文/中国 山東省の大法弟子 清心
【明慧日本2017年2月17日】私は2年前に法を暗記しはじめて、今まで『轉法輪』を2回暗記しました。当時、自ら大法に同化するために暗記をはじめたのではなく、関を乗り越える一つの手段として試みました。
夢の中で、私は何回も色欲の関を経験し、繰り返し挫折したあげく、寝ることを恐れ、居眠りすることさえも恐れるようになりました。真剣に内に向けて探したり、学法にもっと力を入れたりしましたが、色欲の関を乗り越えることができない私は、非常に苦しんでいました。いくら自分の根基が悪くても、いくら悟性が悪くても、私はどうしても向上したく、しっかりした大法弟子でいたいと思いました! 夢から目が覚める度に私は後悔し、自分の頭を叩きながら「僕は普通の人ではない。煉功者だ。法輪大法を修煉している僕にはこんなことをしないでほしい」 [1]を何度も暗唱しました。多く暗唱すれば、しばらくは状況がよくなりますが、日が経てばまたも同じ状況に戻ってしまいます。
私は自分の学法の方式を変え、法を全部頭に入れ込めば次元の向上を遂げることができ、この「試練」を乗り越えることができると考えました。「それなら、法を暗記しよう」と決意しました。しかし、この決心はそれほど強くありませんでした。なぜなら、あんなに分厚い1冊の本を丸ごと暗記できるかどうか、暗記を持続していくことができるかどうか、普通の記憶力しかない私には自信がなく、神の話のように思いました。しかし、この方法を選択した以上、やってみるしかないと思いました。
一、法を暗記する中で観念を改める
一つ目の観念は「難しい」
毎日、私はできるだけ纏った時間を見つけては、集中して法を暗記するようにしています。通常、一段落は40~50回ほど読んでから暗記できますが、1ページを占める長い段落の場合、60~70回ほど読まないと暗記できません。こうして、10カ月が経ったとき、私は一通り『轉法輪』を暗記しました。2回目の暗記は少し早くなって、5カ月で暗記できました。
法を暗記する際、私は一段落ずつ暗記するようにしています。まず、暗記しようとする段落を3~5回ほど朗読し、その内容を理解してから間違いがないように流暢に1句ずつ暗記します。似ている句があれば、それらの内在的な関係を区別し、注意しなければなりません。それぞれの特徴がよく分かれば、暗記もしやすくなります。最後に、句をつなげて一段落を一気に暗記します。このつなげる過程も容易ではありません。つい先ほどまで暗記できた句をつなげるだけなのに、なぜか途中途中の句を忘れてしまいます。なぜでしょうか? 本を開いてみると、やはり二つの句の間に大きな落差があって、師父は違う次元において説法されていました。中間の句の意味をきちんと理解できれば暗記もスムーズになります。法を暗記する過程で、師父は厳しく私を監督されていました。どこかが間違っていれば、私は違和感を感じ、本を開いて確認してみれば、やはりそこが間違っていました。法をきちんと理解すれば、一段落をスラスラと暗記できる上、名残惜しげな感覚を覚える時すらあります。
もう一つ面白い現象があります。法の同じ段落に対して、個人的にも、グループ学法の際も何回も読んできて、同修と交流する際に引用したこともありますが、学法の過程で突然、新鮮な感じを覚えて、いかにもはじめて触れ、はじめて見たような気がしたことがあります。もっと早いうちに法の暗記をはじめればさまざまな関を容易に乗り越えることができたのにと後悔したこともあります。
二つ目の観念は「しんどい」
しんどく感じるかどうかは、心境によると思います。法の暗記をはじめた当初はしんどかったのですが、今は喜びしか感じていません。私は法を書き写しながら暗記してきました。毎回、書き写した分だけを暗記します。なぜなら、1回手で書いてみないと、ただ単に暗記するだけでは何も頭に残りません。ですので、私は2回書き写して、2回暗記しました。もっとも印象深いのは『轉法輪』の第6講でした。心境によって、法を暗記する速度や収穫も違っていました。皆さんもお分かりだと思いますが、第6講は長くて、長い段落も多くあります。1回目の暗記において、私はほぼ1日に1ページ、あるいは1段落しか覚えることができませんでした。ひどい思想業力の影響かも知れませんが、私は暗記の最中に上の空(うわのそら・心ここにあらず)になったり、以前の出来事を思い出したりして、意識が法の暗記に戻ったときすでに数分間も過ぎてしまいました。ですので、最初の暗記のスピードは、ほぼ「這って前進する」状況でした。時々焦りで泣きたくなり、諦めようとしたこともあって、希望の見えない中で心苦しいこともありました。しかし、修煉過程の挫折はすべて法の勉強不足によること、そして、今までずっと大法の外で徘徊していたことを思い出して、今回のチャンスは絶対に逃してはいけないと思い、暗記の決心を強めました。去年の夏休みの終わりごろ、ついに第6講の暗記を終えました。
2回目の暗記をはじめる前から躊躇していました。どう見ても「難しく」、どう考えても「大変だ」と思いました。しかし、いざ第6講の暗記をはじめると、案外心が静まりました。「この1講がこれだけ長いというのは、私の多くの問題はここで解決されなければならない。今までの悪縁や煉功時の良くない感覚、夢の中での良くない現象などが師父によって正され、善解された。それに、もし菩薩が『轉法輪』を暗記するなら 「難しい」と嘆くだろうか? これはまさに後天的に形成された変異した思想、特に無神論による支配、法への同化の妨害ではないだろうか? 自然に任せて、焦らず、できる分だけ暗記しよう」と考えました。驚くことに、私は初日に10ページ、2日目に10ページ、3日目に12ページも暗記できました。残りの部分は事情によって2日間をかけましたが、第6講の暗記に費やした日数は、全部で5日間しかかかりませんでした。今考えても不思議でなりません。
私はよく夜に微動だにしないで5時間ほど法を書き写し、1本のペンを使い切って、1冊の練習用ノートを使い切ってから、やっと満足気にベッドに横たわります。筋骨を伸ばした時、やっと臀部と腰の痛さを感じました。翌朝、また暗記を始めます。簡単な食事とトイレに行く以外、私は座禅してベッドに座り、残りの時間を暗記に使いました。脚は痺れて痛み出し、筋が短くなったようにぐっと引っ張っられて痛くなり、脚のあちこちに水ぶくれが出てきました。午後5時ごろ、ほぼ暗記を終えて、私は再びテーブルの前に座り、法を書き写しはじめます。第6講の暗記を終えた時、私は心が穏やかになると同時に、淡々とした微かな喜びも感じました。
もちろん個人の努力は表象に過ぎず、背後にある師父の加持が、本当の前進の原因だと考えています。
二、法を暗記する中で昇華する
2回の暗記において、2つの特別な収穫がありました。
主意識を強めた
1回目の法の暗記で主意識を強めました。以前の私は性格がとても弱々しくて、自分の考えを持てず、他人には絶対的な権威があると思い、相手の言う通りを信じ、その是非を判断せず、判断する智慧もありませんでした。少し気概のある上司からの指示なら、例えしたくなくても甘んじて受けてきました。法を暗記してからは、自分の主意識が弱すぎることに気づきました。副意識や外来の情報による妨害を受け易いのは言うまでもなく、同じ次元の常人でさえも私を振り回すことができます。
関をスムーズに、しっかりと乗り越えることができた
法を暗記する収穫は、関を乗り越えることにおいても現われました。去年11月、国保大隊の警官は江沢民告訴の事実確認をしに来たさい、私は緊張したものの思路がはっきりしていて、何をどうすべきかがはっきりと分かっていました。私は彼らの違法行為を指摘し大法の真相を伝え、最後に自分の態度を表明しました。「私は何があっても必ず法輪功を修煉し続けます。この功法は中国の現行の法律範囲内において、合法です」と訴えました。結果として、その後、私は何の妨害も受けませんでした。
以前、私が家族に知られないまま、さまざまな大法を実証するプロジェクトに参加してきたため、夫は私が調査を受けたことを聞き、激怒しました。彼は私を罵り実家に電話をかけて「××が大事を起こし、国家主席を告訴してしまいました。今日、調査を受けたのでもうすぐ逮捕されます!」と言いましたので、実家も大騒ぎになって、まるで天地がひっくり返ったような騒ぎになりました。
私は法律のことを夫に言い聞かせましたが、まったく聞こうとせず、ひたすら私を罵り、最後に自分も面白くなくなって、冷たい一言を言いました。「もしも、私が何かの措置(離婚)を取れば、人情が薄いと責めないでください!」 私は彼の意味が分かっていました。私が修煉をはじめる前から、同じ家に住む私たちは別居状態でした。誰からも良い評判を受けている私をどうにもできなかった彼は、これで私を無一文で追い出す一つの口実を見つけました。私は平然として「これは私の選択です。あなたがどんな措置を取っても責めません」と彼に言いました。彼は蔑視した目で見ながら、ドアを荒々しくバタンと閉め、出ていきました。
翌日とその翌日も大雪で、路面が凍ってしまい、公共バスが運休になりました。日々弱々しい夫は一変して、スクーターに乗り私の会社に訪ねてきました。彼は「すでに市内の『610弁公室』とよく相談して、お前の上司の協力を得た。後は、お前が『三書』を書き、訴状と一緒に北京に送ればす済む。北京でお前の過ちを認める態度を勘案してもらい、穏便に処理してもらうことにする」と言いましたが、私は断固として書きませんでした。私は彼に「国の法律に基いて告訴したので、その行為は合法的です。もしここで『三書』を書けば、自分自身に罪名をつけることになり、あなたも法を犯す連帯責任を負いますよ」と言うと、夫は協力しないことをみて、あれこれと悪口を並べたてました。横で聞いていた上司はとても驚きました。私はそれらの悪口の前後の因果関係をすべて説明すると、上司はさらに驚き、私が非人間的生活を送ってきて、虐待に等しい待遇を受けて来たとまで思いました。私を陥れようとした夫は、逆に自分自身の顔に泥を塗ってしまいました。最後に、夫はテーブルをバンと叩いて「今すぐ『610弁公室』に行って、妻を告発します。それは妻の自業自得です。まず私自身の身の潔白を証明してこないといけない!」と言いました。
『610弁公室』に向かう途中、私は夫を止めて 「あなたは行く必要がありません。告訴状は1週間前に『610弁公室』に受理されました。彼らはとっくに私の事を知っており、ここで告発すれば、人情が薄い上、まだ何の損失も受けないうちから親族を切り捨てると思われますよ。彼らはこれを笑い話とし広め、あなたと子供にとっては良いことではありません。私達は離婚しましょう。すべての財産はあなたが持って行って下さい。あなたの家は何代も男子1人だけだったので、子供も連れて行って下さい。私を戸籍から外せば、財産、仕事、名誉、家庭に、何の損失も受けません。あなたは誰と再婚しても構いません。この数日のあなたの言動は本当に私のことを心配し、考えてくれたのではなく、ただ人々の前で自分の偽善を見せつけ、すべての罪と責任を私に被せて、堂々と全財産を持って私から離れようとしただけです。ここまで来て、これ以上芝居する必要はありません。今から私達は両家の人に事情を説明しに行き、明日離婚しましょう!」と未練もなく、あっさりとサバサバして言いました。夫はすぐに同意し、まず私の実家に行き、着くとまたも同じことを言い出し、演じはじめました。私の両親は教育を受けておらず、見聞も狭く、びっくりした母は私の前で跪いたり、卒倒したり、大声で泣きわめいたりして、夫の言う通りにしなさいと私に強要しました。母が少し落ち着いてきてから、私は母に道理を説明し、修煉を絶対に諦めないことを伝え、もし、誰かが私の修煉によって不利益を被ったと言うなら、すぐに派出所で関係を断ち切る証明書を書き、提出するとまで言いました。最後に、両親は事情が分かり、私たち本人に任せると言ってくれました。
その後、夫の実家から出てきた時、私は長年の重荷を下ろしたように身軽く感じました。離婚において私は悲しいとか、辛いとか、大変だとか何も感じなかったのですが、未来に対しては、ようようと自信に満ち溢れていました。しかしこの時になって、夫は絶対に離婚しないと言い出しました。
そのころ、私は1回目の『轉法輪』の暗記を終えたばかりでした。心を静めて法を学んで来なければ、私は一歩も前進しなかったと思います。また、どんな時も恐れず、驚かず、怒らなければ、師父は常に私を見守り、加護されていたことを実感しました。時々、一度も考えたことのないセリフが口から出てきて、ちょうどよいタイミングで理に適っており、自分さえ驚きました。また、一度も経験したことのないことに直面し、どうすればよいか分からない時も、善し悪しを気にせず自然にまかせ、その一念に従うと、結果としてすごく良い効果を得たこともありました。常に法に従えば、私達の言動の一つ一つが師父のご加持を受けることになります。
師父と同修達に感謝し、合掌いたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』