【明慧日本2015年11月2日】明朝の万暦年間、山東省青州に趙僖という人物がいました。趙僖は剛直であり、無私の性格をもって勇敢に正義を守り、しかもいかなる恩返しも求めなかったそうです。趙僖が県の属官を務めた時、部下の指揮使(当時の官職名)が、ぬれぎぬを着せられ、刑務所に送られました。趙僖はこの部下のことをよく知っており、彼が無実だと分かっていました。趙僖はこの部下の無実を証明しようと決意しました。趙僖は様々な人から事情を聞き、経緯を調べて、いろいろと証拠を探し集めて、繰り返し上司に申し立てをしました。そうして、やっと趙僖は無実を証明することができ、部下は無罪で釈放されました。
この指揮使は趙僖にとても恩義を感じ、必死に恩返しをしようと考え、自分の娘を趙僖の妾として差し出すので受けとって欲しいと伝えました。それを聞いた趙僖は「それは許されない」と返事しました。部下は趙僖にどうしても受けとってほしいと何度も申し出ましたが、趙僖は「それは許されない! それは許されない!」と部下の申し出を断りました。
のちに趙僖は礼部右侍郎(当時の官職名)に昇進しました。数年後、趙僖の息子、趙秉忠は科挙に行く途中、空から「『それは許されない』と言う人は状元(科挙において首席合格する)を取る」という声を何回も耳にしましたが、趙秉忠は「どんな意味かなぁ」と分かりませんでした。殿試(皇帝の前で行われる最も高いレベルの試験)の時、試験の問題のテーマは『帝王の政と帝王の心について』というもので、趙秉忠は次のように答案を書きました。「天理に合う考えが芽生えば、できるだけ早く行動に実現し、間違った欲求が現れば、直ちに取り除きます。唐尭、虞舜などの古代の聖王のように、自分の身を律し、民衆に善で接し、民の道徳を向上して吉祥の世を成し遂げます……」
その声の通り、趙秉忠は状元を取りました。これは万暦26年のことで、この時、趙秉忠の年は25歳でした。趙秉忠は家に帰った後、上京する途中で聞こえてきた非常に不思議な声の事を父に話しました。趙僖は「これは20年前に私が経験した事だ。誰にも話していなかったことだが、神様がお前に教えたのだろう」と深く感じ入りました。
善には善の報いがある天の理は本当に真実です! 良い行いをすれば良い事が起きます。ただ福の種を植えれば、福の実を得ることができるのです。