文/湖北省の大法弟子
【明慧日本2016年8月9日】師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私の毎日の睡眠時間はわずか3、4時間です。いつも夕方7時に帰宅して、食事をしてから少し学法をして、8時半に寝ます。夜11時50分に起きて、発正念をして早朝3時50分まで学法をします。3時50分から5時50分まで煉功し、6時の発正念をしてから、「真相の手紙」を書き始めます。真相の手紙とは、法輪功の資料を封筒に入れて、受取人の住所と名前を書いたものです。毎朝15通ぐらいの手紙を準備してから、私は朝食を作ります。妻、息子と一緒に朝食を食べてから出勤します。出勤や帰宅の途中に真相の手紙とDVDをポスティングして、また夕方7時ぐらいに帰宅します。
そのような生活リズムは2009年1月から始まりました。しかし、続けることは容易いことではありません。特に夜12時以降のとても眠い時、私は姿勢を変えて、立って学法したり、跪いて学法したり、水で顔を洗ったりしていると、だんだんと慣れてきて、眠くなくなりました。
どうして2009年1月から始めたのでしょうか? 2009年1月、私は7年の不当な拘禁を終えて家に戻りました。失った時間を取り戻したくても、毎日仕事があって、学法と煉功の時間を除いて真相を伝える時間はほとんど残っていません。そこで、睡眠時間を削ろうと私は決心して、毎日の睡眠時間を3、4時間に短縮しました。慣れてからは、生活の各方面もそれに合わせて調整し、今はバランスの取れた生活リズムになっていて、真相を伝えることをするための時間を充分確保することができました。
法会を通じて、私の十数年間の修煉体験をみなさんと分かち合いたいと思います。
正々堂々と真相を伝える
1999年、法輪功への迫害が始まってから、私は同修たちと一緒に政府部門に法輪功の情況を説明しに行きました。私は法輪功との出会いをこのようにして政府の職員たちに伝えました。
私は1979年~1993年の間、軍の部隊にいました。退役した後、地元の共産党紀律検査委員会の総務部に勤務しました。その当時、頸椎症、冠状動脈性硬化症、座骨神経痛、狭心症などを患い、毎週のように病院に通い、帰宅してからはまた妻にマッサージをさせたりしました。いろいろな気功をやってみましたが、全然効果がありませんでした。1995年、同僚に法輪功を紹介されたことがきっかけで、私は法輪功を始めて、すぐに体が健康になりました。
私の仕事は食堂の管理です。以前は、食材をこっそり家に持ち帰ったり、仕入れる時にレシート上で水増ししたりしました。その当時、国営企業で働く中国人はみんなそうしていましたが、修煉してから、私は真・善・忍に基づいて、不正なことを一切しませんでした。
家庭という修煉の環境を守る
2009年1月に刑務所から出所して、真っ先に直面した難関は家族に法輪功の真相を伝えることでした。妻は私に離婚を切り出しました。大法弟子が離婚をすれば、修煉するために離婚にまで至ったと世間に誤解されてしまいますので、私は絶対に離婚しないと心に決めました。
妻からは多くの文句を言われました。私は「それはすべて中国共産党がもたらした迫害です。師父と大法が中傷されているのを見て、弟子の私は出てきて法輪功の真相を伝えないわけにはいきません。以前私の病、息子の病、父の癌、みんな煉功して治ったではありませんか? あなたも知っているでしょう。邪悪は私だけでなく、私の家庭にまで迫害の手を伸ばしてきたのです。私たちは仲睦まじく、ケンカをしたこともないでしょう。私は離婚しません」と話しました。
その後、妻は離婚の話をしなくなりました。私は洗濯、掃除、食事の支度、電気製品の補修など多くの家事を引き受けました。時には、小さな事で妻は愚痴ったりしますが、私の修煉状態が良くなるにつれて、妻の心のプレッシャーも緩和され、愚痴らなくなりました。
話題をうまく切り開けば、衆生は喜んで真相を聞いてくれる
法輪功の真相を伝える時、私はよく自分が軍人だった経歴から話し始めると、私の話に反感を持つ人はいません。「1988年、私は中国とベトナムの戦争に参戦して、少佐にまで昇進しました。1989年6月の天安門事件の時、私が所属する部隊は天安門広場に弾薬と軍服を運びました。私は天安門事件の目撃者です」、「中国共産党は毎回の政治運動の中で、どれだけの中国人を死なせたか、お分かりでしょうか」と聞くと、普通の人は「知りません」と答えるので、私は「8千万人ですよ」と言って、法輪功の真相を言い始めます。
ほかにも、毛沢東は文化大革命を起こし、鄧小平は1989年の学生運動を鎮圧し、江沢民は法輪功を迫害していると話し聞く人を惹きつけます。最近は王立軍と薄煕来の事件、世界に名を轟かせている神韻公演などを話せば、すぐに本題に入ることができます。
発正念を重視する
私は発正念をしっかり行っています。正午の正念は仕事のためにできない時もありますが、その後、私は必ずあとでやります。法輪功の資料を作る時、疲れたとき発正念をすると、すぐに回復します。真相を伝える時も、私はまず相手に対して発正念をして、彼が救われるのを邪魔する要素を一掃します。真相の手紙を出す時も、私は手紙に対して「手紙よ、無事に届いてください」と話しかけます。
夫婦生活を断つと、真相を伝える時は更に力強くなった
毎日しっかり学法と煉功を続けているため、私は1日中何をやっても元気いっぱいです。その上、夫婦生活を断ったことで全体の状態がいっそう良くなり、真相を伝える時も更に力強くなりました。それは私の長年の体験です。
同修と交流する時、自分の執着を暴露することを私は別に恥ずかしいと思っていません。私はいつも自分の問題をさらけ出しますが、メンツが立たないとか、聞く人に軽蔑されるとかの配慮もしません。色欲と夫婦生活を断ちたいと私は同修たちに言っていましたが、しかし、ずっときれいに断っていませんでした。
ある日、妻とセックスをした後、1匹の蛇に足を噛まれた夢を見ました。同修にその夢を教えると、同修は「修煉界において『蛇』は往々にして『色』を意味しますよ」と教えてくれました。そうだったのか、本当に色欲を断たないといけないのだと私は思いました。妻は修煉していませんが、夫婦生活に対して最初から淡泊です。昔、軍にいた時、私は年に一回しか家に帰りませんが、帰った時も妻は子供と寝て、私の寝室に入りません。これからは夫婦生活をしないと私は誓い、妻に私を監督するように頼みました。しかし数カ月、半年ぐらい性欲を抑制したあと、とうとう抑えきれずに妻とセックスをした後に、便所などとても汚い場所が夢に出てきます。私は泣き出すほど焦りましたが、そのような状況を何回も繰り返しました。しかし嬉しいことに最近の半年は全然繰り返していません。夫婦生活を断ってから明らかに元気いっぱいになって、頭の回転も速くなり、真相を伝える時に以前より勇気も強くなりました。
師父と大法を信じれば、何も問題にならない
はじめて法輪功の真相を伝える時、恐れる心もあって動揺しました。相手に罵倒されて、資料を捨てられることを何回か経験してから、意気消沈して弱音を吐きたい時もありましたが、諦めずに続けて、とうとう、相手が資料を受け取ってくれることが多くなりました。
だんだんと自信が強くなって勇気も増し、今は住宅団地で資料を配ったあと、警備員にも配っています。私の仕事は多くのマンション管理会社に関連があるため、以前、団地の警備員に資料を配ることを控えていました。今、団地を出る時に私は警備員に「道を案内してくれて、ありがとう」とあいさつして、その後真相を伝えて、資料やネット封鎖突破のソフトを渡しています。
緊急状況に遭う時に師父に助けを求めることを思い付くことができるのは、師父に対する最大の「信」だと私は思います。資料をポスティングする時、人に目をつけられて尾行される時、警備員に職務質問をされる時……私は師父に助けを求めて、毎回無事に危機を解消することができました。
以上は私の些細な感想です。不足なところは、みなさんのご叱正を仰ぎたいと思います。
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子修煉体験交流会の発表原稿)