文/天真
【明慧日本2016年11年10日】糖尿病患者に接触する前、私はこの病気がどれほど恐ろしいか知りませんでした。ただ糖尿病は慢性病で、治療できなくても命にかかわることはないぐらい思っていました。姑が糖尿病になってから、私はやっとこの病気にはなす術がなく、この病気を患ったら、昔使っていたランプのように、灯油が少しずつなくなるように生命が最後に向かっていくとわかるようになりました。
姑はこの病気を患って十数年間、インシュリンを注射しながら、生命を維持していました。毎日私が姑に注射すると、姑はやっとご飯茶碗を手に持つことができました。最初、この薬は効き目がありましたが、時間が長くなると、効かなくなりました。この薬は糖尿病の最後の薬と呼ばれ、これより効く薬はないと言われていました。姑は毎日たくさんの水を飲みました。毎日食事後、時間があまり経たない内に何回もトイレに行きました。それから、お腹が空いてしまい、我慢できず、また食べ続け、それから1回、また1回とトイレに行きました。
このような苦しみのなかで、姑はこの世を去りました。私は姑が病気になってから、亡くなるまでの全過程を目にし、この病気は実に恐ろしいと感じました。
想像できない恐ろしいことはまた後に発生しました。一度、私はおかしい夢をみました。夢のなかで、私は幼稚園に通い始めたばかりの娘にインシュリンを注射していました。夢から覚めた私は恐ろしくてたまりませんでした。もしかして、私の子供もこの病気にかかったのではないだろうか? その前に、私は娘が少し異常であることに気づいていました。常に喉が渇いたと言い、幼稚園から戻ってきたら「ママ、私はなぜ喉がすぐ渇くの?」と聞きました。そしてご飯をがつがつと食べました。娘の様子を目にして、私はほとんど自分を制御できなくなりました。
この病気は遺伝すると言われ、夫の弟の息子がすでに糖尿病と診断されて、17~18歳でしかないのに、骨と皮ばかりにやせこけていました。姑を見送ったばかりなのに、娘がまた……。娘はまだこんなに幼く、人生は始まったばかりなのにと思うと同時に、この病気は病院では絶対治療できないことも知っていました。
子供の黒くて黄色い小さな顔を見ると、私は心配で仕方なく、大きく息をすることもできませんでした。
私は大法弟子です。子供を救うには一つの方法しかないと知っていました。それはほかでもなく、娘に法輪大法を修煉させることでした。娘を救うことができるのは、師父しかおられません。
私が苦しみに耐えられない時、師父は私を悟らせてくださいました。一度夢のなかで、娘が赤いれんがの壁に大きな文字で「否」と書いていました。私は分かってきました。師父は私にこの病気を否定するようにと悟らせておられました。その後、夢の中で、師父はまた私に悟らせました。私は色白で太った可愛いい男の子を見ました。この男の子は糖尿病でした。大法に同化してから、師父は彼の身体を変えてあげました。私は師父が私に、娘をつれて、学法し、煉功すれば、法に同化した後、師父は彼女の身体を変えてくださるということだと悟りました。
それから、私は子供をつれて、修煉をはじめ、常に彼女と一緒に法を読み、師父の説法録音を聞き、また子供の宿題が少ない時、一緒に煉功しました。また、週末になると、子供を連れて、子供たちの学法グループに行き、学法し、煉功しました。
この過程で、私は子供に糖尿病患者のように食べ物を選ばせることをしませんでした。娘はキャンディーがすきで、糖分が非常に高いドリンクがすきでした。私は心が穏やかでない場合もありましたが、修煉はほかでもなく常人の観念を変えることだと思い、心配する心をなくしました。師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」と説かれました。すべて師父にお任せするべきです。私にできることなどあるでしょうか。
この間に、娘には段階的に喉が渇く症状が現れました。ひどい時は毎晩寝る前に大口でドリンクを飲み、非常に喉が渇いた様子でした。私は娘にこの方面の業力があり、師父が大部分を消去してくださった以外に、娘は自分でも一部を耐えなければならないと知っていました。ですから、私はなるべく心を動じないようにしながら、娘に学法し、煉功することを促しました。その後、娘の症状は少しずつなくなりました。
現在、娘はすでに当初の症状がなくなり、完全に元気になって、喉が渇いたと叫ぶことがなくなり、太りました。顔が白くなり、艶があります。現在小学校に通っていますが、学校の成績はずっと非常によく、クラスメートが様々な病気で登校できないときも、休むことなく、学校に通っています。いままで健康が原因で、学校を休んだことはありません。
娘に二度の生命を与えてくださった師父に心より感謝申し上げます。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」