文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年11月21日】私は今70歳で、法輪大法を修煉してもう20年になります。昨年の冬、雪で道が滑りやすくなったため、私は転ぶのを恐れて杖を使い始めました。夜、集団学法に行く時だけでなく、昼間も使うようになりました。次第に杖を使うことに慣れてくると、80代の老人のように見えてきました。友達が私を見かけると「老けて見えるよ」と言います。私は返事の仕様がありませんでしたし、もちろん言い返しもしませんでした。しかし以前のように、杖なしで大股に歩くことはできなくなりました。
何日も経たないうちに、私はますます老けていきました。銭湯に行った時、受付の人が「あなたのようなお年寄りは家族の付き添いが必要です。何かがあっても責任を負うことができません」と言いました。正月、タクシーを呼び止めた時、どの運転手も乗せてくれませんでした。ある運転手は「途中で何か事故が起きる可能性もあるので、お断りします」と言いました。一念の僅かな差により、多くの苦しみがもたらされました。私は大法弟子です。どうしてこのような状態になるのでしょうか? これは大法に泥を塗っているのではないでしょうか!
私は法をよく学び続け、内に向かって探しました。師父はおっしゃいました。「真の煉功者としては、高い次元に立って物事を考えなければならず、常人の考え方で物事を考えてはいけません。病気だと思えば、本当に病気を招いてしまうかも知れません。なぜなら、病気だと思った時、あなたの心性は常人と同じ高さになったからです。煉功と本当の修煉の場合、特に先程述べた状態では、病気に至ることはありません。皆さんもご存じのように、本当に病気になった時でも、七分は精神的要素によるもので、三分が病気です。たいていの場合は、精神的に先に参って、重圧を背負ってしまうために、病状が急激に悪化してしまうのです。こういうことはよくあります」[1]
これは妨害だと私は認識しました。このような状態になったのは、自分の人心・恐怖心によりもたらされた結果です。私は杖を捨てました。この人心を取り除いた後、体は驚くほどの速さで回復していきました。以前は歩く時、疲れを感じましたが、今は6階まで階段を上っても、まるで人に体を押されているかのように、とても軽く感じます。
これは私の個人的な修煉体験ですが、不適切なところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』