【明慧日本2016年8月4日】黒竜江省ハルビン市の法輪功学習者・孔繁哲さん(男性)は2003年2月21日、不当に逮捕された。その3日後の24日、家族は「遺体に会いに来るように」という知らせを受けた。孔さんは連行された21日に死亡したと知らされた。遺体には縫合された長い傷口があり、後頭部にも穴が開いて、血が流れているのを家族は確認した。孔さんは享年33歳。
孔さんはハルビン秋林会社に勤めていた。1996年春、法輪功の修煉を始め、「真・善・忍」に従って自分を律した。仕事に熱心な孔さんは、上司や同僚、お客さんから評判が良かった。
1999年7.20、江沢民は法輪功への迫害を開始した。孔さんは3回北京へ行き、法輪功の実態を訴え、陳情した。1回目の陳情の際に、孔さんは天津に到着してすぐ連行され、収容所で殴打された。その後、地元に送還され、鉄の椅子に座らされるなどの迫害を受けた。
2002年、孔さんは法輪功の真相を伝えたため、ハルビン市南崗区公安支局に連行された。
2003年2月21日、南崗区公安支局の国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官数十人が孔さんの住宅を包囲し、ドアを壊して押し入り、孔さんを連行した。警官はパソコン、プリンター、用紙、衣服、布団などを押収した。
3日後の24日、家族は同公安支局から孔さんが逮捕されたことを知らされた。家族が面会を求めると、道里区(ハルビン市に位置する区)のとても辺鄙な荒涼とした場所に連れて行かれ、老朽化した1軒の平屋に到着した。家族は引き出された氷の棺の中に孔さんの全裸の遺体を見た。母親は驚いてほとんど倒れそうになり、突然、話すとことも考えることできなくなった。警官は「通報があり、21日に孔繁哲を逮捕した。われわれが部屋に入った時、孔繁哲はすでに飛び降り自殺していた」と言った。
母親は別れて3日後の息子の顔を見た。顔には凝固した血痕があった。それは流れ出た血液ではなく、飛び散った血液が凝固したもので、母親が爪でそれを剥がそうとしたが、分厚くてなかなか剥がれなかった。顔には掻き傷もあった。血まみれの遺体の下顎から恥骨までナイロン糸で縫合された長い傷があり、また、紫色のあざも身体のあちこちにあり、腫れているところがあった。
家族が孔さんに服を着せようとした時、孔さんの両腕、両足が折れていて、後頭部には穴があり、血が流れ出ているのに気づいた。
家族は警察に遺体解剖の報告書を請求したが、「ない」と答えた。
事情を知っている人が話した。 「孔さんの遺体が安置所に運ばれた時、全身血まみれで、血は絶えず流れ出ていた。遺体をそのまま、氷の棺に入れられなかったため、水道の蛇口から長時間水を流して洗うしかなかった」
その数日後、遺体は火葬された。
家族は訴えようとしたが、当局に阻止された。現在、両親は孔さんが中国共産党による臓器狩りの早期の犠牲者ではないかと疑っている。
警官に押収された孔さんの身分証明書と1200元はいまだに家族に返されていない。
孔さんの高齢の両親は息子の死にショックを受け、健康状態が悪化したという。