文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年1月3日】今年の10月28日朝、誰かがドンドンとドアを叩くのが聞こえ、ドアミラーから覗いてみると、6、7人の警官が見えました。どういうことかが私はすぐに分かり、警官らに会い、正々堂々と法輪功に対する迫害の真相を伝え、人を救おうと決めました。これは、江沢民を告訴してからの悟りです。
私がわざと「どなたですか」と聞くと、「物件の管理者です」と答えましたが、真っ赤なウソです。何食わぬ顔で玄関のドアを開けると、私を見るなり、警官らは「あなたは××ですか?」と聞くので、「はい、そうです」と答えました。「なぜ来たのか、分かっているだろう」と言うので、「私が大法弟子だからですか?」と答えたその瞬間に、大法弟子であることに誇りを感じました。
それから、警官らは家から数冊の大法の本とお守りとDVDなどを押収したうえ、私を警察署まで連行しました。更に拘置場に送りました。この間、私は会った人会った人に迫害の真相を伝え、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えておくように教えました。自分は迫害を受けているのではなく、このような形を通して、警官らを救い、師父が要求されていることを行う良い機会だと思いましたので、何も恐れる心がありませんでした。
しかし、なぜか拘置場に入る初日から、足が痙攣したり、動悸が激しくなるなどの症状が現れました。内に向けて探し、恐れる心がないし、放下できていないものもなく、逆に正念が強いのに、これらの症状がなぜか現れました。これは明らかに正しい状態ではないので、必ずどこかに問題があると思いました。固く師父と大法を信じている私に、一体どんな漏れがあって、旧勢力に隙に乗じられたのか? 隠れている漏れを見つけ出そうと思いました。
自分を探すと同時に、力を入れて自分の空間内の良くないものを取り除きました。師父に隠れている漏れを気づかせてもらうようにとお願いしました。そして、警察署に入ってからの、今までの迫害の真相を伝える全ての活動を思い出し、ある事に気づきました。それは、ほとんど全ての時間と精力を費やして、いろんなケースを想定し、如何に警官らに解答するかを想像して、各種の答えを用意していました。これは、どちらにしても人間の観念と方法ですので、自分を守りたいためのもので、大法弟子の正念ではありません。
これに気づき、自分でもびっくりしました。正念が強いと思っていたのに、実は、自分を守る目的だったのです。問題はここにあるに違いありません。それで、大法が与えってくださった正念の力で、それらを取り除きました。
すると、エネルギーが頭から流れてくるのを感じ、一瞬ですべての辛い症状が消えました。その夜、夢を見ました。私は多くの原稿を書き上げましたが、その分厚い原稿になぜだか、タイトルがありません。どうすればいいかと迷っていると、形の見えない筆が異なる色で『一一九』とタイトルを書きました。その瞬間、目が覚め、師父が人を救うように教えてくださっていると悟りました。たくさん答えを準備していても、人を救わなければ無駄だと分かりました!
この事を通して、物事の良し悪しと善悪を識別する過程は、ほかの空間において、正と負の生命の戦いであり、それを分別するには、強い正念と師父への固い信念が必要だと実感しました。「修は己にありて、功は師にあり」[1]なので、自分の思惟は必ず大法弟子の思惟でなければなりません。思惟が固まると、次第に結果も出てきます。だから、どういう結果になるかは、大法弟子の思惟次第で、法の要求に達することができるかどうかが、肝心になります。
尋問する警官らが私と会うように、正念を発しました。会えば、慈悲心が自ずと出てきて、自分の親戚のように見なし、大法を修煉し始めた過程と原因を話し、大法の真相を全面的に伝えました。1時間あまりの間、警官らは時々頷きながら、ずっと聞いていました。
このことから、真に法に則っていれば、すべてが簡単・明瞭になると悟りました。その一カ月後、私は正々堂々と留置場から出てこられました。この度のことが、以前留置場に入った時の遺憾(訳注:いかんとは、不本意で、残念なこと)を補って、願いを果すことができました。
私にはまだ多くの観念と執着が残っており、それを絶えず排除し、師父と一緒に元いたところに戻る信念を持ち続ければ、師父は必ずそれを実現できるように助けてくださると思います。
次元に限りがあるので、間違いがあれば、ご指摘をお願いします。
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』