文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年5月14日】最近、学法グループの同修に病業現象が現れています。具体的にどんな問題により引き起こされたのかは分かりませんが、私の気づいた問題(表面の現象)を見て、同修の皆さんに善意をもって注意を喚起したいと思います。
同修達のふだんの服装は不適切で、背後には人心があり、しっかり取り除かなければなりません。例えば、とてもきつくて短い上着を着て、ズボンも脚にぴったりフィットし、身体の曲線がはっきり見えます。また、身体をくねくねしながら歩く同修もいて、それが美しいと思っているようです。
大法弟子の服装や歩き方は基本的には他人の良くない考えや欲望を引き起こさないようにすべきだと思います。尼寺の尼僧は灰色の布を身にまとい、身体の曲線がまったく他人に見えないようにし、歩き方も非常に慎ましやかです。私の理解では、尼僧はできるだけ人の欲望を引き起こさないように、さらには色欲の心も取り除いているように思います。大法弟子はこの世で修煉していますが、心が清純な状態にまで達すべきだと考えます。
世間で衆生を救っている大法弟子は世人に良い印象を与え、尊敬されるためには、少しきれいに装っていいかもしれません。しかし、それは神が人間に定められた純粋で、高尚な道徳の境地を体現する基本的な礼儀に従うべきだと思います。現代社会のいわゆる美の基準は、魔に操られた変異した人間の思想に由来するもので、人を害し自分をも害します。男性の同修にだけでなく、学法グループ内の子供弟子たちにも良くない影響を与えます。
新唐人テレビの数人の司会者の服装も若干問題があると思います。もし自分がもっと純正な次元まで修めることができれば、もっと多くの衆生を救うことができるのではありませんか?
夏が近づいています。今の人類社会は道徳が著しく低下し、体の露出やセクシーな表現、刺青などは正しいこと、あるいは流行だと思われていますが、修煉者は身を正し、それに流されてはいけません。容易なことではありませんが、本当に自分を厳しく律すれば必ずやり遂げることができます。