【明慧日本2016年3月16日】中国・河北省保定市満城県に在住の法輪功学習者の任金慧さん(60代女性)は、法輪功の修煉を放棄しないという理由で何度も連行され、留置場や洗脳班で迫害された。心身ともに打撃を受け、2013年3月29日に冤罪が晴れないままこの世を去った。
任さんの息子・魏亜忠さんは、去年9月26日に中国最高裁判所に出向き、法輪功迫害の首謀者・江沢民を告発し、刑事事件として処罰するよう求めた。以下は魏さんが江沢民に対し刑事告発状に書いた迫害事実である。
私の母・任金慧は、長年に渡り数多くの病に侵され、全身の痛み、胃腸にも病気があったが治療費がない上に、生活のために畑で重労働もしなければならず、死んだほうがマシのような激痛を我慢して日々を過ごした。1997年1月9日に母・任金慧は法輪功を修煉し始め、知らず知らずのうちに各種の病気が全快した。
1999年7月20日に、江沢民集団が法輪功に対する迫害を始め、学習者に対し、「名誉を汚し、経済的に貧困におとしいれ、肉体を消滅させる」という政策を始動した。それから十数年間に渡り、母・任金慧は酷く迫害された。
留置場で灌食される
2001年の正月、母は5歳の孫を連れて白堡村の自由市場に行き、法輪功を修煉して自らが受益した体験と法輪功への迫害の真相を伝えた理由で、警官に白龍郷派出所に不当に連行され脅された。
数日後の午前中、白龍郷派出所と郷の政府役員らが自宅に不法に侵入し、母・任金慧は強制連行され、満城県留置場に拘禁された。母・任金慧が断食で迫害に抗議すると、銃を持った警官がきて、母・任金慧は県病院に移送され灌食された。両手を手錠で体の後ろに固定され、管を鼻から胃に挿入され灌食された。鼻から出血したが、管はそのまま放置された。
洗脳班 棒で叩かれる
留置場に拘禁されてから2カ月あまり経った2001年5月、60代の母・任金慧は、再び東馬洗脳班に入れらた。太い棒で背中を叩かれ、あまりにも強い力で叩いたため棒が折れ、今度はモップの棒で殴られ、全身青あざだらけになり、心が引き裂かれるような叫び声をあげていたという。
幾度も拘禁され、苦しめられる
母・任金慧は東馬洗脳班に1カ月拘禁された後、610弁公室、国保警官らによって、満城県留置場に拘禁された。洗脳班で殴られ全身あざだらけの母・任金慧は、さらに警官らに足で蹴られたり殴られた。その後、労働教養所処分1年を言い渡され拘禁された。
2002年、母・任金慧は釈放されてから留置場と洗脳班で受けた迫害の真相を伝え、迫害に加担しないよう政府に陳情しに行った。しかし、当日の夜11時ごろに、白龍郷政法委書記・康新元らに自宅に侵入され、母・任金慧は満城県留置場に連行された。
7カ月後、母・任金慧は、再び涿州洗脳班に連行された。拘禁されている間、小さい椅子に座らされたり、暑い太陽の真下に立たせられたり、殴られたり、死人ベッドに縛られたり、電気棒で電撃されるなどの数多くの迫害を受けた。その年の中秋節の日、一晩中両手を木に手錠で固定されたため、両手が硬直してしまって、物をもてなくなったのに強制労働を強いられた。2003年にサーズ(疫病)のため涿州洗脳班が解散し、母・任金慧は再び満城県東馬洗脳班に移送され迫害された。
迫害により死亡
2007年10月15日夜、母・任金慧は、帰宅途中に白龍郷派出所に連行され、その後満城県留置場に半月にわたり拘禁された。警官は家族に1000元を支払うよう強要したが失敗に終わったため、15キロ離れたところから母・任金慧を歩き帰らせた。
母・任金慧は帰ってきてから体調を崩し、ますます悪化させ、病院で検査したところ脊椎が酷く傷付いているといわれた。
2013年3月29日、母任金慧は冤罪が晴れないままこの世を去った。