文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年3月14日】私の祖父は不思議な人生を過ごしました。3、4歳ごろ誰も何も教えていないのに、祖父は自ら座禅を覚えました。曾祖父母に理由を聞かれた時 「目を開いた時に見る世界は汚いけど、目を閉じて見た世界はとてもきれいだから」と答えたそうです。また、夜明け前に目を開けると、各窓ガラスの中に小さな佛様が自転しており、それから、順に祖父の頭に入ったそうです。
1996年、私の姉はほぼ毎日のように北京の大小様々な本屋を歩き回っていました。具体的に何の本かはわかりませんが、ただ、本を探していました。そして、ついに、ある日、とある本屋で『轉法輪』という本を見つけ、即座に買ったそうです。それから何日か経ち、新婚旅行で北京を訪れた私に 「とてもいい本だから、読んだ方がいいよ」と姉はこの『轉法輪』をくれました。
帰りの飛行機の中でこの本を読み、とても素晴らしい本だと思い、家に着いたら、母にも読ませようと考えました。当時、この『轉法輪』を見て思ったのは 「この本なら、きっと母を、そして、この家を救ってくれる」ということだけでした。
生まれ変わった母
帰宅すると、母はベッドの上に座り、壁に寄りかかりながら、中国の小説を読んでいたので、すぐに 「その本より、こっちの方がずっといいよ」と『轉法輪』を渡しました。本を受け取った母はチラッと見て、興味なさそうに横に置いたので、それからは毎日早く読むようにと母に催促しました。
あっという間に1カ月が経ち、ある日、『轉法輪』を読み終えたかどうかと母に聞いたところ 「小説を読む時は全く眠くないのに、この『轉法輪』を開くと、2ぺージちょっと読んだだけですぐに眠くなって、もう1カ月も経ったけど、まだ十数ペ一ジしか読んでないのよ」という答えが返ってきたのです。これを聞いて、私は直ちに怒り出し 「せっかくもってきてあげたのに」とあれこれ文句を言いました。実は、その頃、自分はまだ修煉しておらず、ただ母に本を読んでもらって、短気なところと、弱い体を治してほしいということしか考えていませんでした。
怒った私を見た母は真面目に読むと約束してくれました。それから本を読むと、眠くならないだけでなく、度の強い老眼も治り、一気に読み終えたのです。
そして、『轉法輪』を読み終えると、母は一気に元気になりました。どうすれば本に書かれている五つの功法を学ぶことができるのかと考えている時に、師父は教えてくれる人を按排してくださったのです。数日後に、知人が家を訪ねてきて、母を近くの煉功拠点に連れて行ってくれました。これがきっかけで、母は修煉の道に入ったのです。
記憶の中の母は、私が物覚えするようになってからも毎日さまざまな薬を服用しており、その副作用により、アトピーで体にすべすべの正常な皮膚はなく、さらに、重度の便秘に長い間苦しめられてきました。けれども、本を読んでから間もなくして、母が昔から患っていた高血圧や偏頭痛、アトピー、腎炎、重症の便秘などすべての病がいつの間にか消え去ったのです。今までにないくらい元気になり、顔色も赤みを帯び、肌もすべすべになりました。毎日のお通じもありすっきりとして体調がよく、父との口喧嘩もなくなりました。
その日々で、毎日奇跡を検証していました。また、母が学法や煉功する度に私を呼び寄せて一緒に勉強していたので、私も修煉の道に入りました。
兄弟姉妹も法を得る
姉も弟も私と同様に大学を卒業後、北京で就職しました。両親がいつも喧嘩していたことが原因であまり実家に帰りませんでした。1997年の旧正月の日、皆実家に戻り、母の元気な姿と、以前と違って淑(しと)やかになり、家事もするようになった私を見て、驚きました。
母は毎日積極的にラジオを持って煉功場に行き、皆をまとめたり、新しい学習者に動作を教えたり、冬場の煉功場を探したり、煉功後の学法を仕切ったりしていました。バラバラ寸前の家庭が今や和やかで幸せな雰囲気が漂い、母も毎日ニコニコしながら家事や父の世話をこなし、文句も全く溢さなくなったのです。
幼いころから私たち3人兄弟がずっと恐れてきた母が慈母に変わり、姉や弟も毎日私と母と共に煉功場で煉功したり、集団で法を勉強したりして、常に大法の慈悲なエネルギーを感受し、2人とも修煉の道に入りました。
そして、母の変化と私たち3人の子供の状況を見た父も、大法について正しい認識を持てたのです。
一生を佛教に捧げた祖父が法を得る
最も難しかったのは、一生佛教を信仰してきた祖父が大法を修煉し始めたことです。
祖父は幼いころから東北地方に住んでおり、3、4歳ごろに誰からも何も教わっていないのに、自ら座禅を始め、他の子供たちとは遊ぼうとしませんでした。祖父の両親は不思議に思い 「なぜ、いつも座禅してるの?」と聞いたところ、祖父は 「現実の世界はとても汚れている。でも、目を閉じたときに見える世界はすごくきれいだから」と答えたそうです。そして、毎日夜が明ける前に目を覚ました祖父は、窓を見ると、それぞれの窓格子に小さな佛様が座禅したまま自転しており、その後、順次に祖父の頭の上まできて、次から次へと頭の中に入っていくのが見えたそうです。全部の佛様が入ると、祖父も起き上がりました。
畑仕事ができるようになり、疲れた時に畑に座って休んでいると、大きな鉄の塊が素早く移動しているのが見えたので、祖父は不思議に思いました。実はその頃、祖父に宿命通という功能が現れたのです。それから何年もたった後、再び田舎の東北に戻ってみると、機関車が走っていたので、あの時見た鉄の塊はきっとこのことであると驚愕しました。
祖父は根基がいいので、成人してすぐに出家しようとしました。けれども、無理矢理に結婚させられて、子供も生まれましたが、それでも、出家を諦めようとしませんでした。不思議なことに、祖父が妻子を置いて寺院に向かって出家しようとすると、なぜかその度に祖母に見つけられて、家に連れ戻されていました。祖母に聞いたところ、祖父の頭の上には赤い光が差し込んでいるため、遠い所からでもすぐに祖父の居場所が分かったそうです。こうして、祖父は今になっても出家できませんでした。
文化大革命の時、祖父は迫害を受けましたが、それでも、佛教を修煉する心は少しも揺らぎませんでした。1993年に祖母が亡くなったあと、祖父は佛教の居士になり、毎日家で経文を読んでいました。そして、その頃、皆が出家に賛成しても、祖父は寺院にいきませんでした。なぜなら、昔は寺院に行こうとする度に誰かに引き戻されていましたが、今は、寺院の僧たちは修煉すら分かっていないことに気づき、それどころか 「生きているうちに、人生を楽しむだけ楽しんで、稼げる分だけ稼ぎ、食べられる時に食べた方がいい」と祖父に言ったそうです。僧たちに佛教のことを訪ねても、もはや誰にも分かりません。
私が法を得る前に祖父に修煉したいと伝えたところ、祖父は非常に喜び、私に佛教のことをたくさん教えてくれ、経典も貸してくれました。法を得てから、常人が書いた解釈のある経典は全て処分したのです。
私たち一家が佛教をやめて、大法を修煉し始めたことを知った祖父は慌てて家に来ましたが、その時、とりあえず理解だけでもと、母が『轉法輪』を取り出して祖父に渡したところ、祖父はおとなしく本を読み始めました。すると、本の内容にどんどん惹かれていった祖父は、「これぞ、真の佛法じゃ!」と声を上げました。こうして、祖父は大法の修煉の道に入ったのです。
以前、祖父が佛教の中で修煉していた頃、どうしても乗り越えられない境界がありました。座禅する度に若いころの祖母が目の前に立って、たくさんの子供を連れ、貧しいぼろぼろの衣服を身に着け、凄惨(せいさん)な目で祖父を見つめていたのです(昔、2人が貧しい生活を送っていた頃の様子)。この状況を見ると、祖父の心が締め付けられ、心が静まらなくなります。大法を修煉してから、これ以上この光景を見たくないと祖父は師父に訴えたので、師父がこの問題を引き受けてくださったのか、それから座禅の時は、このような光景を全く見なくなったのです。もしかして、師父が法輪をくださったのではないかと思うと、一晩中お腹の中で法輪が回り続けているのを実感したそうです。
正道を求め続けてきた祖父でしたが、やっと晩年に法を得ることができました。祖父の喜びようと言えば、杖を捨てて腰をまっすぐにし、父と歩いている時、周りの人々に「兄弟」と言われたくらいです。
縁ある子が家にやってくる
1997年、娘が生まれました。1998年、娘がまだ1歳で言葉も話せない頃に、ある晩、娘を抱いてベッドで寝転んでいるとき、自問自答するかのように 「あなたはなぜ家にきたの?」と冗談交じりに聞いたところ、なんと娘は 「ママ、私は法を得るために来たんだよ」と答えたのです。
これを聞いて、全身の毛が逆立つほど驚愕しました。「これほど幼い赤ん坊が普通の人のように話せるわけがない!」と、その時から、法を得るために来たこの子をしっかり育てなければ、この子に申し訳ないとずっと思っています。
あの頃の忘れがたい修煉の中で、師父はたくさんの励ましをこの子を通じて私に教えてくださいました。私は異次元など全く見えないまま修煉しています。子供を抱いて本を読んでいると、時々、彼女の小さな手が本の表紙の法輪を指しながら 「ぐるぐる回ってる」と言います。
ある日の夜、子供が寝付くのを見てから、隣の部屋で1時間煉功しました。煉功を終えると、隣の部屋からは何の物音もしないので 「今日はおとなしいのね」と思いながら、そっと隣の部屋に向かいました。扉を軽く開けると、真っ暗な部屋の中で、ベッドで横になったまま、彼女が両手と両足を動かしながら、「師父はもう行っちゃったよ」と言ったのです。この言葉を聞き、感動と驚愕で涙があふれました。当時は、私が煉功している間に、師父が代りに子供の面倒を見てくださっていたのか、それとも、私が煉功するのを励ましてくださっていたのか分かりませんでしたが、ただ、まだ1歳前後の子供がそう伝えてくれたので、師父は本当に傍におられるということを確信しました。
毎晩、家事等をすべて終えた後、私はベッドに座って法を読み、子供はベッドの上で飛び跳ねたりしながら聞きます。そして、口を止める度に 「ママ、早く読んで」と子供が急がしてきます。学法をさぼりたくなった時は、子供が私の手を引っ張って、本を渡してきては法を読ませます。こうして、毎晩、彼女は私の周りで遊びながら、時々胸に飛び込んできては 「本の中にはたくさんの人がいるよ。みんな違う格好してるの」と言ったり 「ママ、怖い、部屋中目玉だらけなの」と言ったりします。私は何も見えないので、その時は、彼女が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
子供は毎日私と一緒に師父の『洪吟』の詩を読みます。少し大きくなってから一緒に大法が迫害されている真相の資料を配ったり、シールを張りに出かけました。純潔な彼女はまるで小さな天女のようです。ある日、座禅している時、足が激痛に襲われ、これ以上耐えられそうにない時、眠っていた子供がふと眼をさまし、私を見るなり、自分も足を組んで目を閉じ、手を重ねて何も言わずに一緒に座ってくれました。これは師父が子供を通じて私を励ましてくださっているとわかり、感動して心に温かいものが流れました。
あの頃は人生の中で最も素晴らしい時間でした。体が浄化され、心性も高まり、名利による争いもなく、仕事も順調にいき、家庭においても、損失を恐れず、食べることや遊ぶことなどの強い欲求にとらわれず、昔と比べて世界観が全く違っていました。法を得る前の自らの世界観と心理状態がどのようなものなのか今では思い出せません。
迫害されても動じない心
祖父が法を得て1年ほどたった頃、中国共産党による天地を覆うほどの勢いで法輪功を弾圧し始めました。かつての文化大革命の時にまた祖父を迫害するのではないかと共産党に怯えていた叔父と叔母は、祖父が持っている全ての大法の書籍を燃やしました。これほど大きな罪を犯した2人ですので、間もなくして、叔母は名前のわからない病にかかって植物状態になり、叔父は今でも叔母の世話をしています。
かつての祖母のように叔母と叔父は祖父を厳しく見張り、修煉させませんでした。ついに、2005年、祖父は亡くなりました。祖父が亡くなったその晩、私は赤い雲で作られた蓮の花が、次から次へと天から舞い降りてくる夢を見ました。祖父が良い所に行ったことは分かりますが、やはり、この一度きりの法を正す時期の修煉の道のりを最後まで歩んでいけなかったことが残念です。
姉は公務員で、法輪大法の修煉を諦めようとしなかったため、共産党による弾圧が始まってすぐにクビにされて、家も没収され、一家の収入が困難な状況に陥ってしまいました。そして、2002年、真相伝えをしていることが原因で懲役3年、執行猶予5年という刑罰が下され、弟夫婦も真相資料の配布と拘禁されている同修の救助活動に参加したことを理由に、2人とも2年の労働教育の判決を下されました。また、私も監視されています。当地の610弁公室は江沢民に取り入り、業績をあげるため、何の根拠もない状況下で、私と当地の何人かの同修に懲役13年の判決を下しました。
私の母は迫害が開始されてから610弁公室の者に、当地の法輪功の責任者として勘違いされ(実際、大法に責任者はなく、学習者に煉功動作を教える協調人に過ぎない)、7月22日、全国のマスメディアが大法を誹謗中傷している頃、母は当地の警察官に連れて行かれ、2日ほど拘禁され、何も飲ませてもらえず食べさせてもらえず、また、連れ去られる間際に数百元の罰金も取られてしまいました。その後も、脅迫や脅しは続きました。母を無理矢理「転向」させる為、子供たちが皆拘禁されている間に母を連行して思想改造施設に監禁し、まだ4、5歳の孫と孫娘が誰もいない家に残されました。焦りだした母は仕方なく心に逆らって修煉しないという保証書を書き、家に戻ってみれば、餓死寸前の孫と孫娘を見て慌ててお粥を作り、2人の子供は鍋に頭を突っ込むほどの勢いでお粥を飲みました。その後、母は明慧ネットで厳粛な声明を発表しました。
2007年、母は街で面と向かって人に真相を伝えている時、悪人に通報されて10日間ほど留置場に拘禁され、その後、体に異常が出たため、保釈で解放されました。これまでの間、母は修煉と衆生済度を続けてきましたが、父の仕事の関係であちこちに移動したり、子供たちの為にお金を稼いで家を購入したりして、子供たちが釈放されて家に戻ったころ、母は迫害により病が悪化し、2015年にこの世を去りました。
常人である父が受けている圧力はさらに大きいものでした。父は国内大手企業の重役で、仕事の能力が高い為、会社の中では常に高い地位に立って権力もあり、皆に尊敬されてきました。しかしながら、母が連行されたり、嫌がらせをされたり、子供たちも相次いで逮捕されて、拘禁され、刑罰を下され、これらのことが起きてから、父は緊張しながら日々を送り、会社の重役たちも妻子を捨てるようにと父を追いつめていました。その時、父は 「文化大革命の時、被害を受けた家庭やバラバラになった家族は少なくありません。結局全部共産党の過ちでした。それなのに、今は法輪功を修煉する家庭を壊しています」と重役たちに言ったそうです。
あの頃の極度に至るほどの恐怖の日々では、父は会社からの全ての圧力と咎めを引き受け、巨大な苦痛を内に隠し、子供たち全員が刑務所に入れられて、妻も監視されていつでも連れ去られてしまう状況下で、私たちが釈放されても帰れる家があるよう、父はたった1人で出稼ぎに他県に向かい、この家を支えていました。中国共産党の弾圧により、父は大法が素晴らしいことを理解していますが、それでも、修煉の道に入ることはできませんでした。そして、父は良い報いを受け、今まで大きな病にかかったことは一度もなく 「あのような厳しい状況を自分はいったいどのように乗り越えてきたのだろう」と父自身でさえ不思議に思っていました。
私たち一家は迫害を受けていますが、大法に対する心は未だ少しも揺らいでいません。邪悪な巣から戻ってきてからは時間の許す限り「三つのこと」をしながら修煉しています。昨年の6月、私たち一家は最高裁判所と最高検察院に江沢民の告訴状を提出しました。これもまた、母が亡くなる寸前まで大法弟子としてすべき最後の事をしました。
結論
私自身も、子供がいるこの小さな家庭も、そして、両親や親戚も含める大家族も、皆大法の恩恵を受けています。大法はこの家族を修煉の中に引きよせ、全員の因果関係や怨念を解決してくださいました。あの頃自分が良く人に話していたように、この世に、人に心の底から良くなりたいと思わせる力が大法以外にあるでしょうか。学校の道徳教育ではできません。国家の政策でもできません。文明を高めることを主張する人にもできません。今での宗教でさえもできません。そして、含意を失った文字を並べるだけの伝統文化にもできないのです。法輪大法の「真・善・忍」こそ、すべての人間の心を正すことができるのです!
私の家族は多くの家族の内の一粒子でしかなく、相次いで法を得ていく物語も何千万もの家族の内の一つの例にすぎません。そして、家族全員が仲良く、温かい家庭を作り上げたことも全国何億万もの家庭の縮図でしかないのです。家あってこそ、国ができる。法輪大法が人類にもたらした恩恵は深く長く続いていくもので、この中にいるすべての人は皆受益者なのです。
大法は私たちを世間の苦難から救い上げてくださったのに、中国共産党は我々修煉する一家をバラバラに迫害しました。冷静になってよく考えてみれば、法輪大法を迫害する運動は大切な中国人に一体何の得をもたらしたというのでしょうか。上も下も嘘で飾り、食べ物にも毒が混じり、至る所に災いが起こり、安全な場所などどこにもありません。道徳が凄まじい勢いで滑り落ちていく今日では、全ての中国人が被害者です。中国共産党を解体させることで、この国は美しい境界に上がることができるのです。
中国人たちよ、真相を拒まないでください! それは法輪大法を修煉し、奇跡と素晴らしさを実感した人たちからの心の声なのです。「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! と心から念じ、三退することであなたの安全が保障されるのです!」