文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年9月27日】私は何かをしようとするとき、まず思い付くのは、自分が誇りに思った過去の成功した経験ややり方です。何かを行う過程の中でも、やはり自分の従来のやり方の方が良い、そうしなければどういう結果になるとか、やはり自分のやり方が正しいという方程式を証明するように、ずっと自分を証明しようとしていました。例え全てがうまくいったとしても、次はどのように段取りし、頭の中で計画を立てていました。長年の修煉の中で、私はいつもこのようにしていました。学法の時は自分が一番幸せだと感じていました。それは私に師父がいらっしゃるから、全ては師父が完璧に按排され、自分はあらゆることに対し余計なことを考えたり、心配したりせず、ただ行うべきことを行えば良いと思いましたが、本を読み終えたあとはこの穏やかな状態が直ちになくなり、直ぐに具体的なことの中に入り込んでしまいました。
私はいつもこのような平静で穏やかな状態と、焦りや意地張りの状態を繰り返し苦しんでいました。心がえぐり取られたような苦しみに耐えながら、深く自分の内に向かって探しているうちに、自分はまだ師父と大法を信じきっていないのは、これは天と戦い、地と戦うという中国共産党の党文化の考え方だと気付き、状態も良くなりました。しかし、それはただ自分で抑制しただけで、その考えがまだ表に出ようとし、まだ自分を主張しようとしました。自分にはそれを取り除く力がないと感じ、十数年修煉していたのに、どういうふうに修煉するかすらもわからなくなったと思い、とても悲しかったのです。
ある日、ある関門を乗り越えようとし、表では内に向かって探すようなことを話していましたが、実際はこのこと自体はそのようにすべきではなかったとか、本当はこういうふうに行うべきだったとか、正念だとか、大法に対して責任を果たすべきだったとかと話した時、突然、夫は私の話を中断し、「先に大きく、はっきりした声が聞こえ、何を言ったかわかりますか? その4文字は『証実自我』(訳注:自分を実証する)だ!」と言いました。
それを聞いた時、私は本当に驚いて、師父が厳しい表情でこの私を、この不甲斐ない弟子を見つめられていると感じました。その瞬間私はとても恥ずかしくなり、今回こそこの関門をしっかりと乗り越えよう、そうしないと私はダメになると思いました。「証実自我」、「証実自我」・・・私はずっと心の中でこの4文字を繰り返し念じていました。突然私は自分の頭が非常に明晰になって、先の強がっていた「自分」、自己中心的で、尊大でうぬぼれが強い「自分」が私の前に立っていて、傲慢そうな表情で私を見つめていました。その「自分」は、これまで私をずっと支配していたのに、今まで私はその「自分」を抱擁し、誇りに思っていました!
今度こそ勇気を出してその「自分」と向き合うときが来たと思いました。私はこの十数年間、法を実証した道のりを振り返って考えました。一体その中に慈悲心を持って行ったことは、どれくらいあったのか、真に衆生の安否に対し責任を持って行ったことは、どれくらいあったのか、また自分を証明するために行ったことは、どれくらいあったのでしょうか。最初は大法を守るために始めていましたが、だんだんと自分を証明するために行ったことは、どれくらいあったのでしょうか。圧力、邪悪を前にして屈することなく歩み続けてきましたが、師父への正しい信念はどれぐらい増え、自我に対する執着はどれくらい膨らんでいたのでしょうか!
修煉の中で、どれくらいの愚痴や恨む心が、自分を実証する欲望を叶えられなかったのが原因だったでしょう。またどれくらい抑えきれなかった争いは、自分を証明するのが目的だったでしょう。放下できなかった名誉や利益に対する執着心は、それもまた自分を証明するためのものだったのでは・・・と、これ以上、考えるのが怖くなりました。
師父は『オーストラリア法会での説法』の中で次のような質問応答が書かれていました。
弟子:問題にあった時、何かを考えている時、いつも自分のどうこうを考えているばかりで、どうしても取り除くことのできない根本的なものがあるようです。ですから、とても悩んでいます。どうして正覚という状態を保つことができないのでしょうか?
師:本当に素晴らしいのです。あなたが取り除きたいこの心は私に見えています。これが修煉です。自分の私心、その根本的なものを完全に取り除くには一つの過程が必要です。それは人生の半分を経て形成されたものです。あなたは修煉の中できっとそれを取り除くことができると私は信じています。これが「私」というものの根本なのです。これに気づくことができ、修煉の中でそれを取り除くよう努力するがことでき、非常に素晴らしいのです。これが修煉なのです!」[1]
私は厳粛にその尊大な「自分」に対し、今宇宙は法を正す最中にあり、新しい宇宙はこの上なく純粋で清らかであり、今すぐあなたをこの宇宙から根こそぎ取り除かなければいけません!
私は心の中で絶えず師父に助けを求め、それを取り除くよう粘り強く正念を発していたとき、師父がそばにいらっしゃり、師父のご加護と正念の威力をはっきりと感じました。さらにその「自分」は一層一層と滅せられ、力がだんだん弱くなって私を支配するどころか、その「自分」が念を起こしただけで、私はそれを掴み取り消滅しました。
以前、自分の嫉妬心、名利心、顕示心を見つけたとき、また自分の心の容量が足りないとき、私はいつも正念を発してそれらを取り除こうとしましたが、正念の力を感じず、麻痺してしまい、結局仕方なくそれらの良くない心で念じるしかありませんでした。今私はそれらの良くない心に対して正念を発するのではなく、業力や観念によって構成された自分を取り除くようになってから、力が大きく感じました。ちょっと心が動じただけで、直ぐたち止まって、どうして心が動じたのか、どの観念が刺激されたのか、またどのような「自分」が現れてきたのかと細かく自分に問いかけます。見つけた時点で、随時正念を発して取り除きます。
以前いつも夫に「何を考えていますか?」と聞くと、夫は「何も考えていない」と答えます。そのときその答えを聞くと、とても不思議に思いました。何も考えていないというのは、どうしてありえるのでしょうか? それはどんな気持ち(感じ?)でしょうか? 今やっとそれを感じ取ることができました。過去の経験をまとめたりせず、未来のことも心配したりせず、他人に対する愚痴を言わない、自分を強調しないで、ただただ心を静め、目の前のやるべきことを着実に行います。真に師父が私たちのために全てを用意してくださり、ただ私たちが歩み出すのを待っていらっしゃると信じる、そのような感じがします。
これは私が修煉の中のわずかな体験ですが、みなさんと分かち合い、もし不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘を、よろしくお願いいたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』