【明慧日本2016年10月13日】私は農村の婦人です。1996年7月に法輪大法を学び始めました。中学生のとき、家を離れて地方の学校に行った私は、学校の寮に住みました。寮の環境が悪くて、東北の真冬で冷たい板のベッドに寝ていたため、患った関節炎が悪化してしまいました。ひどいとき、ひざの痛みで歩けなくなり、つらくて泣き崩れることもありました。その後、2回もケシャン病にかかって、心臓発作を引き起こしました。症状としては、息が苦しくて、深く息を吸わないといけないし、坂を上るとき、一気に上れず、数回も休みを取らないといけませんでした。さらに、三叉神经痛や腰を曲げて歩くしかできないなどの症状が現れ、薬をたくさん飲まなければなりませんでした。その後、少しよくなったものの、常に体調不良でした。
そのとき、家はとても貧困でした。母親が病弱で、父親はタバコを吸わず、ギャンブルもやりませんが、酒が大好きでした。私はいつも、たった十元の学費を払うのに、どこかで借りなければならなかったのです。弟2人とも頭がよくて勉強ができ、一番下の弟も高校に合格しましたが、家の経済状況で3人の学費を払えず、弟2人が学校を辞めるしかなかったのです。私は一家の希望になり、一生懸命勉強しましたが、神経症になったため、大学への進学を断念し、家に戻って農業の仕事を始めました。
高校を卒業したばかりのとき、私は万の思いがすべて灰に帰(き)しました。一日中、私は小さい部屋の隅に座り込んで、話もせず、人と会うことも嫌でした。部屋にこもらないときは、清潔な服を着て、1人で河のそばに座ったりしました。両親は私が自殺するのかと思って、弟たちに私を監視するように言いました。私は自殺することを考えていなかったのですが、ただ、貧困の家に生まれたせいで、自分の未来がないと考えました。「小さくて部屋2つしかない我が家は、雨が降ると雨漏れするし、病弱の母親が憑き物に付かれているし、徐々に大きくなった兄と弟の結婚のために嫁への贈り物(新郎側から新婦側へ結納品を贈る風習がある)にかかる費用など」を考えると、心に大きな石を置かれているように感じ、気がとても重くなりました。
その後、私は家を離れ、温室栽培の仕事を2年間しました。夜になると、温室の棚に座り、往来の車両を見ながら、いろいろ考えました。出家することも考えました。
1996年7月1日、私は突然病気になりました。手足に力が入らなくて、農業の仕事ができなくなりました。仕方がなく、帰宅しましたが、家につくと、弟から両親が煉功しに行ったと聞くと、「今、誰もが稼ぐことだけを考えているのに、何で煉功なんかするの?!」と腹が立ったのです。 私は怒りながら、煉功場に行きました。煉功場に入ると、師父の写真が目に入りました。そして、煉功している人たちに親切に声をかけられ、「これを読んでみてください」と師父の経文を渡され、1篇を読まされました。それから、煉功者の中にとても信望がある人がいて、私はその人に「煉功は関節炎を治せますか?」と聞きました。すると、その人は「できますよ」と答えてくれました。
その後、両親の身に起きたことから法輪大法の素晴らしさを目の当たりにしました。母親は法輪大法を学んで、健康を取り戻し、農業の仕事までできるようになりました。父親はなんと、気楽に断酒できました。両親の変化は、私にとって、本当に奇跡的だと言えるくらいでした。父親は断酒してから、弟たちと一緒に、出稼ぎに行きました。たったの3年間で、我が家は新居を建て、兄が結婚し、子供も生まれました。
幸せに暮らせるようになった私たち一家は心から師父に感謝いたします! もし、法輪大法に出会えなければ、このゆとりのある生活ができると思ってもいませんでした。
私は、法輪大法を学んでから、時々しか煉功や学法をしていなかったのですが、全身の病気が知らず知らずのうちに完治しました。以前、いろいろな困惑している問題が大法の中で全て答えが見つかり、心のシコリが溶けました。人生観と世界観が大きく変わり、闇の中にいた私は、ついに曙光が見えました。
農作業はとても疲れますが、私の心は気楽です。というのは、私には信仰があるからです。大法は私に健康を与え、「真・善・忍」という良い人の標準を教えてくれました。
法輪大法の素晴らしさは本当に修煉する人しか体験できないと思います。私の周りに、病気で長年に薬を飲まないといけなかった人の例を挙げます。私の叔母さんは胃病、肝臓病、それによる貧血、婦人病などを患っていましたが、法輪大法を学んでから、病気が消え、若返りしたように、男性の若者も及ばない力の持ち主になりました。叔母さんはいつも、「私の病気が法輪大法のおかげで完治しました」と言っていました。近所の小母さんは結核性胸膜炎を患って、胸部にたくさんの水が溜まっていました。あまり病状がひどく、医者に「死後の準備をしなさい」と言われ、入院もできず、帰宅させられました。しかし、帰宅した小母さんは法輪大法を学び、奇跡的に病気が治りました。彼女たちが通っている漢方の医者も、彼女たちの身に起きた奇跡を目の当たりにして、法輪大法の道に入りました。
法輪大法はより良い人になる基準である「真・善・忍」の教えに従って、私は徐々に利己心を放棄し、他人を優先するような善良の生命になることに努力してきました。
法輪大法を学んで2年後、私は結婚しました。花嫁の結納の品に対して、私は家具や日用品など使うだけのお金しか受け取りませんでした。その年代、周りと比べると、私は一番少ないほうで、貧しい義理の両親を困らせないようにしました。私は義理の両親に「もし、かまどをわけたいなら、借金を返してからしてください。私も借金返済に協力します」と言いました。私は師父の教えに従っただけで、近隣のみんなに、「情理をわきまえている嫁」と褒められました。
しかし、1999年7月20日、当時の主席・江沢民は法輪功迫害を引き起こしました。中国全土は真っ暗になったようでした。父親と弟は2001年に、連行され殴打されました。父親は警官らにお酒を飲まされ、喫煙を強いられ、強制的に「転向」させられました。その後、帰宅した父親は落ち込み、気分が晴れないまま、その年に亡くなってしまいました。
修煉の道を振り返ってみると、私は迷うことがあって、恐れることもあって、修煉が止まる時期もありました。 しかし、師父は決して私の手を離すことがありませんでした。そのおかげで、私はやっと今日まで修練の道を歩んでこられました。私はしっかり修煉することで、師父の恩に報いることができると思っています。私は私と同じように、修煉をサボったり、前に進まなかったりすることがある同修に、「この万古の修煉機縁を大切にしてほしいです」と言いたいのです。本当に師父に感謝いたします。