【明慧日本2016年2月18日】孫英さんが9歳の年に、叔父が迫害により殺され、母が不法に連行され、10年の実刑判決を言い渡された。まだ未成年の孫さんは学校に通うことができず、出稼ぎする羽目になった。
今年で24歳になった孫さんは、同年1月25日、日本の最高裁判所に相当する中国最高法院及び最高検察庁に相当する最高検察院に対して、江沢民に対する訴訟を提起した。以下は幼い孫さんがこれまで受けた苦難の人生体験である。
私がまだ幼いとき、母は全身に発疹のような皮膚病を患い、北京の病院を始めいろんな病院で治療を受けたが、一向に良くならず、毎晩よく眠れない状態が続いた。その後、母は法輪功を修煉してから、皮膚病が奇跡的によくなった。それから、母は法輪功を続けるようになり、幼い孫さんも以前ほど風邪をひかなくなった。
しかし、江沢民政権による法輪功への迫害が1999年7月に始まってから、母は不法に連行され、2カ月の間留置処分を受けた。釈放後も環境が悪いため、孫さんは2000年から祖母に面倒を見てもらうようになった。
当時は法輪功を修煉していた叔父が、既に不法に労働教養収容処分を受けており、その後3番目の叔母さんも不法に身柄を拘束されたので、孫さんは、祖母と2人の姉と4人で暮らした。
叔父は絶食することで迫害に抗議したため、2001年1月2日に強制的に灌食による迫害を受けたため死亡した。これを知った祖母は失神してしまい、病院に送られた。叔父が亡くなったにも関わらず、母やその他の兄弟も含め、祖母さえも亡き息子(叔父)の遺体を見ることすら許されなかった。
迫害により、祖母の息子が先に命を絶たれた苦痛と悲しみは、幼かった孫さんも、未だに忘れられず、はっきりと覚えている。
母は2001年夏のある深夜、家に不法に侵入してきた警官らに、身柄を拘束された。家財は没収され、母も洗脳班に移送された。修煉しないことを約束する署名をしなければ、実刑判決を言い渡すと脅かされたが、母は署名しなかった。その結果、10年の実刑判決に処せられた。なぜ有罪判決になったのか、だれも幼い孫さんに教えてくれる者はいなかった。
孫さんは父の家で暮らすことになったが、父はタクシーの運転手をしているため、孫さんの面倒を見る時間がなかった。ある日、孫さんは急性虫垂炎を患い、痛みがひどくて立つことすらできず、それでもずっと我慢し続けた。その時は母がそばにいればと思った。大学に受かっても学費は払えないと毎日言われてたので、中学校を2年で退学した。
退学した後、孫さんは出稼ぎに行かざるをえなかった。自分の面倒は自分で見るしかなかった。祭日や年越しになるたび、孫さんはいつも母を思い出して涙を流した。母はとても良い人だった。そして、いつも良い人になるようにと孫さんに教えてくれた。しかし、そんな良い母に理不尽にも、10年の刑務所生活を強いることは、あまりにも理不尽なやり方でひどすぎると思い、このすべては江沢民による迫害によって引き起こされたことで、孫さんは江沢民を告訴した。