文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年5月10日】最近、師父のご教示の下、私は自我に対する執着の本質について分かるようになり、それについて同修の皆さんと交流し、共に向上できればと思います。
この前、頭に恐怖心が生じ、それを取り除く為に私は絶えず学法に力を入れ、大法から正念を得てから、正念で対処し、それを抑制しようと思いましたが、恐怖心は弱まりましたが、根こそぎ取り除くことはできませんでした。このような状態が続いていくにつれ、携帯電話で大法の真相を伝える時に、いつも邪悪に自分の今いる位置を測定されたのではないかと心配し、ビクビクしていて心がますます不安になりました。しばらく経ってから、私は修煉に対する自信が大きく動揺しました。
数日前、すでに大法の真相を知っている友人と会い、話しているうちに私はさらに深く大法の真相を伝えると、彼女は大法の本を読んでみたいと言い出しました。別れたあと、彼女はショートメールで私に感謝し、毎回私に会うと気分がよくなると言ってくれました。メールを受け取ったあと、嬉しくなり自分が他人に認められ、得意になって喜んでいました。そう思っているうちに、突然これは自我に対する執着ではないかと気付き、頭がはっきりと覚めました。その時、ある考えが私をいわゆる「内に向けて探す」という表面上の執着を、探すようなやり方に誘導しようとしていていることに気づきました。例えば、名誉を求める心や情に対する執着などなど、私はすぐにその考えを否定し、必ずこの執着心の根源を見つけ出そうと心の中で自分に言い聞かせました。
絶えず深く内に向けて探すように努力していくうちに、私は師父がご加護してくださっていることを感じ、頭の中の考えがだんだんとすっきりとしてきました。「自我」はどういうものなのか、これに気づいた時、私の頭の中で、法に完全に同化する為なら、自分の生命を構成する最もミクロの体を失っても構わないという強い念が生じました。その時に恐怖とはどういうものかがわかりました。恐怖とは、失うことを心配するということです。しかし、その正念の中で自分の根本的な生命を捨てることすらできたのに、他に何を恐れるものがあるのでしょうか?
ここまで考えると、この間ずっと私を悩ませている恐怖心が、一面の壁が崩れたかのように恐怖心という物質が消え、心の中で大法と師父に対する殊勝な正念が生まれました。そのあと私はもっと深く考えていくうちに、完全に「自我」を捨てようと決心しました。修煉して、それを達成する具体的な方法は、頭の中の考えや自分の行動さえも完全に他人の為に行うこと、即ち、自分の考えや物事を行う基点を、完全に他人の為に置くよう努力することです。
それ以降、怠惰な心、恐れる心、色欲心など、長い間なかなか放下できない頑固な人心が現れてきた時に、私はいつも「あなたは自分を完全に捨て大法に同化することができるのでしょうか?」と自分に問いかけます。頭の中で「はい」と答えると同時に、自分の大法に同化した部分がさらに強くなり、人心が妨害できないほど弱くなりました。
学法と自分の修煉に対し、絶えず考えるにつれ、私は修煉者が修煉過程において自我に執着する原因について、さらに深く認識しました。一つの生命がどのように生まれてきたのか、あるいはどのように作り上げられたのか、その生命の特性の現れは、その生命を構成する物質によってすでに決まっていますし、その生命に主がいて、その生命の特性は、その主の該当する宇宙範囲内の特性でもあり、旧宇宙の中で、生命がもともと持っている滅という特性は、その生命が解体することを意味しています。今までの旧宇宙が辿ってきた歴史と違って、大法弟子が修煉の中で師父の要求に従って、新宇宙の特性をもって自分の正しくない要素を修正することによって、自分の生命を更新するのです。その正しくない要素の根源は、生命の歴史上の主あるいは王の正しくない要素が含まれ、修煉者のさまざまな執着として現れてきます。実は正しくない要素も一種の生命であり、執着は即ちその生命(不正な要素)の変異した特性が、人間社会での現れで、大法弟子は異なる次元で修煉し、その生命(不正な要素)は必ず自分の執着を反映させます。その目的は2種類に分けられます。一つは大法に済度してもらいたいことです。自分の正しくない行いを反映し、大法弟子に気づかせ、大法弟子が大法の正しい法理に照らし合わせて不正の部分を修正することにより、その生命(不正な要素)が新しい生命に更新されます。一方、もう一つは自分を変えたくない変異した生命です。大法弟子が大法に同化することは、即ちその変異した生命がもっている特性が消滅されることです。未来の新しい宇宙が見えない為、自分を守る本能から強烈な執着を反映させ、修煉者が大法に同化することを妨害します。もちろん、その中に大法弟子の生命を構成する要素とつながっているさらに高い次元の生命の行いにも関係しています。
大法弟子が代表する宇宙天体の体系の中で、自分の執着を現した生命の目的は何であれ、一つだけは明確に決まっています。それは生命及びその特性はみな全て旧宇宙の要素によって構成され、大法に同化しない限り新しい宇宙には、入れないということです。修煉の中でこの良くない特性を放棄するようにみえるのですが、実はこれは大法にそ同化させ、これによってこれらの良くない生命を大法の中で更新させることになります。一方、これらの生命の特性に順応したまま執着すれば、本当はこれらの生命をダメにすることになり、大法の要求に従って修煉し、良くない特性を放下することは、即ち良くない生命を救い済度し、自分の宇宙天体の体系が本当に一新されます。
もっと大きい範囲から言えば、私たちの師父は、宇宙大法をつくりあげた主であり、今回法を正す中で、私心のため、自我のためという旧宇宙の特性を「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにする」[注1]という新宇宙の特性に更新するのが目的です。そのため大法弟子の修煉は、先天的な生命が誕生後の様々な変異と汚染された部分を洗浄するだけではなく、さらに生命を構成する最もミクロな要素がもたらされた私心のため、自我のためという本性を根本的に変えなければなりません。大法弟子たちの修煉過程は、まさに大法に照らし合わせて内に向けて探し、自我を取り除き、新宇宙の無私無我の特性に替える過程です。このように一つの生命は、着実にこの道を歩み終えてから初めて修正された特性をもつことができるのです。師父がこのような形を用いられなければ、このような生命の特徴をつくりあげることはできないのです。師父の要求に従って行い、旧宇宙から新宇宙に更新された全ての大法弟子たちは、将来新宇宙の「不変不壊」[注2]の基本的な属性の物質的な構成となります。一つの生命は、大法に照らし合わせて内に向かって自分自身の不足を探し、それを正し、同時に真・善・忍の要求に従って善意をもって他の生命を助けることで、新宇宙の体系内の異なる部分が互いに連携し、圓容させ、不壊のものにすることの根本的な保障なのです。
すべての大法弟子が、完全に師父の要求に従い、絶えず自我に対する執着を放下し、他人のための生命になるよう徹底的に修め、師父が望まれたものを圓容し、共に大法弟子としての輝かしい修煉の歴史を成し遂げることを心から願っています。
現段階で悟ったことですが、適切でないところがあれば、同修たちの慈悲なるご指摘をお願いいたします。
注:
[1]李洪志師父の経文:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
[2]李洪志師父の経文:『精進要旨』「法定」