文/未署名
【明慧日本2016年9月5日】ここ数日間、私は師父の「波紋を呼んだ副元神に関する文章について」の経文を学んでいます。
経文に基づいて自分と照らしあわせた結果、私は大きな問題点に気づきました。それは、大法修煉者としての慈悲心がないことです。おまけに、自分の認識を過度に強調し、自分の限られた認識で、すべてのことを測っていることです。
かなり典型的な例を上げてみます。
例えば、妨害に直面した時、衆生に対して慈悲であるべきと口先だけで言っています。しかし、法に基づいた心性の基準に達していないので、具体的に対応するとき、やはり慈悲心が足りず、どうせ救われないから、滅されてもしょうがないという思いがあります。これは多くの修煉者の共通の問題です。これこそが、修煉者それぞれが直面しなければならない大きな問題点だと思います。