【明慧日本2015年11月4日】(明慧ネットのレポーターから四川の報道により)成都勘測設計院の73歳の定年退職者の余勤芳さんは、江沢民が首謀した法輪功への迫害で夫と娘が死亡し、家族や親族の人々もひどい迫害を被った事実を、江沢民への告訴状に書いて、7月28日に告訴状を最高検察院に郵送した。江沢民の犯罪と経済的な責任を追及し賠償を求めた。
連行される前の元気な頃の謝徳清さんと余勤芳さん夫婦 |
以下は余勤芳さんが告訴状に書いた事実と理由の一部である。
(1)夫の謝徳清さんが虐殺された事実
謝徳清さんは1963年から肺結核を発症し、その後、脳動脈硬化症、胆石、痔、胃腸病などを発症した。仕事ができなくなり、早期退職せざるをえなった。法輪功を修煉した後、病気はすべて完治した。法輪功の師父が私達に教えた「真・善・忍」の基準に従って、心と体の健康を与えられた。
迫害が始まってすぐに、私の家族は長期間監視され、外出さえ許されなかった。毎日の食事を作る食材を買うことが許されたのは、私だけだった。毎回のいわゆる敏感日には、私の家族を洗脳班に拘禁した。
2005年9月16日、成都市政府南区の610弁公室が謝徳清さんを新津洗脳班に連行した。3カ月間の迫害の後、家に戻った夫は激痩せしていた。
2009年4月29日、夫と私は再度洗脳班に連行された。5月23日、極めて衰弱している謝徳清さんは、釈放されて家に帰った。この時彼は、すでに水も飲めず、小便を失禁し、狭心症が現われた。やがて意識を失い、27日の午後10時に死亡した。
謝徳清さんは迫害で水も飲めず、小便もできない状態のまま家に帰された |
謝徳清さんは迫害で狭心症を患った。家に帰った時は、衰弱しきって、寝返りもできない状態だった
私が夫の死亡原因を調査してほしいと、訴えた直後の29日の午前3時、多くの完全武装した暴力的な警察官が私の家に来た。そのうちの約20名の警察官が、夫の葬儀を行っている通夜の部屋に突入して、2人の子供を殴った。彼らは謝徳清さんの遺体を奪い去った後に、強引に火葬した。
(2)娘の謝衛群さんは迫害で死亡
2000年6月27日、娘の謝衛群さんは北京に陳情に行ったため拘禁された。彼女は13日間絶食して抗議したあと、釈放された。しかし翌日警官は彼女を再度拘禁した。その日の夜に私と謝徳清さんは警官に留置所に連行され、そこで娘が警官に抱えられて出てきたのを見た。娘は完全に意識を失っていた。医者の診察によると、腹腔に大量の出血をしていた。私達はしかたなく8千元の緊急治療料金を納め、医者が応急手当を行った。20日余りかかってようやく家に帰った娘の体調はまだ完全には回復していなかった。しかし青羊支局の警官は再度娘を拘禁しようとした。私達の家族全員が断固として拒否すると彼らはようやくあきらめた。
その後私と夫が帰省のために自貢に行っている間、警官が娘を1カ月間拘禁していた。娘は何度も不法に迫害を受けた。精神と身体を迫害され、心身に大きな損傷を受け、2011年にこの世を去った。享年41歳。7歳と5歳の娘2人が残された。
(3)私と親族が被った迫害
私は法輪大法の修煉で何度も洗脳班に連行された。私の親族も何度も嫌がらせを受けた。2000年12月、府南区役所の尹雲氏は、部下を引き連れ自貢に行って、私と家族を連行しようとした。しかし私達が見つからなかったので、甥の1人に手錠をかけて私の2人の甥と弟を連行した。私の家族の所在が言えないなら、会社を除名すると弟と甥が脅された。しかし弟と甥は何も言わなかった。そのため彼らは一昼夜拘禁された。
私の息子の嫁の張紅さんは体の弱い人だった。長期にわたる恐怖の環境下で、絶えず迫害を受けた後に、冤罪が晴れないまま死亡した。あとに5歳の娘が1人残された。