文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2016年1月30日】
尊敬なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
今年満25歳の私は18年前に修煉を始めました。はじめて法会で発表したのは8歳の時でした。2011年から2012年の1年間の修煉体験、および2012年の神韻公演の成功に貢献した微小な力を、今日ここで皆さんと分かち合いたいと思います。
2011年6月、プレゼンの形で神韻を紹介すること、つまり、プレゼンを開いて、プレゼンナーが前に立ってスライドで来場の皆さんに、神韻の公演を紹介する方法は、ニュージャーシーとニューヨークで広め始めました。一部の大法弟子は具体的な紹介資料の作成に携わっています。彼らのプレゼンを何回か見習ってから、「これは私にもできる」と私は確信しました。当時の私は20歳になったばかりで、ちょうどまだ大学に進学する前でした。
私は神韻公演を紹介するスライドと文字説明の作成にすぐに着手しました。そのファイルは何回かの訂正を加わえて、その後、大ニューヨーク地区で広く使用される資料になりました。当時のことを振り返って、そのファイルを作成して改善する中で、自分はどのように自我を放下することを覚えたか、同修たちとどのように1つの全体を成したかを、ここで同修の皆さんと分かち合いたいと思います。
私は徹夜でプレゼンの原稿を書き上げて、翌日のグループ学法にプレゼンを発表しました。私のプレゼンは全部で1時間を使用して、中国伝統文化の多くの方面に詳しく触れていますが、一体感がまだありませんでした。また、練習する時間がなかったため、私はほぼiPadを見て文章通りに読み上げたのです。そのために、ど同修の皆からの評価はあまり良くなくて、同修Aさんは私のことを「彼女にとても神韻プレゼンを任せられない」と言いました。私の第1反応は諦めることで、今後私に神韻のプレゼンを参加させないのか、よし、こっちの苦労も分からず、これから先、もうやるものか、と思いました。しかし、母に叱られてから、私はすぐに自分の不足に気付きました。Aさんの話はちょうど私の執着の1つである、自我を重視し過ぎること、また安逸心などをずばり言い当てていました。自分の考えが実現すれば、ニュージャーシー州の神韻の宣伝に対して、とても貢献できることを知っていても、私は真面目にするべきことを行っていませんでした。母の叱責を受けてから、私は真面目に準備し始めました。
私は他の同修から知恵を借りて、またいくつか神韻紹介のファイルを作成しました。私のバージョンには、直接神韻の価値を述べ、中国古典舞踊から話題を切り出します。他のプレゼンチームが忙しくて手が回らない時は、私の出番です。はじめて正式に神韻プレゼンをするのは、ニュージャーシー州のロータリークラブで、それと同時にチケットも売り出しました。
私のプレゼンは最終的に神韻の事務所に選ばれて、ニューヨーク地区で使用される神韻の紹介ファイルの中の一つになりました。最終バージョンが正式に決められる前、相当の訂正を加えられました。訂正の過程はまさしく参加するすべての同修が協力し合う過程でもあり、私は同修の皆からプラスのエネルギーを強く感じられました。相手に自分の意見を押し付けるのではなく、同修の皆は他の人の意見にも謙虚に耳を傾けました。
ニューヨークでのトレーニングとプレゼンの試演に関して、話し出したら一日でも話し足りませんが、一言でまとめると、つまり、師父からどれほど助けを頂けるかは、修煉者の思想の清浄さによって決められることだと認識したのは、私の最大の体得といえます。
私と母は一つのプレゼンチームを構成しました。母は電話でプレゼンさせてもらう機会を取り付けて、私がプレゼンを実演します。二人はニュージャージー州の隅々まで行ってプレゼンをし、一番遠い場所は車で2時間必要でした。一時、多いい時には大半がロータリークラブの中で、週に3~5回のプレゼンをしました。
ちょうどその期間、私はまだ大学に進学していなくて、母も失業していて、次の仕事がまだ決まっていない時期でした。数カ月も神韻宣伝に専念できる幸運は、それ以降ありませんでした。あの数カ月を振り返ってみると、本当にとても貴重な体験でした。私と母の間に起きた協力やトラブルも、話し出したら一日かかっても話し終えませんが、今振り返ってみると、一言でまとめれば、トラブルはすべて私が悪かったように思います。
多くのプレゼンをしてから、同修から褒められる言葉をよく耳にしました。私に対してそれは一つの試練でもあります。若い私はその褒め言葉の前で、歓喜心が生じて、心が動じない次元にまで、まだ達していませんでした。師父は『轉法輪』に「皆さんもご存じのように、羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず」と説かれましたが、私はすべてのことを気にかけ、心がいつも動じていました。
同修たちに好評を受けましたが、実はプレゼンの一つ一つに対して、全て恐れる心を抱いていました。同修たちがプレゼンをした時に出遭った問題を私に教えてくれました。例えば、お客さんにプレゼンを途中で断ち切られること、答えが難い質問を聞かれること、お客さんに嫌われてプレゼンを聞いてもらえないことなど諸々です。もし、私がこれらの事を聞いていなかったなら、もっとずっと楽しく神韻のプレゼンをやっていたでしょう。協調人と同修たちからみると、私は神韻のプレゼンをするのが、得意のように見えるかもしれませんが、実は私はとてもプレゼンを怖がっていました。具体的に言えば、学校と教会、特に保守派教会でプレゼンをするのがとても苦手でした。また、中国からの移住者、図書館、老人ホーム、お金持ちを対象にしたプレゼンをするのも苦手でした。しかし、現地の協調人は、いつも私に最も難しい任務を配分するので、私はそれらに対処しなければなりませんでした。
通常、お客さんの前で、私はできるだけ清浄な状態を保ちます。修煉状態があまり良くない時は、その状態を保つことができません。
ある日の夜、私と母は図書館で神韻のプレゼンをしていましたが、2人とも体調が悪くて、1時間のプレゼンの間、母は何度も外に出て嘔吐していました。プレゼンを聞きに来た人の中に、いくつかの華人の家族がいました。私のプレゼンに中国共産党がいかに中国の伝統文化を破壊したか、いかに法輪功を迫害しているかの内容があるので、途中、その中の華人女性が立ち上がって、大声で共産党のために弁解し始めました。私は慌てて緊張しまくり、プレゼンの後半に、なんと話す内容と再生していた画像とが、まったくずれたことさえ起こりました。
幸いプレゼンが終わった後に、神韻公演に興味を示した人が何人もいました。その中の1人の同修に発正念をしてもらったおかげで、母はやっと家まで運転して、帰ってこれました。駐車場に着いてから、母はもう一回吐きました。
その夜に遭った問題は、私の正念が強くないのが原因だと思います。私の修煉はまだまだしっかりできておらず、体調が悪い時、体に対する心配が湧いてきた時、私の正念が萎縮してしまい、常人の念に負けてしまいました。その後の一週間、後遺症があるように、あの華人女性の言葉はなかなか脳裏から離れなくて、神韻のプレゼンをする気が起こりませんでした。
それにも関わらず、現地の協調人は、私にあるとても大きな教会で神韻のプレゼンをすることを依頼してきました。教会は私の行きたくない場所の1つです。しかし今回は3人の同修が応援に来てくれました。我々の心が1つになったため、私の状態も前回よりだいぶ良くなりました。
後になって気付いたのですが、私の恐れる心は、正念が強くないことに由来したものです。表面から見ると、神韻のプレゼンのシナリオを書いて、またそれを存分に使用したのですが、しかし心の深いところでは、神韻のプレゼンを通じて聞く人に真相を伝える心があまり強くありませんでした。私はいつも観念を持って聞く人は何を受け入れられるか、何を受け入れられないかを推測していました。師父が説法される時に言及された、高級住宅地でチラシを投函する時にびくびくする修煉者と、本当によく似ていました。
「心が動揺し、車で行っても降りる勇気がなく、一周して『私も行った』と言うのです。またはこそこそして、高級住宅地でこちらに一枚、あちらに一枚とチラシを入れ、人の目に触れてはいけないことをやっているようです。確かにチラシを投函されると嫌がる人がいて、このやり方を認めない人がいます。しかし、それは用件に応じて判断すべきで、これほど大きなことで、人間は救われるのを待っているのです。やりすぎていなければ、相手は理解してくれます」と師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の説法でおっしゃていましたが、あの頃の自分は全くその通りの状態でした。
もう一つの収穫と言えば、私は全体の力を体得しました。それも自我を放下することです。
ニューヨークの4月公演が成功を納めた後、フィラデルフィアの同修は我々ニュージャージー州の修煉者に、手伝いの要請をしてきました。それで何回か、私はフィラデルフィアの上流社会の人々に向けて、神韻のプレゼンをしたことがあります。
1回目はRitz Carltonホテルで、私は上質な服装を身にまとった素敵な方々、50数人を相手に45分間の神韻のプレゼンをしました。以前、新唐人本部で、同じく上流社会の人たちに、神韻を紹介したことがありますが、15分間を超えると、もうそれ以上聞きたがる人がいませんでした。
一方、フィラデルフィアの聴衆は、初めから最後まで聞いてくれました。途中にもぞろぞろと人が入って来て、後ろに立って聞いてくれ、とうとう部屋は人でいっぱいになり、彼らはまた積極的に質問もしてくれました。フィラデルフィアの学習者の調和が取れた関係と一体感が、私に深い印象を残しました。同修たちの間の協調が良い雰囲気を作って、客を落ち着かせたため、客は真面目に神韻のプレゼンを聞くことができたのです。
フィラデルフィアでの2回目のプレゼンは、まるで奇跡を経験する過程でした。私は場所をはっきり知らなくて、降車の駅を間違えたのですが、なんとか1つの方角(ほうがく)を選んで、ひたすら早く歩きました。結局、私の選んだ方角はちょうど正しい方角で、また、時間の余裕がまったくないところに、神様の助けもあり、不思議と定刻に到着することが出来ました。
今回の聴衆はたった8人で、途中に退席した人もいました。フィラデルフィアの同修たちが、もっと多くの人に来て欲しい気持ちが分かりましたが、皆はできるだけ強い正念を保っていました。8人しかいなかったのですが、ある女性は思いあたるすべての親戚と知人のために、チケットを買い求めたいと言ってくれました。結局、後になって分かったのですが、その夜売り出したチケットは、なんと前回の50人の聴衆がいた時と同じ売上でした。
その晩のために8人分より多くの食べ物を用意し、多くの人力を投入したことに、誰ひとり文句をこぼす人がおらず、かえって残った食べ物は、次回の神韻のプレゼンの時に使えるとの提案までありました。
フィラデルフィアの神韻公演が成功したと聞いた時、私は少しも驚きませんでした。フィラデルフィアの修煉者の互いの協力や協調が見て取れたからです。
プレゼンがどれほど良くできていても、修煉者の心、すなわち、お互いの協力や協調をすることより重要なことはないと私は体得しました。プレゼンする技能があまり優れない人たちでも、修煉者の心の底から出てくる愛想と安らかな雰囲気は、充分聴衆を引き付けました。
正法修煉は最後のところまで来て、時間はすでに多くありません。私たちが神韻の宣伝のために貢献できる時間も多く残っていません。師父は『二十年説法』に再度、次のように強調されました。
「皆さんも知っているように、神韻はますます素晴らしくなり、影響力も拡大しつつあります。今年のアメリカ公演のとき、後半の公演はいずれも満席で、来年のチケット販売はかなりしやすくなります。広告を出せば、観客が来るようになったとき、皆さんに教えますが、皆さんがチケットを販売する必要はなくなります」と。
師父に深く、深く感謝します! 同修の皆さんに感謝します!
(2012年米国ワシントンDC法会の発表原稿)