文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年7月18日】私は小敏と言い、27歳の女性です。ケーキ工場でケーキを作っています。この職業につくことができたのは師父のおかげです。
昨年9月のある日、座禅が終わって、心の中で師父に「私は簡単な安定したしごとが欲しいです」とお願いしました。そのあと、あるケーキ工場が毎月2500元の賃金で、見習募集を情報をネットで見かけました。私はとても嬉しくなって、電話をかけると、面接に来て下さいという返事を頂きました。面接の時に、工場長は私に幾つかの簡単な質問をして、その場で即、採用が決まりました。
しばらくして、私はこの工場で仕事を始めました。ケーキ工場はまだ設備の搬入と、掃除をしていたところで、正式な稼働は始まっていませんでした。工場長が私と何人かの同僚に事務所の机をきれいに磨くように命じました。机の引き出しや隅は油汚れがひどくて、シミが目立っていて、拭き掃除をするだけでは落ちませんでした。同僚たちは諦めて、机の埃をたたき落として、携帯をいじり始めました。
私は大法弟子ですので、会社から給料を頂いている分をしっかり働かなければ申し訳ないと思い、1人で金属たわしで机の中から外まで全部磨きました。ちょっと大変でしたが、師父の「たとえ小さなことでも全力で尽くさなければならない」という教えを思い出し、穏やかな気持ちと幸福感に満ちあふれました。同僚たちに対する不満もありませんでした。
工場長は私がきれいに磨いた机を見て、満足そうな笑みを浮かべました。
数日経ち、またもう1人のマネージャーが、私たちに窓ふきをするようにと命じました。窓の位置はとても高く、梯子を使わなければ届きません。少し危険な作業です。内装工事が終わったばかりでしたので、窓枠や、レールの中に小さなセメントの塊がたくさん転がっていたため、鉄のヘラを使わなければ取れませんでした。煩わしいので、同僚たちは他所へ行きました、私は1人で梯子に上り、窓をきれいにしました。
工場が正式に稼働を始めました。工場長はトイレ掃除の仕事を、私が所属している生産部に指示しました。生産部の同僚たちはみんな嫌がり、主任も不満そうでしたが私はこの仕事を嫌がりませんでした。いつも1人でトイレ掃除をしました。同僚たちは私がトイレ掃除をしているのを見て、申し訳ないと、たまに手伝ってくれたりしました。ある日、私が便器の掃除をし終わった時、主任がやってきました。私がきれいに掃除した便器を指さして「ここまできれいにするとは」と驚いた様子でした。私は微笑みました。
私はケーキの製造技能をマスターしようと、仕事に全力を尽くしたため同僚や上司に良い印象を与え、この工場で真相を伝える環境づくりの道を開きました。生産部の大多数の同僚は「三退」しており、暇なときに、私が学法をしていると、同僚たちも近寄って来て、大法の書籍を覗きに来ました。
仕事の環境は整いましたが、心性を高めるために、試練が現われました。私と姉妹のような間柄だった主任は、ある日から突然私のことを無視し始めました。私と会話をしない上、私の仕事を他の新入社員に与えました。私は慌てました。何が起きたのか全く見当が付きませんでした。
私は大法弟子であり、内に向けて探さなければなりません。「彼女のことを傷つけたのだろうか? それとも、前世で彼女に借りがあったのか」と頭の中でその原因を探しました。師父は「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです」[1]と説かれましたので、どんな理由があっても、私は感情的にならず、平常心を保とうと決めました。
口で言うのは簡単ですが、実行するのは困難です。私は胸が痛くなり、1人で隠れて泣きました。家に戻り学法に専念しました。心性を高める機会を逃してはいけないと自分に言い聞かせました。「なぜ主任の態度をそんなに気にするのか、彼女に媚びを売りたいのか、それとも昇進したいのか、賃上げをしてもらいたいのか」と自分に問いかけました。すると、自分にある良くない心を見つけました。それらの良くない心を見極めて取り除く決心をしました。
次の日、会社に出勤して、彼女に挨拶をしようとしましたが、無視されました。気落ちして、挨拶の言葉をそのまま飲み込みました。辞職することまで考えました。同僚に愚痴を聞いてもらいましたが、同僚から同情は得られませんでした。ふと、私は目が覚めました。これは私が乗り越えなければならない関であり、修煉していない常人に愚痴を聞いてもらってもいいことがあるでしょうか? 彼女たちは皆、真相を知っている人たちなので、もしも私が誤まった行動をすると、今まで伝えた真相は全部無駄になりかねません。私は大法から、常人の中で良い人間に、よりもっと良い人間になるようにと教わりましたが、私は出来たのでしょうか?
主任は私の仕事を他人に配分してしまいましたので、自由に使える時間が増えました。同僚の仕事を手伝う以外、私は大量に学法することにしました。良くない心が現われたら、毎日少しずつ取り除いて、業力も少し滅した気がしました。私の心はますます平静になり、主任の態度が気にならなくなり、慈悲の心を持って彼女と接することができるようになりました。
ある日、突然主任は自ら私に話しかけ、私に仕事も配分してくれました。私は嬉しくてほっとしました。今回の心性の関を乗り越えたのです。師父、有難うございます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』