文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年11月3日】
師父に感謝する心
大法弟子は師父に感謝する心を持つべきです。師父に感謝する心がなければ、師父を信じることができません。高い次元の法理を悟ることもできないし、人心を持って法を実証することになりかねませんので、邪悪に隙を与えてしまいます。私は、常に師父に感謝する気持ちを持つことによって、師父を信じる心も絶えることなく出てきます。更に、法を真面目に勉強することによって、正念が増し、知恵が開かれます。
感謝する心があれば、自然に師父に恩返ししたいと思います。そして行動に移り、三つの事を同時にしっかり行うことで、師父の御恩に報いたいと思うのです。
しかし、迫害が始まった当初、迫害が厳しかった中で、私は師父に感謝するどころか、逆に師父はなぜ私を守って下さらないのかと怨んでしまいました。
しかし、それでも師父は、私を忘れていませんでした。2002年9月20日、私が鉱山の坑道で仕事をしていた時、大きな石が落ちてきて足に当たりました。その時、私は大法弟子であることを完全に忘れてしまい、師父すら思い出せませんでした。覚えているのは、死への恐怖だけでした。更に大きな石が、100キロ以上もありそうな石が、また落ちてきそうになった瞬間、私は自分を助けに来た2人の受刑者に、怪我させたくないと思い、2人に「逃げて、こっちに来ないで!」と叫びました。その瞬間、奇跡が起きました。落ちてきそうな石が止まりました! 私は助けられました。死んでもおかしくない私は、足首の骨を骨折しただけで済みました。師父すら思い出せなかった私は、他人を思う善の心があるだけで、師父に助けられました。
次元の向上につれ、師父に感謝する気持ちが、ますます深くなりました。精進すればするほど、師父が私たちに何を与えてくださったのかが、更に認識できるようになりました。私は師父の御恩には、感謝のしようもありません。ただ修煉者の心を持って師父に対処し、三つの事をしっかり行うことで答えるしかないと思いました。
師父を信じ、法を信じるのも正念である
師父を信じる度合が、正念の強さを決めます。2007年7月31日、私はオートバイに乗って高速道路を走っていた時、なぜかバスにぶつけられ、3、4メートルほど空中に飛ばされました。地面に落ちた瞬間、私は師父を思い出し「師父!師父!」と叫ぶと、なんと地面に座っていました。オートバイはボロボロになりましたが、私は無傷で、無事でした。
危ない目に遭いそうな時、師父を思い出し、或いは法を思い出すことができて、師や大法を固く信じることさえできれば、誰も大法弟子に手を出すことができません。師父は「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]と説かれました。多くの同修は留置所に監禁された時、まさにこの言葉を思い出したから、迫害から脱出することができました。逆に師父を疑ったり、人心が浮かんでくると面倒なことを招いてしまいます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』