【明慧日本2016年5月4日】4月24日夕方、四二五平和陳情17周年にあたり、アメリカワシントンの一部の法輪功学習者は駐ワシントンの中国大使館の前で集団煉功や燭光追悼を行い、中国共産党による法輪功への迫害を早急に制止し、江沢民の裁判を呼びかけた。
1999年4月25日、1万人の法輪功学習者が中南海の近くで,天津当局が拘束した45人の法輪功学習者を釈放せよと陳情していたとき、中国駐ワシントン大使館の前でも陳情が行われていた。葛敏さんは参加者の1人だった。
元中国の軍校教師が四二五を思い出す
元中国の軍校教師の黎徳春さんは「皆静かだったし、スローガンもないし、互いに面倒を見ていました。年配の学習者が疲れたら『後ろで休憩して』と勧められました。他に騒音などもなかったし、車は通常通り走っていました。私と他の2人の学習者がトイレに行く途中『交通の邪魔をしないようにね』と注意を喚起されたりしました」と思い出話をした。黎さんは「水を持っていた学習者が警察官に水を渡したことが印象に残りました」と言った。実は、四二五までに、北京懐柔区の法輪功学習者は1997年から約40回以上も当局からの嫌がらせや家宅捜索などをされていた。黎さんは「夜になって、問題が解決されたと聞くと、皆はすぐに解散しました。地面にゴミや紙くずなど一切残りませんでした」と語った。
天安門広場で警察の暴力を目撃したNASA科学者
台湾出身の黄祖威博士はアメリアNASAのエンジニアで、2000年7月北京天安門広場で警官による法輪功学習者への暴力を目撃した。
「あの年の夏休み、父と一緒に北京へ旅行に行きました。午前8時頃 、天安門に着きました。遠くで人が集まって何かを見物していました。私達は早足で近寄って、警官が地面で座禅していた数人に暴力を振るい、彼女たちを一人ずつ車の中に投げ入れていたのを目にしました。ベビーを抱いていたある若いお母さんは警官に後ろから蹴られて倒れました」
「私は吃驚しました。カメラを取り出して写真を撮ろうとしたところ、ヘルメットをかぶった警官が私のほうに突っ込んできて、私を掴んでパトカーに引きずり込みました。私はカメラからテープを出して警官に見せました。警官はテープを全部地面に投げ捨てて潰してから私を放しました」
「天安門城楼に登ると、そこに警備している警官がいました。観光客は中国人と外国人の二列に別れさせられ、一人ずつ身体検査をされました。2人の女性は『法輪功学習者ですか』と聞かれ『観光客です』と答えましたが『似ているぞ』と警官に疑われて強制連行されました」
アメリカに戻った黄さんは法輪功を調べ、友人から功法教授のビデオテープをもらいました。習ってみたら「全身がすごく強いエネルギーで囲まれ、身体がエネルギーに乗って空へ飛びだしそうで、衝撃の奇跡が起きました」と体験を語った黄さんはその後『轉法輪』を読んで法輪功修煉を決心した。
尹麗萍さんも当日大使館前での記念活動に参加した。
尹さんは中国在住中に7回逮捕され、6回は暴行を受け瀕死の状態で家に戻された。また3回にわたって強制「労教」をさせられ、9カ月間の奴隷労働を強いられた。拷問や性的迫害されたこともある。
尹さんは、収容された馬三家教養所で、両手に手かせを付けられて床に縛り付けられた。2カ月間にわたり何らかの薬物を注射されたため、一時的に両眼が失明した。絶食で迫害に抗議した時に、口をこじ開けられて乱暴にのどから管を入れられ無理やり食べものを流し込まれ、窒息死させられそうになったこともあった。