文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年1月12日】ここ数年、わが地区では病業により肉身を奪われた同修が数人いて、思う度に心が痛みます。ここで、私は最近病業の関を乗り越えた経験を書き出して、同修のみなさんと「比べて学び比べて修す」[1]を心に置き、ともに病業の仮相から抜け出せたらと思います。
数日前、私の左の肋骨の裏あたりが痛みだし、誰かに蹴られたように、1日に何回も痛みました。どんな人心によって、これを招いてしまったのかと思い、内に向けて探し、さまざまな人心を見つけましたが、どの人心によって、左の肋骨の痛みをもたらしたかを、突き止めることは出来ませんでした。
見つけることが出来ない私を見て、師父は毎日のように夢の中で闘争心、怨む心、食べ物への執着などを指摘して下さいました。私は発正念して、それらの心を取り除くようにしました。長年修煉してきた私ですが、いまだに「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず」を実行出来ず、ときどき夫と喧嘩して争い、本当に師父の慈悲なる済度に申し訳なく思っております。
去年の秋の収穫時、田んぼの中でトウモロコシを収穫していると、左の肋骨の痛みを感じ、すぐに発正念をしました。夕方6時の発正念をするとき、痛い部位に法輪の回転を感じた後、すぐに痛みが消えました。しかし、1カ月以上が経った今、再び痛み始めました。この秋、私は三つのことをまったく行っておらず、これではいけないと思いました。
これは病気ではないと知っていて、自分の修煉状態を調整しました。家事を終えるとすぐに学法し、発正念を行い、三つのことに専念しました。「例えて言えば、瓶の中に汚いものを一杯入れて、蓋をしっかり閉めてから、水に投げ入れると、底まで沈んでしまいます。中の汚いものを出せば出した分だけ瓶が浮き上がってきます。全部出せば、完全に浮き上がってきます」 「ですから、心性の修煉を大切にしてこそはじめて功が伸びるし、次元を高めることができるのです」[2] という部分の説法を学んだとき、私は心性を修めることの重要性を再認識しました。私は日々自分の念や考えの一つずつを注意深く観察し、常に法の基準に沿って自分の言動を律するようにしました。3日後、自分が法の基準に符合するようになると、すべてが正常に戻りました。
痛みに耐えられない時は、よくない思想業力が絶えず頭に浮び、自分が死んでしまうのではないかと思いました。その時、私は正しくない念を排除し、心の中で「最後まで師父について行く」という一念を強く持ちました。師尊は説法の中で「俗、聖は一渓の間 進む、退くにより二重の天 林中の寺に入らんと欲すれば 一歩して雲煙に上る」[3]とおっしゃっています。
わが地区の病業の関に悩まされている同修には、以下の法に符合しない点があると思います。
1、師父と法を敬わず、大法の本を大切にせず、どこにでも置き本を汚しています。
2、発正念の口訣を間違え、自分の空間場をきれいにしていないと思います。
3、自身の心性の修煉を重視していません。
これらのことに気をつけて、法に符合しない点を取り除きましょう。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「實修」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「一念」