文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年5月1日】修煉の中で、自分の本性は清らかで、慈悲であると信じるべきです。雑念が湧いてきたら、すぐにそれを重視します。どうして雑念が湧いてきたのか? その原因は何なのか? その根を掘り出し徐々に取り除いていきます。
しかし、わざわざ何かの念を心から引き出す必要はありません。その雑念が自然に出てきた時だけ、しっかりと捕まえて、その問題を回避せず根源を探し、一つずつ徐々に修めてなくすことです。
例えば、座禅の時には常に腰と首をまっすぐに伸ばし、両足をリラックスさせ、心身ともにリラクッスの状態にするべきです。座禅中に痛みを感じたら、苦痛から逃げるという考え方を放棄すべきです。その苦痛を軽減することを考えてはいけません。座禅時の苦痛は業を消す過程です。もちろん、楽なことではありません、平気な気持ちで対応すればよいのです。修煉は現実的なものであり、神秘的な理解し難いものではありません。
個人的な悟りです。同修は法を師にしてください。