【明慧日本2016年1月2日】江沢民集団は中国共産党を利用して、1999年7月20日、法輪大法に対して迫害を始めました。中国共産党の赤旗の恐怖の下で、大法と縁を結び、大法修煉に加わった縁のある人々が数多くいました。
1999年9月、私は出張で山東省、煙台市に行き、海辺にあるレストランで昼食を取っていたら、50代の女性が近くの店員に「法輪功を修煉していなかったら、こんな汚くて大変な仕事をするはずがないわ」と話していました。出張先で同修に出会えて、嬉しくて思わず自分も大法弟子だと声を掛けました。彼女はテレビ番組が毎日法輪功の事を罵っていることを見て、どうも疑わしいと思い、公安局に勤めている親戚が便宜を図ってくれて、一冊の『転法輪』の本を手に入れました。読んでみたら、本の内容はとても素晴らしかったので、書かれている通りに実践してみました。ただ、5式の功法のやり方がまだ分からないことを、私は知りました。彼女は仕事中だったため、会話はそれ以上続けることが出来ませんでした。その同修が修煉の道をこれからも歩いていけるように心から願っております。
同修Aはエンジニアで、2004年から私と同じプロジェクトのチームメイトです。仕事の合間に私は、法輪功に対する迫害の真相DVDを複製すると、チームメイトの同修Aは包装の手伝いや、DVDの検品まで手伝ってくれましたので、自然と真相を多く知るようになりました。同修Aは睡眠に支障があったため、一緒に法輪功を修煉するよう勧めたら、すぐに同意して、5式の功法を習得しました。それで、『転法輪』の本を贈りました。私たちが共に修煉の道を歩んだ2年間は忘れ難い月日となりました。私が不当に拘禁された期間、同修Aは多くの試練に耐え、その後、一家はカナダに移民して、修煉する自由を手に入れました。
同僚Bは私のすぐ上の上司で、出張先で、当地の名勝を共に観光しました。山頂の近くに登った時に、同僚Bは心臓病の発作のような症状が現れ、脱力して、非常に危険な状態でした。本人自身も慌てて、どうしたらよいか分からない様子でした。同僚Bを横に寝かせ、「法輪大法は素晴らしい」を心から唱えるようにと教えました。その時、ちょうど正午の発正念の時間でした。私が正念を発し終えると、同僚Bはすでに起き上がっていました。顔色も正常に戻りました。同僚Bは回復の過程や体に起きた変化や、感じたものについて何も語りませんでした。しかし、帰り道に、法輪功を修めたいと望みましたので、一緒に毎日、「師父の済南での説法」の録画を一講ずつ観ることにして、5式の功法も教えました。
女性Cはモ二ターエンジニアで、車で送っていった時に、車内に流れている大法音楽『普度』を聞き、とても心地の良い音楽だと言いました。これは法輪功の音楽だということや、法輪大法の素晴らしさを伝えました。そして、暇な時に『転法輪』の本をよく読んでみてと勧めたら、賛成してくれましたので、『転法輪』の本を贈りました。最低一回はどこも飛ばさず、一気に読むようにと教え、もし修煉をしないのなら、その『転法輪』の本も返してくれるようにと言いました。しばらく経っても、まだ読み終えておらず、女性Cの夫が大法を修めることを恐れて、本を隠してしまったことを聞きました。夫の恐れている原因を探りながら、真相を伝える良いチャンスでもあり、理性を持って対応すべきだと彼女にアドバイスをしました。数日後、本を見つけ、夫も干渉しなくなり、仕事の合間を縫って、女性Cは法輪大法の5式大円満功法を習得しました。
2006年、出張先で、仕事の合間を利用して、路上で世人に法輪功に対する迫害の真相のDVDを配っていたら、通報され、留置場に拘禁さました。当時の留置場には、ほか数名の大法弟子も拘禁されていました。大法弟子たちは良く、正しく行えたため、警官と拘束中の容疑者全員が、敬服していました。そのため、留置場内の環境は比較的よかったので、毎日の発正念と煉功は保証されていました。同室にいた10数人に5式の功法を教えました。その10数人の中の1人の若い青年・李さんは、10歳ちょっとすぎで、建築現場で働いていました。ボスに支給されてなかった分の給料を催促した際に、暴力を用いたため、刑事犯になってしまいました。警官の話によりますと、李さんのことは簡単なので、本来ならとっくに家に戻れたのに、留置場で一年半も拘禁されていました。李さんは初めて5式の功法の座禅を習った時に、すぐに両足が組めました。一カ月後のある晩、李さんは土間で静功の座禅を煉っていました。しばらくしたら、李さんは舞い上がり、それを見た同室の人達や彼自身も驚きました。それで、師父が『転法輪』の中で説かれた法理を伝えました。私たちは半年も一緒にいました。李さんが留置場からずっと出られなかった理由の一つは、ここで法を得るためだと思います。
留置場から勤め先に戻りましたが、上司の圧力により、転職して、民間企業に入社することにしました。しばらくの間に、そこの大多数の職員が、法輪功が迫害を受けている真相を知りました。社長は率先して、中国共産党から脱退しました。出張の機会を利用して、三人の同僚と法輪功の功法を煉りました。中の一人は堅持して、続けられました。もう一人は、何年か後にまた私と同僚になり、最初から学びました。彼は一回目大法に触れた時に、良い功法だと分かりましたが、落ち着いて煉ることができず、今回は更に大法の大切さを認識出来て、もう逃したくなく、半年後、彼の妻も大法修煉に加わりました。
2年後、仕事で上海に行きました。私のプロジェクトチームは仕事の都合で合宿形式で、山の中のホテルで集中作業を行う事にしました。その間、プロジェクトチームは生活を共にして、互いに理解を深めました。3名の同僚から功法を習いたいと頼まれ、休み時間を利用して、毎日『転法輪』の1講を学び、5式の功法を行いました。第2講を学んだところで、会社からモンゴル行きのチケットを予約して出張の準備をするようにと通知を受けました。皆と『転法輪』をひと通り通読してから、出張に行く予定でした。結局、出張の当日に、先方の都合により、出張を遅らせることが出来ました。3名の同僚と順調に『転法輪』を一通り読むことが出来、5式の功法も習得できました。毎朝、日の出の前に山の上に行き煉功したので、心身ともに大きな変化がみられ、仕事の効率もアップしました。中の一人は顔のニキビがひどく、多くの医者にかかり、お金も沢山使ったのに、改善されませんでした。たった二週間の煉功で、皮膚が艶やかになり、見た目も綺麗になり、皆は彼女のことを祝福しました。
私は1996年に法を得ましたが、当時、興奮しすぎていて、ひたすら、身内も早く法を得て欲しいと思っていました。私は一年がかりで、やっと両足を組めるようになりましたが、妻や子供と姑はまだ煉功しないうちから、すでに両足を組むことが出来ました。子供は落ち着いて、師父の説法を聴くことが出来るのですが、妻は信じることができません。煉功点で家族そろって煉功に参加しているのを見て、とてもうらやましく思いました。しかし、私が焦れば焦るほど、妻は信じないのです。99年7月中国共産党の法輪功への迫害が始まり、妻はなおさら恐れて、学ばなくなりました。子供が私について学法、煉功する時に、妻に干渉されます。子供に支障が生じることを心配して、私たちは喧嘩もしました。その後、偶然の機会に、子供は予定より早く海外留学に行きました。私はずっと妻も法輪功をしてくれると確信を持ち続けました。いつまで経っても妻は婦人科の病気が治らず、度々の手術と薬の服用でも病を根治することができませんでした。深刻な貧血で、歩く事すらままならない状態になりました。医者の治療を諦めて、試しに私について学法と煉功をしてみました。数カ月が経ち、明らかに顔色は正常に戻りました。今、お正月や、何かの祝日がやってくると、師父への感謝の気持ちを表すために、彼女はソフトを使って、グリーティングカードを作ります。私たちは一緒に学法し、煉功し、発正念をし、それに人々に法輪功に対する迫害の真相を伝えて、夫婦の間は更に信頼が深まり、前よりもっと和やかになりました。
もっとたくさんの方の話を書きたかったのですが、紙面に限りがあるため、ここまでとします。世の中の人々がくれぐれも、この万古の機縁を大切にし、法輪功に対する迫害の真相を知り、私たちの代わりに無数の苦難を耐えておられる慈悲なる師父の救い済度に背かないように、心から願っております。師父のご恩に、心より深く感謝申し上げます。 合掌