している。たとえば、偽りの焼身自殺事件をでっち上げて大法に濡れ衣を着せている。またどうして中南海への『包囲攻撃』という嘘が作られたのか」という話に入って行きました。その中年男性は興味津々に聞いていました。そして、たびたび質問をしました。このようにして私とその中年男性はずっと話し続けました。
その中年男性は商売をしていることを私に話し、今回は無錫市へ行き大仏を拝みに行くのだ、ということでした。私はチャンスだと思い、「仏像に礼拝することと正法修煉とは全く違います」と、その中年男性に伝え、「佛法には法があり、佛もまた、常人の利益を満足させるために人を助けるのではなく、正法を修煉してこそ正しい道を歩めるのです」と、その男性に教えました。
もうすぐ飛行機が着陸する時になって、「私にいろいろ教えてくれてありがとう、もしあなたに会わなかったら、私はずっと真相を知らずにいたかもしれません。あなたが話してくれた佛法に関する話を、私はよく考えます。あなたの話は益するところが本当に大きい、本当に大きいです」と、その中年男性は私に言いました。私は心の中で師父の按排に感謝し、自我を捨てることの重要性を本当に理解しました。今の重大な瀬戸際の時だからこそ、常人に心を動かされることなく、そうしてはじめて慈悲心が生まれ、衆生を救い済度する事ができるのです。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
[4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[5] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」