文/中国の大法弟子
【2015年12月6日】私は迫害が始まる前から修煉し始め、迫害が始まってからも修煉し続けています。また同時に、世人に法輪功とは何か?そして法輪功学習者への迫害の残酷さを伝えています。
2001年、私は連行され、懲役3年の判決を言い渡されました。その間、夫と息子は大きな圧力を耐えました。釈放されてから、私は会社を一方的に退職させられ、収入が無くなりました。ひとり分の収入が無くなったので、経済的にも厳しく、夫はいつも私に文句を言いました。そのため、私は法輪功の資料を作る時、いつも夫を避けていました。しかし、夫が退職してからは、夫を避けることができなくなったので、私はあえて夫を避けず作ることにしました。夫はそれを見て、よくケンカを売ってきました。一度、夫は指さして、「あなたはこの資料作りをやめるのか? やめられないのか? これだけはっきりしてくれ」と問い詰めました。私は正念を発しながら、「これは人を救うためにやっているので、やめるわけにはいきませ」と穏やかに夫に言うと、何も言わずに行きました。
今年7月、私は実名で江沢民に告訴状を書いて、最高裁判所に送りました。それから夫に、「中国共産党が『すべての案件を登録し、すべての訴えを受理する』という政策を打ち出してから、全国の法輪功学習者は次々と江沢民を告訴している」と教えました。私が書いた告訴状も見せました。それからは、毎週法輪功学習者が告訴した人数を夫に教えました。同修たちもよく家に来て告訴状を書くので、夫は同修たちから聞いた修煉前と後の変化、と迫害された経験を聞いて、心を強く打たれました。ある日、ひとりの小柄な同修が、告訴状を書くのを手伝ってほしいとやってきました。彼女の話を聞き、私は口述筆記をし、記録しました。法輪功の受けた事実を紹介したため、彼女は連行され、警官らに数十キロの手かせと足かせを付けられ、びんたを食らわされ、口から出た血が壁いっぱいに飛んで、白い壁が赤く染まった話をしたところ、彼女は当時の辛かった事を思い出し、耐えかねて泣いてしまいました。そばでこの話を聞きいていた夫は、義憤で胸がいっぱいになりました。「罪のない善良な人ばかりを迫害する江沢民を「凌迟」刑(訳注:昔の中国の酷刑で、生きている受刑者の全身の肉を切り落としてばらばらにする刑)にしてもまだ足りない!」と言いました。以前私が迫害の残酷さを夫に伝えた時、夫は「人民警官は、そんなことをするはずがない」と言ったのですが、今回の反応は全然違っていました。
告訴の人数の増加につれ、夫の大法への態度もだんだん変わってきました。私が法輪功の資料を作っても、反対しなくなり、ただ安全に気を付けろと言うだけです。法輪功に敬服(訳注:感心して心から尊敬すること)する気持ちも出てきました。そして9月から、私が来年の法輪功のカレンダーの制作を始めると、夫は自らカレンダーシェルフの運搬を担当してくれました。夫はいつも約束の期間内に、40キロぐらいあるカレンダーシェルフを運んでくれるので、カレンダー作りに影響を及ぼしたことは一度もありません。
かつて、私が判決を言い渡された時、夫は法輪功を修煉するため拘禁された妻がいると、夫の会社のすべての人に知られてしまいました。特別な目線で見られ、夫は落ち込んでいました。今夫は退職しましたが、時々会社に呼ばれ、仕事をしています。最近、夫は会社へ行った時、会社の書記が夫を見かけると、「奥さんはまだ、煉功しているのか?」と聞かれました。夫はたくさんの人の前で、「もちろんです。法輪功の煉功のおかげで体がとても健康で、十数年来一度も病気をしていません。今、煉功を続けているだけではなく、迫害を加えた江沢民を告訴しました。全国20万人近くの法輪功学習者も、実名で江沢民を告訴しました。全世界では70数万人に及びます。この迫害は冤罪に違いありません」と言うと、書記はびっくりして、「あなたの考えも変わったのか?」と信じがたい様子でした。
家に帰ってきて、夫はこの事を話してくれました。私は親指を立てて、「よくやったね!」と褒めました。それから、会社に行くたび、この事を訪ねに来る人が毎回いました。夫は彼らに「現在全国で20万人近くの法輪功学習者が、実名で江沢民を告訴したこと」、「中国共産党は法輪功学習者を転向させるなんて無駄なことだ。法輪功学習者が転向するわけがないこと」を教えました。
江沢民を告訴することが、夫にここまで影響を与えるとは、思いもよりませんでした。夫に美しい未来を与えられました。江沢民を告訴することは、邪悪を一掃し、世人を救う機会であり、旧勢力の按配を徹底的に否定することでもあります。