文/中国の大法弟子 石秀
【明慧日本2016年9月16日】私は女性大法弟子です。「真相を伝えることと衆生を救うことは急務である」ということを法を勉強して認識しました。数年来、家から数十キロ離れた山村や田舎町を歩き回り、四季を通して真夏でも真冬でも、風雨にさらされても、関と難の中で、師父は何度も奇跡を現し、加護してくださり、私を励まして前進させてくださいました。
師父はコンパスをくださった
何年もの間、法輪功の資料を真相を伝える中で、多くの場所へ行きましたが、ほとんどは地名さえもわからず、特に夜に不慣れな場所で配っていると、配りながら歩き回るうちに方向を見失い、東西南北さえわからなくなってしまうことがありました。このような時、師父は何度も人を按排して道を教えてくださったので、順調に配り終えることができました。
ある日の晩、家から20キロ以上離れた場所で資料を配っている時に方向を見失い、夜が更けて人は寝静まり、道を尋ねようにも人がいなかったのですが、気に掛けずに続けて配りました。すると、人の命を救いたいという私の気持ちを師父はご覧になり、縁のある人が帰り道を教えてくれるよう按排してくださいました。
ある時、同修と列車に乗って隣県の山奥にある村へ資料を配りに行き、午前10時に山に入り、村があれば歩きながら資料を配りましたが、歩けば歩くほど山は深くなり、村も少なくなってきて、最後に木が高くジャングルのような場所で方向を見失い、山から出て行く道が見つからず、夜の9時過ぎになってもまだ山の中をうろうろしており、その後、廃棄されたあばらやで一夜を過ごしました。初春の山は寒く、寒さで全身が震え、一日何も食べておらず、水も一口も飲んでおらず、眠れなかったので、法を暗唱し、正念を発して、この山奥から出られるように師父にお願いしました。次の日の朝、地面も木の上も厚く雪が積もっていました。太陽が昇った方角から方向を見分けた後、小道を見定め、最後に山奥から出てきました。
ある日の朝、起きた後、庭で小さくて丸い物を見つけましたが、気にとめませんでした。さらに2日経ち、その小さくて丸い物が家のテーブルの上に現れ、手に取って見てみると、それはコンパスでした。その時、「あっ! 私が何度も道に迷うのをご覧になり、師父がコンパスをくださったのだ」と心が震えました。私は言葉に表せないほど心の中で感謝しました!
霊性のある法器
この数年、自転車に乗って農村へ行き、村のあちこちを訪れて真相を伝え資料を配りましたが、時には遠くまで自転車で行き、往復100キロ以上の道のりで乗るのに疲れると、自転車を叩きながら「自転車よ、あなたは師が法を正すことを手伝い衆生を救い済度するための法器です。あなたも一つの生命で、大法に円融しなければなりません。少しつらいけれど、私たちは人を救っているんですよ!」と言いました。自転車は私の話を理解したかのように、さらに軽快に走れるようになりました。自転車に乗って家に着いて、はじめてチェーンが切れていることに気づいた事が何度もありましたし、タイヤの空気がすべて抜けていたのに自転車に乗って家に帰って来た事もありました。そして、私の自転車に霊的なものがあることを発見したのは、前方や周囲に危険な状況があると、自転車は「ぶぅーん」という音を立てて知らせてくれることで、その場合、すぐにその場を離れました。
さらにある時は、同修とオートバイで遠くの山地に資料を配りに行った帰りの路上で、オートバイの下側から「ざっざっ」という音がしたので、二度下りてみましたが特に問題に気づきませんでした。そしてさらに50キロ走り、もう少しで村に到着するところになって、エンジンが止まってしまい給油口さえ動かず、仕方がないのでオートバイを押して行きました。村の通りにちょうどオートバイの修理店があったので、修理するためにオートバイを押して入って行きました。エンジンを開けてみると、車輪を動かすベルトがすでに摩擦で灰になり、1本のベルトがちぎれて10センチの3本の線になっていたので、エンジンを修理していた人はとても不思議がりました。常識がある人ならわかりますが、ベルトがちぎれて2本になってしまってはオートバイは使えないのですが、このオートバイはベルトが灰になるまで走り続けていたのです。
山の神は山奥から私を出してくれた
ある時、列車に乗って隣県に法輪功の資料を配りに行きました。歩いて山を越えなければならず、道の両側は丈が高い木と密生した草むらで、道は十数キロもあり、付近の村人の話によると、この道は悪人や強盗がよく悪事を働く場所で一人で歩いて行く人はおらず、誰も車でしかここを通らない、ということでした。その日、人が多く道を歩いている村で資料を配り終わりましたが、40冊以上の資料がまだ残っていたので、山を一つ越えたところにある村まで行って配りました。
帰り道を歩いていると、何時ごろか覚えていませんが、老人が私の前をゆうゆうと歩いており、前を歩いていると思ったら、またたく間に私の後ろを歩いていたりしました。老人は全身が黄土色の服を着て、30センチぐらいの石を担ぎ、石には八卦図が彫られていました。その時、隣県のバスが通り過ぎましたが、老人はバスに乗らず、にこにこしながら「どうしてバスに乗らないのですか?」と聞きました。顔を上げて老人を見ると、顔は紅くつやつやとして慈悲深い顔つきで、髪の毛は真っ白でしたがとても元気そうでした。私が「まだ用事がありますから」と口から出まかせに言い返し、頭を下げて歩き出し、まっすぐ歩いてすぐに山を出ようとした時でも老人は動かず「山を下りるなら村にバスがあるから、歩いて行く必要はないですよ」と私に言いました。そう言い終わるか終らないうちに、老人の姿は消えていました。私はそこにぼんやりと立ち「師父が山の神を老人に演化させて私を送り届けようとなさったのだ」ということがわかってきました。
明かりが私について来た
冬のある午後、バスに乗って50キロ以上離れた山間部で資料を配りました。目的地に着いた時、雪が舞っていましたが、空はまだ暗くなっていなかったので、まず山の中の森に入って正念を発し、私が行く先々で衆生を救うことを妨害し、破壊し、邪魔をしようとする空間場の全ての邪な要素を取り除きました。空が暗くなった後、歩いて戻りながら配りました。うっかりしていて、資料を置いた場所がとてもはっきりしていたので、悪人が車で追ってきたため、急いで草むらの中に隠れました。その車は道を行ったり来たりしながら私を探していました。車が去った後、道に沿って歩きながら配りました。車が通るたびに、私は草むらに隠れました。空が暗いという条件を利用して、隠れながら歩き、配っていると、両足の裏に血豆ができ、歩くと骨にまで突き刺さるように痛むので、靴を全て脱いではだしになって歩き、小石が血豆に当たるとさらに痛みましたが、歯を食いしばって頑張り、歩みを止めませんでした。
その時はもう真夜中で、私のような50~60歳の女性がひとりで山道を歩き、時たま思い出したかのように野鳥が声を立てるとひどく恐ろしくなりました。しかしこの時、右側の山の上に明るい赤い光があることに突然気づき、私が進むと明かりも進み、明かりはずっと私を導くように20キロ以上進み、山から出て来ると、赤い光もなくなりました。わかったことは「師父が演化した明かりが私を照らし、私に勇気を出させてくださった」ということでした。
大河のそばの村と村のそばの小川
ある年の秋、同修と車で隣県のA町へ資料を配りに行きました。目的地に到着して戻る時、南から北へ車を走らせながら配り、走っていた方向は東北でした。6キロ車を走らせた時、大河が道を塞いでおり、私たちは不思議に思い、川辺で釣りをしていた老人に「ここはどこですか?」と聞いてみました。老人は「ここはA町の西南方向だ」と言いました。えぇっ、私たちが車を走らせてきたのは何と180度反対方向でした。そこで逆戻りして車を走らせると、しばらくして大きな村を発見し、村に入った後「この大きな村は3県の境にあり、真相の空白点だった」ということを知りました。出会った人には資料を配り、真相を伝え、三退を勧めました。大通りまで戻って来た時、私たちは再びA町の東北方向にいることに気が付きました(訳注・A町の西南方向からA町に戻る途中なのであるから、本当はA町の西南方向にいるはずなのである)。そこで「師父が他の空間で地理的な方位を変更し、私たちにこの場所の衆生を救わせたのだ」ということがわかりました。
さらにある年の夏、大雨が降った後の次の日、自転車に乗って資料を配りに行きましたが、自転車で走ったのは土の道で、自転車のタイヤや靴とズボンが全て泥まみれになってしまい「これでは大法弟子としての身なりに支障が出る」と思いました。しかし、しばらく進んでいくと小川が現れ、小川に下りて行って自転車やズボンや靴をきれいに洗ってから引き続き前方の村に向かって行き、配りました。しばらく経ってからまたその場所を通ると、さっきの小川はなくなっており、村の人に尋ねると「もともとそこに小川はありません」と言われました。あぁ! 「私が泥まみれになり先に進めないことをご覧になった師父が、小川を演化し、体の泥をきれいに洗わせてくださったのだ」ということがわかりました。
師父のご恩に対して表す言葉が見つかりません。ただ精進し着実に修煉し、師父が按排してくださった道をしっかりと歩んでいくだけです。
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)