文/安徽省の大法弟子
【明慧日本2016年8月1日】母は1997年に法輪大法の修煉を始めたので、私も小さい頃から大法と接してきましたが、修煉を始めたのは2007年です。法を正す時期の大法弟子として、この上ない幸せと誇りを感じ、師父の慈悲な済度に言葉に表せないほどの感謝を抱いています。
私は若くて落ち着きがなく、時々無意識に自らが得意とする分野で自分自身を見せびらかす癖があります。この言動が周りの人々の反感を引き起こしているのですが、自身がこの状態に全く気付いていないどころか、却って調子に乗ってそれを拡大させてしまい、その結果、どんどん嫌われ者になっていきました。せっかちで怒りやすい短気な性格をしているので、自分の言葉が他人を傷つけたり、つまらないことで相手と争ったり、時には家族や同修に協力して何かをしている時でさえも、言い争いになってしまいました。
執着心というものは取り除かなければどんどん積み重なっていき、業力を引き起こします。業力は負の物質なので非常に悪く、自らの空間場を持ち、多くなるとさらに悪いものを引きよせて、身体的、精神的な様々な苦痛をもたらします。顕示心、歓喜心、闘争心などの執着心を取り除かなければ、生活や仕事に多くのトラブルをもたらし、周囲の人との関係も悪くなり、周りから孤立して悲しくなったり、孤独を感じたりして、なかなか明るくなれないのです。
学法するにつれて自分がこのようになってしまったのも、トラブルを引き起こすのも、全ての原因は自分自身にあり、自身の心が正しくないと気づきました。このような歪んだ心の状態を正し、穏やかな心で他人と接し、常人との関係をバランスよく保つようにしていくと、他人との関係が変わりはじめ、以前の不満も、辛さも、孤独感も一切なくなり、体の上から下までのすべてが楽になった気がしました。
大学3年の頃、一時的に色欲の心が非常に強く、道でかわいい子や露出の高い女の子が視界に入るたびに思わずじっと見つめてしまい、アダルトビデオまで見るようになりました。その結果、体に異常が起きて太ももの内側が崩れてただれてし非常に痛いため、うまく歩くこともできない状態が1週間ほど続きました。邪悪による迫害であっても、師父の導きであっても、この面で大きな漏れがあることに変わりはありませんでした。
色欲の心は修煉に多くの妨害をもたらすだけでなく、身体にも大きな障害をもたらし、まるで鋭いナイフのように痛みをおびながら自身の執着を気づかせてくれました。
心を静めて内に向けて探すと、色欲の心は極めて大きな執着であり、修煉者が徹底的に取り除かなければならないものです。常人社会にも「すべての悪は淫を第一とする」という諺まであるのに、修煉者であるなら、なおさら高次元の基準で己を律し、厳粛な態度で色欲の心に向き合わなければなりません。
それから自分の考えに気を付けるようにし、悪い思考が生まれた時は直ちにそれを取り除いて、それ以上考えないようにしました。また、普段の発正念の時も、自身の空間をきれいにすることに力を入れて、悪い思考が入り込む隙を与えませんでした。
それぞれの次元にはそれぞれの基準があり、高次元には高次元の基準があります。それは決して揺らぐことはありません。そこに達していない限り、相応の次元に上がることは絶対にありえないのです。