文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年8月2日】私は無学な70代の大法弟子です。きょうは「天目でみたもの」を書きだします。師父は私たち大法弟子のために数えきれない巨大な忍耐と期待をお持ちだと、わかりました。同修らを激励するとともに、法を以て師とし、速く精進しましょう。精進しなければ、ほんとうに間に合いません。
ある日、私は座禅して煉功しているとき、次のような一幕を見ました。師父は足を組んでお座りになり、頭上に旧勢力の圧力とすべての大法弟子の重い業力を受けて耐えていらっしゃいました。このとき、ある声が師父に「終わりましょう!」と言いました。師父は「まだ、待ちましょう」とおっしゃいました。私は心がとても辛く感じ、涙を流しました。
最近、私が座禅して煉功しているとき、また次のものを見ました。師父のお体は非常に大きく、前回と同じように足を組んでお座りになり、涙を流していらっしゃいました。私は小さい子供になり、師父の膝の上に座り、師父のお顔を仰ぎ見て、涙を拭こうと思いましたが、私はあまりに小さすぎて、師父のお顔に届きませんでした。この光景を見て、多くの大法弟子の修煉が法の上で高まらず、各自の次元の基準を達成できないことに気が付きました。時間はすでに迫っていますが、救われた人数は師父の要求と大きな差があります。師父は悲しそうに待っていらっしゃいました。
数日前、私が静功を煉っているとき、また一幕が見えました。私は1人の同修の手を引いて一緒に前へ走りました。突然二つの高い梯子が私たちの前に現れました。私たちは共に各自の梯子を上っているうちに同修の梯子が突然ぐらぐらしました。現実の中で、同修は心性の関門を越えようとしていますが、師と法を敬わなければなりません。私は同修に「恐れないでください。両手でぐっと梯子を掴まえて共に天に昇りましょう」と言いました。一層の梯子を上ったら、一層の天に達しました。一層一層の天を通って、頂点に近づいたとき、私の頭は上層の天に、足は下層の天にありました。私は力いっぱい上層の天に上りました。下を見ると、同修も先ほどの私の状況と同じように止められていました。私は力いっぱい同修を引き上げました。このとき、大きな船が間もなく出発しようとしているところでした。「まだ、待ちましょう」という声が聞こえました。大法弟子を拘禁している多くの門が全部開かれました。ある年配の方が古代の筆を持ってなにか書いていました。私が「なにを書いているのですか」と尋ねると、彼は「大法弟子は間もなく位に帰ります」と答えました。私は「位に帰ることに、なにか基準がありますか」を聞くと、この方は「法を以て師とし、心性の基準に基づいて位に帰るのです」と言いました。
同修たちよ、師父の億万年の慈悲と苦心の済度に背かないでください。速く精進しましょう。師父は私たちを待っておられます。この万年の機縁を失わないでください。
(編集者・以上は年配の大法弟子が自分の次元でみた所見です。同修たちよ、法を以て師としてください。皆さんは師父が『二〇一五年米国西部法会での説法』、『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』の中でおっしゃったことが重いと感じましたが、実際の状況はもっと厳しいのです。現在の毎日は師父が黙々として耐えておられることによって延ばされています。よくできていない大法弟子はまだ走って追いかけるチャンスがあります。いまだに救われていない衆生もまだ救われるチャンスがあります。修煉は厳粛です。機縁を失わないようにしましょう)