文/湖北省の大法弟子
【明慧日本2016年1月24日】1996年10月、私は夫から『轉法輪』を渡されました。「真・善・忍」という三つの文字を見て、すばらしいと感じ、人はこのように生きるべきと思いました。修煉に入り、師父もいらっしゃると思うと、私は夢の中でよく笑いました。19年来、法輪大法の超常と不思議が家族の中によく現れました。
法を学んで間もないある日、7歳の息子は学校から帰って来ると、右足が痛いと言いました。私は少し揉んで、骨には問題がないから、捻挫かもしれないと考え、息子を医者のところに連れて行き注射してもらいました。しかし、2日後、彼の足は脛から大きく腫れ、すぐ腿まで及び、赤くつやつやになりました。そして熱が出て、トイレも近くなり、一晩に十数回トイレに行きました。私と夫は子供を連れて武昌広州軍の総合病院に行きました。朝8時、外科室に医師が来ました。この医師は外科の主任医師で、普段自ら手術をすることは少なかったそうです。彼は症状を聞いて、子供の足を見て、たいへん驚き、「中に膿があり、すぐ手術しないと、この足がだめになる」と言いました。私たちは初めて子供の病状の重大さを知りました。
医者が子供の足脛を30センチほど切ると、化膿したものが一気にたくさん吹き出ました。脛の筋肉と骨の間が腐って、骨が緑色になっていました。フェイスタオルのような大きなガーゼを入れ、その後毎日ガーゼを取り出し、消毒液で中を洗い流し、ナイフで腐った骨膜を削り、はさみで腐った筋肉を切り、再び大きなガーゼを入れました。毎回このような治療を受けて、子供は全身がくたくたになりました。
その後の2カ月、毎日注射し、薬を換えてもらい、200元払いましたが、子供の足はよくなりませんでした。点滴をずっと受けていましたが、微熱と脛肉の腐りが続きました。病院では専門医が集まって立会い診察を行いました。30年以上の経験がある専門医は骨髄炎と診断し、4千元の費用で骨髄を取って確認し、確認ができたら、足を切断するしかないと提案しました。手術費、医療費は2万元以上かかるそうです。当時、私たちにとってこの費用はあまりに大きく、私たちはすべてのお金を使い果たし、次の医療費が払えなくなっていました。
当時は真冬で私たちは子供を退院させ、数百元の薬をもらって家に帰りました。子供は発熱が続いていたので、毎日地元の診療所に行き注射と薬の換えを受け続けました。
お正月が開けた日、診療所の女医は夫の洋服についている法輪バッチを見て、「中になにが回転しているのでしょうか」と聞きました。私たちは「法輪大法は人を救い済度する佛法です。大法の師父は真・善・忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」[1]と教えてくださいました。人は美しい天国世界から来たもので、大法を修煉して心性を高め、『返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です』[1]」と伝えました。この女医は大法の素晴らしさを感じ、聞けば聞くほど好きになりました。その日の夜、彼女は叔母と一緒に私たちの家に来て師父の説法の録音を拝聴しました。
その日の夜、私は紫の透明な大きな法輪が我が家の庭でゆっくり回転し、中の卍符と大極図がゆっくり回転しているのが見えました。振り返って見ると、息子の手にも二つの小さな法輪が高速で回転して、強い光を発していました。
私はこの光景を夫に話しました。私たちは子供に煉功を教えることを決めました。この3カ月、こどもは足を少し動かすと、「痛い、痛い」と叫びました。トイレに行くとき、私たちは彼を抱いて行きました。しかし、煉功すると、子供は立つことができ、熱も下がりました。その後、外に出て遊べるようになりました。今まで大きく腫れていた足が煉功の翌日に腫れが消えました。私たちは師父が彼の業力を消していらっしゃると分かりました。私たちは毎日薄い塩水で彼の傷口を洗い、ガーゼで巻きました。この子は薬を飲まず、注射もせず、毎日私たちと一緒に煉功し、師父の説法の録音を拝聴しました。約1カ月血が外に流れ出て、傷口が毎日小さくなって、最後に癒合しました。病院に2カ月入院し、約1万元を使っても治らなかった骨髄炎が煉功して1カ月で病院の治療を受けずに治りました。大法は我が子に第二の生命を与えてくださいました。大法の超常と不思議は健全な家庭を私たちに与えてくださいました。
心から師父にお礼を申し上げます。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』