【明慧日本2016年5月20日】山東省煙台市の法輪功学習者の畢建紅さんは、法輪功を学んでいるのが原因で、数年間、不当拘禁や残虐な洗脳などの迫害を受けていた。2007年にいかなる法律的根拠もなく12年の判決が下された。刑務所にいる期間中、畢さんは残酷な迫害で命を失うところだった。2015年6月、畢さんと母親は中国の最高裁判所、最高検察院に迫害の元凶の江沢民に対する告訴状を手渡した。
畢建紅さん |
畢さんは「この迫害で一緒に生活している母さえ3年の不当判決を受けました。私と一緒に母も済南の女子刑務所に拘禁されました。刑務所は母性愛を利用して、私に法輪功を放棄するよう強要しました。彼らは私が迫害される場面を母に見せ、高齢の母を苦しめようとしたのです。母は毎回私を苦しめる残忍な音と私のうめき声を聞かされました。滅多打ちの激しい音、健康だった娘が骨と皮ばかりにやせこけて、まるで人体標本のようになって何度も昏睡状態に陥り意識不明になり、ぼさぼさの髪でベッドにいて、布団の中に人間が入っていないような様々な光景、このすべてを目にした母は四六時中刃物で心がえぐられるようで、精神状態が何度も崩れました。その残虐な環境の中で、私は毎日死に直面していました。いつか一蹴りの後、あるいは誰かの平手打ちで死んでしまうかもしれませんでした。この言葉通りの人間地獄に、あふれているのは邪悪と残虐でした! 私は自ら経験しなければ、信じることができないほど、残虐の極まりまで訓練教育され、そこには人間性がまったくありませんでした」と語った。
以下は畢さんが述べた済南女子刑務所で迫害された情況である。
2006年10月15日、私は法輪功の資料を作成したとの理由で、臨時洗脳班に3回目の連行をされ、ひどい迫害を受けました。私は彼らに「なぜ『真・善・忍』に従い守る善良な法輪功学習者を虐待するのですか? 犯罪を恐れないのですか?」と聞きました。 彼らは「江沢民の『打ち殺しても責任を問わず、死なせれば自殺と見なす』の指示があるから、やりたい放題に死ぬほどお前を苦しめるぞ」と気楽に答えました。その後、私は留置場に連行され5カ月半拘禁されました。弱りきった私は法廷まで支えられて、家族に知らせない状況下で、いかなる根拠もなく秘密裏に12年の判決を下されました。
2007年4月23日、私は済南女子刑務所まで連行されました。当日の夜、法輪功学習者を迫害するため設けた合同訓練隊に入れられました。あの時から、私は暴力的に転向を強制されました。そして様々な非人道的な苦難は2年間続きました。
朝6時から夜12時まで、刑務所は私に対して絶え間なく邪説を注ぎ込みました。私が法輪功を堅持するため、長時間にわたって立たせられたり、罵られたり、寝させなかったり、暴力を振るわれたりなどの手段で侮辱されました。
迫害に抗議するため、私は断食の方法を取るしかありませんでした。ちょうど冬の時、済南の乾燥している空気が非常に冷たくて、気温は零下10数度でした。彼らは私に冬着を許さず、凍ったベランダに座らせました。あの時、私の体はすでに極度に衰弱していたにも関わらず、私に対する暴力は止めませんでした。私は断食と灌食の苦しみに耐えながら、更に寒い中で殴られたり蹴られたりなどの苦しみに耐えなければならず、毎日がたがた震えて、耐え難く非常な苦痛でした。
拷問のイメージ図:冷たい水をかけられる |
私は苦しめられて皮と骨だけになって、心臓の機能も衰弱し、動悸はとても微弱で、血圧もとても低かったのです。死にそうになった私を見て、彼らは私を病院に運び、ちょっとだけ生き返らせたら、また引き続き迫害を加えました。暴力を振るわない時は、ずっと立ったままの姿勢を強制し、睡眠を許しませんでした。ある日、私が囚人服を拒否したため、10数日余り、服を脱がされショーツだけでした。
拷問の実演:滅多打ち |
このように迫害されても、私が依然として「真善忍」を放棄しないことを見て、10数人の囚人が一斉に私を滅多打ちして、地面に打ち倒しました。私は何度も息ができなくなって、窒息しそうになりました。両足はあざだらけで、痛くて我慢できませんでした。髪の毛が引っ張られて、抜け落ちた毛が全身と地面に散らかっていました。あの悲惨な場面は思い出したくもありません! 彼らは大笑いしながら「江さん(江沢民)はすでに指示を出している。打ち殺したら自殺と見なされるから、俺達は何も恐れる必要がなく、お前を殴れば殴るほど表彰される。俺達も減刑してもらって、早く家に帰りたいもんだ」と話していました。
拷問の実演:足を踏みつける |
冬になると、辛い日々が続きました。断食と灌食の苦痛以外に、更に厳しい寒さの中で暴力を加えられました。お湯を提供してくれないため、私は冷たい水で洗面とシャンプーをしなければなりませんでした。4カ月以上断食していた私は、極めて衰弱し、足も凍傷になり、腫れた足は靴を履くことができず、便所と洗面所の掃除を強制された時、何度も卒倒するところでした。
このような残忍非道な迫害に直面して、あの時の1分1秒が苦痛を満ちていて、1日が1年のように長くて辛く感じました。私はあの歳月の苦しみを言葉で語ることができません。それでも私が済南女子刑務所の4年間で受けた迫害の氷山の一角でしかありません。