文/海外の大法弟子
【明慧日本2016年10月15日】大法弟子が行うべき三つのことについて、師父は次のように説かれました。「皆さんも目にしましたが、皆さんが真相を伝えており、正念を発しており、更に個人の修煉があります。この三つのことはつまり現在の大法弟子が行っている最も重要な三つのことです。真相を伝えることは表面の人間の理から見れば、邪悪の迫害を暴露しているのです。正念を発することはそれらの救いようもない最も汚い生命の大法弟子に対する迫害を一掃しています。更に高い次元の理から見れば、真相を伝えることの本当の意図は衆生を救うことであり、人類が淘汰から免れるようにするためです。旧勢力は邪悪な生命を利用して大法弟子に対して悪事を働いていますが、その目的は試練を作ることと、私にこれらのゴミを宇宙から徹底的に片付けてもらうようにするためです。それに対し、大法弟子が正念を発することは根本から旧勢力の按排を否定し、邪悪の迫害を取り除くためです」[1]
長い間、私は発正念のことを与えられた任務を完成したかのように、終わった後はほっとしました。発正念の時間をうっかり忘れてもあまり気にしていませんでした。ある交流文章に発正念の時、必ずしも毎回発正念の要領の内容を一通り全て考えなくて良く、前回の発正念の内容と同じだと分かっていれば省略しても良い、そうすれば、もっと邪悪を取除く時間が取れるからと書かれていたので、このやり方がちょうど自分の怠ける心、面倒くさがるという観念にかなったので、そのやり方を真似しました。しかし、その後、自分は発正念の要領をほとんど忘れてしまったことに気づきました。
私はもう一度明慧編集部の発正念の文章をもう一度真剣に読み直し、発正念の要領を紙に書き写し、全部暗記するまで繰り返し読みながら如何に正しく正念を発することについて考えていました。その上、発正念に関する法理をもう一度勉強し直しました。学法しているうち、大法弟子が正念を発することは大法、大法弟子を迫害する邪悪を取り除き、大法を守ることです。同時に世の人々、衆生を邪悪の迫害から守り、大法を実証し、衆生を救い済度することでもあるとわかりました。「根本から旧勢力の按排を否定し、邪悪の迫害を取り除くためです」[1] 正に師父がおっしゃった通りだと思います。
海外の報道から、中国国内で法輪功学習者に対する生体臓器狩りが減るところが増える傾向にあると聞いて、気持ちが重くなり、今一度自分の修煉状態を見直す必要があり、同修が迫害されることは自分にも責任があると思いました。
去年5月、江沢民告訴をしてから半年間、邪悪は依然として訴状を提出した同修を迫害していました。私は内へ探し、やはり自分は中国国内の同修に対する関心が足りず、同修のことを自分のことと見做していなかったし、海外にいながら、救援電話の活動を表面上形式的にしか行わず、十分に電話を掛けることが出来なかったと反省しました。
長い間妨害され発正念のことも重視しておらず、発正念で邪悪を取り除く全体の効果が師父の要求通りに達していなかったのは、私自身が担うべき部分の邪悪がきれいに片付けられなかったのが原因かも知れません。そのため、結果として中国国内の同修が迫害されたことになったかもしれません。本当に発正念を重視すべきだと思いました。
師父は『精進要旨』「正念」の中、発正念に関して「①精力を集中して、頭を絶対にはっきりさせ、理性的で、念力が集中しており、強大なものでなければなりません。宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなければなりません」[2]と教えてくださいました。
ある日正念を発したとき、「絶対」の二文字が突然とても大きくなり、その二文字を発音する声がとても重く感じました。この二文字の重みはどれほどのものでしょうか! 他空間では邪悪をきれいに取り除き、大法を守り、衆生を救い済度し、師が法を正すこと手伝うということは、どれだけ神聖で厳粛なことでしょう! 本当は少しの雑念もあってはならないのに、どうして以前は認識出来なかったでしょうか? 今、私はやっと師父が大法弟子に発正念をさせることの重大さと深い意味がわかりました。
師父は「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません。旧勢力とそれらの邪悪な要素による妨害はつまり、皆さんの考えにある隙に乗じており、ここ数年来ずっとこのことをやっており、旧勢力が操っている卑しい鬼と邪党の要素はずっとこのようにやっています。皆さんの人を救うことができないようにし、なぜなら、直接対決をすると、あなたに勝てないからです」[3]とおっしゃいました。特に「あなたは試してみようと思ってもいません」[3]の部分について私は深く考えました。発正念するよう師父に要求されてから十数年も経っているのに、師父はなぜこのようにおっしゃたのでしょうか? それは自分が想像した以上に意味が深いためだと私は理解しています。正念をしっかり発することが出来れば、大法弟子に対する旧勢力の按排を変えることができ、自分自身の周りの環境をきれいにして、法を正す中で行ったことは師父が望まれた通りに順調に行うことができると思います。
それ以外に、正念を発することは新宇宙の特性に符合していない、旧宇宙の「私のため、自分のため」の要素を正すことができます。特に中国共産党の邪悪な要素による発正念への妨害について、師父はここまで明確に話されたのに、自分は以前認識できず、重視していませんでした。
自分の修煉状態を振り返ってみると、かすかに見え隠れしている嫉妬心、なかなか取り除けなかった闘争心、他人に指摘されたときに不快や不満を感じる心、自我への執着が重いなど、これらは全て党文化の現れです。数十年も党文化に浸され、それらの要素があっても意識すらできず、甚だしきに至ってはそれらを助長していました。今、私は自分の修煉状態が良くない原因は、全て党文化の害毒による妨害だと分かったので、正念を発してきれいに取り除くようにしています。
注:
[1]李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
[2]李洪志師父の著作:『精進要旨三』「正念」
[3]李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」