【明慧日本2016年10月13日】山東省済南市の法輪功学習者・陳秀梅さんは昨年6月24日、警官に連行された。拘禁されて8カ月、陳さんは迫害より、今年2月28日に死亡した。享年59歳。
陳さんは済南ファッション会社の職員だった。陳さんはかつて、潜在性二分脊椎症を患い、医者に35歳までしか生きられないと宣告された。
1995年、陳さんは法輪功に出会い、人生の意味を理解できるようになり、いつも、法輪功の教えの「真・善・忍」に従って自分を厳しく律し、他人のことを優先に考え、人とトラブルがあるとき、寛容な心を持って内に向かって探した。誠実で温厚でかつ活気が満ちた陳さんは、生命が短いと宣告されたが、法輪功を学んで健康を取り戻した。
昨年6月24日午前、陳さんはマンションの下で泉城路派出所、国保大隊、610弁公室、科院路派出所の警官ら7人に連行され、自宅に連れ戻され、午後2時まで家宅捜索をされた。警官は家にあるパソコン3台、プリンタ3台、法輪功関連書籍、資料、コピー用紙、携帯電話4台などの私物を押収した。翌日、警官はまた、陳さんが買ったばかりの新しい家に行き、家宅捜索して、パソコン、プリンタを押収した。警官らは陳さん夫婦を泉城派出所に連行し、夜10時になって、陳さんの夫を帰宅させ、陳さんを留置場に移送した。
同時に、警官は陳さんと携帯電話で連絡取っている田さんという法輪功学習者も連行し、陳さんに部屋を貸した大家さんも連行したが、翌日、大家さんを解放した。田さんは1カ月ほど拘禁されて解放された。
情報筋によると、済南市歴下区公安局の国保大隊の指示を受けて泉城路派出所は陳さんを連行したという。警官は「陳を前から監視していた。陳の車に監視機器を置いていた」と話した。
その後、泉城路の警官は数度も留置場に行き、陳さんに「知っているほかの法輪功の名前を言え。パソコン、プリンタや、法輪功の資料はどこからもらったのか? 誰と連絡を取っているのか」などと尋問し、法輪功をやめるようにと強要した。陳さんは警官らの要求をすべて拒んだ。
陳さんは留置場に拘禁されて2カ月のとき、案件が検察院に送られた。4カ月間も立件されなかったので、本来、解放すべきだが、陳さんはそのままずっと、留置場に拘禁され、数度も尋問を受けた。そのため、陳さんは精神的にダメージを受け、体力も弱くなり、記憶力がかなり低下し、うつ病が再発してしまった。
陳さんの夫は陳さんのために前後、4人の弁護士を雇った。4人目の弁護士は陳さんと面会したとき、陳さんの精神状態が普通ではないことに気づいた。そして、その弁護士は検察院に行き、「陳さんは精神病になっています。法律に基づいて、拘禁はしてはいけないことです」と話した。検察院の人は「まず、病気の検査をしてください」と言って、陳さんの案件を泉城路派出所に差し戻した。
しかし、留置場側が陳さんの健康状態を無視し、陳さんの検査を2カ月ほど遅らせ、陳さんの貴重な治療時期を逃してしまった。
今年2月29日、陳さんの病気に医者が立会い診察し、診断結果が出たら、陳さんは帰宅できるはずだが、前日の28日午後2時、陳さんの夫は泉城路派出所から電話を受けた。陳さんの夫は電話を受けた後、慌てて、武装警察病院に駆けつけたが、見たのは陳さんの冷たい遺体だった。留置場側が夫に、「今日、午後1時過ぎ、陳秀梅は食事の後に横になって、心臓発作を起こした。留置場で陳秀梅に救急手当てをして、病院に運んだが死亡した」と説明した。
その後、夫は留置場に行き、監視カメラの映像を見せるように要求した。映像に「陳さんは両手で胸部を押さえた後、精一杯に手をあげ、人に助けを求めたが、誰も寄ってこなかった。時間が立ってから、白衣を着ている人と着ていない人5~6人が来て、救急処置を行った」ことが映っていた。陳さんの夫は十数年の経験があった医者で、映像を見て、救急処置を行う人たちは専門的ではなく、救急効果にならないと指摘した。夫は病院にも行って、カルテを見て、「心電図に問題がある。救急を行ったとき、使うべき薬の量が半分しか投入していない」と話した。つまり、陳さんは留置場ですでに死亡したか、また、病院があまり全力で救急手当をしてくれなかったということだ。
その後、家族はそれらの疑問を留置場側に話した。そして、留置場側が陳さんの留置場での健康診断などの書類を家族に見せず、所長が前後に内部の20人参加の会議を3回くらい開き、家族の対応対策を練った。留置側が『留置場に拘禁した人の死亡に対する処理規定』を持ち出して、家族に陳さんの遺体を火葬するように強いた。仕方がなく、家族は同意するしかなかった。それから、3月31日に陳さんの遺体を火葬した。お葬式に、留置場の17人の警官が監視していたため、陳さんの夫と娘、息子2人の4人しか参加できなかったという。