文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年5月26日】「叔母さん、良いニュースと悪いニュースが一つずつあるの。どちらのニュースを先に聞きたいですか?」「先ず、良い方から話して」「私たちのクラスには80人以上の生徒がいて、私の成績は前学期の10番から6番になったの。悪いニュースは私の数学の点数は57点しかなかったこと」。これは子どもと私のチャット上での交流でした。子どもは自分でも少しきまり悪そうでした。
一般の子どもにとって、この成績はごく普通です。しかし、この子にとっては普通ではありませんでした。
初めてこの子に会った時、この子は6歳になったばかりでした。目の動きが鈍く、歩く時は、私の母の中国服の後ろを引っ張って、一歩進むにも手放せませんでした。この子は頭を下げて同じ所で何時間もぐるぐる回り、時には声を出して笑い、口はひっきりなしに痙攣し、人の話は聞いても全く理解できず、しかし、気にもしないで、完全に自分だけの世界の中にいました。
この子は元々は可愛い子どもで、一度病気に罹った後、このような状態になってしまいました。その後、家庭の中にはもう楽しそうな笑い声はなくなり、母親はいつも眉間にしわを寄せ、父親はなす術もなく、その苦悩が表情からうかがえます。両親は家に知的障害児がいると恥ずかしくて、外では頭を上げられないと思い、この子を私の両親にあずけました。
隣のおばさんは私の母に「この子はまだ小さいから、早めに精神病院で診てもらった方がいいですよ。そうでなければ、この子はだめになりますよ」と言いました。母は字が読めないので、子どもを都市部に住んでいる私の所に連れて来て、この子を診察に連れて行ってほしいと言いました。
私はこの子におもちゃを与えて試してみました。この子はおもちゃを恐れて2分もしないうちに、遠くまで放り投げました。私はこの子を抱きしめ、涙が止めどもなく流れました。この子は知的障害になって、今後の人生ははるかに長く、私はどうすべきかと考えました。
私たちはある中央病院に行きました。医者はこの子を診て「癲癇」と診断し、治療には数万元の費用がかかると言いました。田舎の人は病気は運命であり、それを担っていくのだと言います。母も私もお金はなく、母は「この子を連れて帰り、ゆっくり育てていこう」とそっと私に言いました。
私たちの部屋は10平方メートルの社宅です。こんなに大きい子どもが階段に手をついて一段一段よじ登り、トイレでは怖がって大きい声で泣き・・・、この経験は今でもまだはっきり覚えています。
私には子どもがいないので、子育ての経験もなく、さらにどんな方法があるのかも分かりません。その時、私は法輪大法をちょうど学び始めたところで、まだ修煉をよく理解できていませんでした。私は法を拝読し、煉功し、この子もそばにいました。師父は私を加護してくださると同時に、この子もみてくださいました。この子は病気になった後、記憶が失われましたが、私のところで徐々に回復し始めました。ある日、突然一言、二言、話すようになり、またある日、突然なにかを思い出しました・・・。
このようにして、この子は日に日によくなっていきました。医者は不思議に思いました―この「癲癇」の子は薬を飲んだことがなく、治療も受けたことがなく、病気は日に日に重くなるはずなのに、どうしてよくなったのか? 大法弟子は知っています。大法弟子の子どもは大法のご加護があり、奇跡が現れたのです。
その後、この子も法輪大法の煉功動作も身につけ、時には、法も学びました。大法はこの子の知恵を開きました。学校の勉強は日増しによくなり、成績も上がりました。今、このほっそりとして可愛い、人に好かれる、利発な女の子を見て、私は感無量です。大法がなければ、師父がいらっしゃらなければ、この子はどうなっていたでしょうか?
ここで、私は人々にお伝えしたいことがあります。「法輪大法は素晴らしい!」「法輪大法は正法です!」