文/遼寧省の大法弟子 空悠
【明慧日本2016年8月25日】私の周りに、家庭の難関に陥り、とても悩んでいる同修がいます。家庭の泥沼から早く脱出しなければ、その難がより深刻化し、ひどい場合、修煉の障害にもなりかねません。私は、3回家庭の難に直面した経験から、「正念を持って、難関を乗り越えれば、必ず『新たな世界が開ける』」[1]と体得しました。私の体験を書き出して、皆さんと交流したいと思います。
(一)
夫とは自由恋愛で結婚しました。結婚前、自分が大法の修煉者であることを彼に打ち明けるべきだと思いながら、一方で、彼がどう反応するか、とても気になって仕方ありませんでした。「とても重要なことを、あなたに言わなければなりません。法輪功の事を聞いたことはありますか」と私は聞きました。彼は一瞬複雑そうな表情をしましたが、「知りません」と話題をそらしました。彼は嘘を言いました。「法輪功は佛家の正法です。天安門の焼身自殺はでっち上げです。大法はぬれ衣を着せられたのです」と彼に言いました。上辺の内容は少し耳に入ったようでしたが、2人が一緒になるということは、相手の「欠点」も受け入れなければならないということです。彼は心配そうに、「あなたが外の集会(法会)に行かず、あちらこちで喋らず(真相を伝えること)、家で法を学んで、煉功をするならば、問題はない」と言いました。私も仕方なく承諾しました。
最初の頃、彼の前で煉功する勇気はなく、彼に軽視されるのではないかと心配しました。その後、何度も重病の時、私が法を学ぶことによって健康を取り戻したので、夫も次第に大法の神秘性と慈悲深さを感じるようになりました。体調が悪くなれば、彼のほうから、「本を読んでみれば」と促されるようになりました。その後、私は正々堂々と彼の前で煉功し、彼もできるだけ邪魔をしないように、静かにしてくれました。ある日、私が「衝灌」をやっている時、目を開けたら、彼もこっそり動作を学んでいるのを見ました。一瞬、この生命も済度されるのを待っているのだと思いました。
(二)
三退に関して、私はいつも口を開く前に、もうすでにドキドキしてしまいました。恐れる心は自分を苦しめました。結婚して1年後、何度も夢の中で、夫との縁を見せられました。実は、私たちはいくつもの世でずっと、夫婦か或いは愛し合う間柄でした。夢から目が覚めると、心の中は五味のように複雑で、自分と関係の深い生命を見つめ、恐れる心から、彼に三退を勧められないことを悔しく思いました。私は心の中で、「あなたは心配しなくてもいい、必ずあなたを救いますから」と言いました。
あの頃、夫は共産党の戦争映画を好んで見ており、このような番組があれば、決してチャンネルを変えませんでした。これは彼に対する妨害でした。そこで、私は毎回まず正念を発して、彼を妨害する邪悪の生命を一掃するようにしました。その後、「大法は正法です。私は何度も病気の時、法を学べば、元気になったのを知っているでしょう。それは、正法しかない善と力です」と言いました。彼は認めました。私は引き続き、「法輪大法はすでに100以上の国々に広がりました。しかし、中国だけが禁じられています。その上、迫害され、多くの大法弟子が殺害されています。中国共産党は悪いものです。善悪には報いがあります。今、天災や事故が多いのも、共産党の悪政の結果です。今2億の人がその組織から退きました。あなたも三退しましょう。幼名でも結構です」と言いました。彼は言葉を濁して、「はい、はい」と言いましたが、真剣に考えていないようでした。
明らかに私の心は純粋ではありませんでした。三退を勧める時、私は息切れしそうになるほど緊張しました。恐れる心があるため、威徳と力も小さくなりました。そこで、私は法を学び、引き続き正念を発しました。随分経ってから、私は再び夫に三退の話をしました。彼は「はい、いいよ、いいよ」と言いました。やはりなんとなくごまかしているように思いました。しかし、前回よりは一歩進んだ感じでした。
またしばらく経つと、私は落ち着きを取り戻しました。私はできるだけ恐れる心や情を放下して、正式に彼に三退を切り出しました。彼は「退きます。あなたには何回も言ったじゃありませんか。あなたの言う通りにしますから。偽名でもなんでも構いません。一つ作ってください」と言いました。普段の日常生活の中で、絶えず真相を伝えた甲斐があって、夫は今回決していいかげんな気持ちではなく、本当に分かったと私は確信しました。なぜなら、毎晩、寝る前、彼は必ず、大法の本を少し読んでくれるようになり、それに、もう共産党の戦争映画を見なくなったのです。
私たちを囲む周りの人、出来事、環境は、すべて私たちの修煉の状態を表しています。現れる問題のすべては、取り除くべき心の顕れです。私にとっては、恐れる心より、情と安逸心の難のほうがもっと大きかったのです。
(三)
ある日、彼の前で、初めて法輪功の資料を出して、夕方、夫と散歩の時に配布しようと提案しました。夫も賛成してくれました。私はとても嬉しく思いました。こうして、散歩しながら、資料を配布できて、夫の理解も得られ、なんと素晴らしいと思いました。
しばらくして、私はさらに20部の定期刊行物を持ち帰って、ベッドに置き、「今晩、一緒に配布に行こう」と言いました。今回、彼は激怒して、大声で、「なぜ次から次へと資料を家に持ち帰るのか、どれだけ危険なことなのかわかるでしょう」と問い詰めました。彼は厳しい声で、「あなたは以前どのように私に約束したのか? 外へ資料を配布しない、あちこちで話さないと言ったでしょう」と言いました。彼のいつもと全く違った態度に私は驚きました。しかし、その瞬間、私は過ちを犯したことが分かりました。私は決して約束してはいけないことを約束しってしまったのです。それは私が撒いた種です。旧勢力はその隙に乗じて、今、わたしに挑んできました。その結果、私がいくら説明しても役に立たず、彼は全く理性を失い、ひとしきりの論争の後、私たちは冷戦状態に陥りました。
私達は口喧嘩をしたことはなく、彼は私を怒ったこともありません。今、このような事態になるとは予想もしませんでした。私たちの生活は一変して、緊張した雰囲気が充満し、言葉一つ一つに嫌悪と苛立ちで、生活は一気に苦痛になりました。私の精神は崩壊寸前になり、時々、座るのも大変で、甚だしきに至ってはベッドに寝込んで起きられませんでした。私は自分の理性を保つように、すべてを放下して、本当の原因を探しました。それは自業自得で、自分の安逸心と情がもたらした災いだと分かりました。また、私は本当に資料を配布することを重要視しておらず、それを散歩の付属品として、ついでにやることとして位置づけ、さらに夫に対する情も多くあったことに気が付きました。
苦しみの中、私は元気を出して、心の中で師父に、「師父、この関門は絶対乗り越えます。この問題に立ち向かい、この問題を解決します」と言いました。彼の不機嫌な顔を見て、私は常に試されていると感じました。彼の前で、私は多く釈明をせず、話すときは、必ず彼の分かる一面に対して話しかけるようにしました。
彼の振る舞いは、「彼の背後にある旧勢力の邪悪の要素が彼を操り、私と喧嘩させている」ことが分かりました。私は心を平静にして、生活の中の彼のすべての言葉に対して、真摯に対応しました。交流は少なくなりましたが、心を動じませんでした。夫に対する情を淡泊にし、彼を救い済度すべき衆生とみなしました。私は心の中で、「彼は大法に救われるべき生命です。大法を認めるかどうかはこの生命の分かっている一面が選択するものです。誰も干渉してはいけません。彼を操って、彼に大法や大法弟子に罪を犯させるものをすべて解体する」との念を発しました。
私は追い詰められた立場から、冷静を取り戻し、さらに旧勢力に立ち向かって、人を救い済度するまで、わずか3日間に起きた出来事でした。1日目、夫はとても凶暴で、しきりに「約束も守れなければ、何が修煉か」と私に迫り、怒り、私の説明を聞くことも拒否し、大法の本も返してくれませんでした。私は簡潔な言葉で彼に真相を言い続け、言葉一つ一つを彼の心の深くまで届けるようにし、彼の分かる一面に聞かせました。同時に正念を発して、邪悪の要素を一掃しました。
翌日、私達の関係は和らいできました。大法のことさえ口にしなければ、生活の中のコミュニケーションは基本的に正常になりました。彼は、もう資料を配布しないと誓ってほしいと言いました。もしそのように約束してくれれば、今まで通り大法の本を読み、仲良く生活すると言いました。そして、要求はこれ一つだけだと強調しました。これは情に対する試練で、今までの幸せな虚像を断ち切れるかどうかの試練だと思いました。そして、「このような言葉を発しているのは本当の彼ではなく、大法に同化したがる生命は決してこのような妨害することをしないはずだ」と確信しました。私は再び過ちを犯しません。あのような誓いをすることは、自分を害するだけではないからです。そこで、私は、「この事を認めません。私は間違ったことをしていません。私は大法修煉をして、多くのものをいただきました。しかし、利己的な人になりたくありません。これから、大きな災難が起きます。真相を知らない人たちを助けないわけにはいきません。誰でも分かる一面を持っています。あなたは分かりませんか?」と言いました。
3日目、転機が訪れました。すべては2日前と大きく変わりました。「あなたのことはもう知らない。もう知らない」と夫は言いました。「今日、私は資料を配布に行きますが、あなたは行きますか」と彼に聞くと、彼は、「行かないかと言うなら、行きません。でも、街角で待っています。車がなければ困るでしょう。運転手がいなければ困るでしょう」と怒ったふりをして夫は言いました。実はすべてはすでに解消されたのです。
たったの3日間で、師尊の慈悲なるご加護の下で、私は関門の中で、地獄と天国を経験しました。3日後、すべては普通通りになりました。彼は今までと同様、私に本を読むようになりました。今、私が何か間違ったことをすれば、彼は法理で私の間違いを指摘し、気づかせてくれるのです。彼はいつも、「私は常人ではない」と言っています。ある夜、私は真相シールを貼りに行きましたが、しかし、ためらって決まらず、なかなか貼る勇気はありませんでした。途中で夫に出会うと、彼は私を車に乗せ「あなたはなにをしているか分らないの? どうして怖がるの? 恐れる心があるのではないか」、「人に構わないで、車から降りたら、貼りなさい。恐れることはありません。今すぐ貼りなさい。私が見ているから」と言いました。そこで私は大きなシールを貼りました。その後、私たちは車で無事に帰宅しました。
少し前に、私は突然一つの考えが出て、彼に、「三退って本気でないとだめですよ。神佛は人の心を見ておられるから、いい加減な気持ちではだめですよ」と言いました。夫は「知っています。あれだけ本を読んでいるから。私は分かっています」と言いました。
私はとても感激しました。この生命は、本当に救われました。
もし本当に師尊がおっしゃったように実行できれば、必ず、正々堂々と家庭の関門を乗り越えることができると私は体得しました。最後に師尊が『ロサンゼルス市法会での説法』での法を謹んで心に留めておきましょう。「ここでちょっと話したいことがあります。家族になかなか真相を伝えられない人がいますが、これはあなたのやり方が間違ったからです。一つは、家族のどこが誤っているのかをあなたは分からず、何が原因なのか、あなたははっきり分かっていないのです。もう一つは、家族に真相を伝えるとき、皆さんはいつも、家族を救い済度すべき衆生としてではなく、自分の身内として見ています」[2]、「修煉者として、このことをはっきりと分かっているはずで、常人の親族の観念にとらわれてはいけません。 相手を一人の衆生、ほかの人と同じ衆生として、救い済度すれば、真相を伝えるときの効果は変わってきます。必ずこのようになります。まず、相手を自分の親族としてではなく、あなたが救い済度しようとする相手として、話せば、きっと違います。実は、彼の生命にも分かっている一面があり、今生ではあなたと家族ですが、来世にはほかの人と家族になると、彼の生命の本質は分かっているのです。しかし、本当に正念で彼を済度していれば、彼の真念ははっきりと分かることができ、彼も常人の情にとらわれなくなります」 [2]
注:
[1]李洪志先生の著作:『転法輪』
[2]李洪志先生の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』