文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年12月4日】最近、警官の嫌がらせを受ける同修が多く、連行された人もいます。私もある同修から、公安局にいる知り合いから、我が地区が重点監視対象になったと知らされました。しかも、ほかの地区の重点対象にされた同修は、すでに連行されたことも分かりました。
このようなことは偶然ではありません。邪悪はこの方法を通じて、私に心理的な負担を加え、身の安全を考えさせ、これを口実に、本当の迫害を加えようとしています。これは妨害にほかなりません。師父が「煉功者としてあなたがいつも病気のことが頭から離れなければ、それは、求めること、病気を求めることにほかならず、そうなると病気が本当に身体の中に侵入してきます」[1]と説かれました。私は突然師父が説かれた「満天是(これ)眼(まなこ) 衆神焦点をあてる」[2]を思い出しました。神はすべての人を見ておられ、旧勢力はすべての修煉者を見ているので、誰もが「重点対象」ではないでしょうか? 師父がおられ、大法を学んでいる私達に、余計な事が発生するわけがないと考えました。
考えを整理した後、再びこの事を見ると、それは霧のように薄くなり、無くなっていきました。自分がやるべきことを行えば、妨害なんか何でもありません。たとえ来るにしても、恐れる必要はありません。
十数年を歩んできて、邪悪は時にはびこったりしますが、後で振り返ってみれば、すべて人心がもたらしたものだと分かります。数年前、邪悪は私を馬三家労働教養所へ連行しようとしましたが、私は恐れず、警官に法輪功の真相を伝えました。その結果、労働教養所に入る際の健康検査で、私は体調不良で、入所できないと労働教養所に拒否され、釈放されました。
また一度、労働教養所に連行され、両手をベッドに固定され横たわった状態で、25日過ごしました。私は毎日『論語』を暗記したり、思い出せる法を繰り返し暗記して心が次第に静かになりました。まるで雲に包まれたように軽やかで、全然痛くありませんでした。心の中に法があれば、師父のご加護を得ることができて、すべての関を乗り越えることができます。
私は自分が迫害されるかどうか、もう考えませんでした。私は法を正す時期の大法弟子なので、師父の要求に従って、同修と協力し合い、多くの人を救います。邪悪の運命はほかでもなく、私たちの正念で取り除かれるのを待っているだけです。心が落ち着いて、朝の煉功の時もとても静かです。噂された妨害もなく警官も来ませんでした。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟 二』「好く看たまえ」