文/湖南省の大法弟子
【明慧日本2017年4月10日】私は1996年に法輪大法を修煉し始めました。この1年間の修煉での最も深い悟りを書いて師父にご報告すると同時に、同修の皆さんと交流したいと思います。
私は田舎町の中学校で教師をしています。数年前、授業の時に学生に大法の真相を紹介したために、学校の主要なリーダーから脅迫や脅しを受け、授業時間手当をピンはねされ、授業を行う権利をはく奪されると同時に、全校で私を孤立させようとする情勢が作り出されました。その頃、学法の時間が少なく、学法に集中できず、正念が足りなかったので、中国共産党にスキを突かれたのだ、ということがわかりました。しかしその後、学校で教師が足りなくなり、校長はやむを得ず私に2クラスの国語の授業を受け持たせましたが、授業で法輪功の真相を伝えてはいけないと何度も念を押されました。表面上は校長に協力しないふりをしていましたが、心の中では恐れる心や不安な心が本当に生まれてきていました。
今回の学生は、最初の1年生の時から昨年の3年生での卒業までずっと教えていました。この二つのクラスの学生は大法の真相を聞き、救われることを待っているのだ、ということを大法弟子として深くわかっていましたが、なぜ私は生徒たちに関わろうとしなかったのでしょうか? 最初は、迫害されるのではないか、という心が堂々と学生に真相を伝えることをずっと阻んでいました。その後、授業の内容が真相を伝えるのにちょうど良い内容だったことが何度かあったので、自然に生徒たちに大法の真相を話しました。
見る見るうちに、あと1ヵ月と少しで学生は卒業になりましたが、まだ学生に「三退」に関することを伝えていませんでした。以前の学期では、人の観念と恐れる心があったために、学生の卒業が近づいてから「三退」を伝えよう、と決めたのでした。しかし今、すでに最後の時が近づいても、どのように伝えればいいのかがすぐにはわからず、何らかのきっかけを借りなければならなかったので、心の中で焦りながらも、とても難しいと感じていたので、本当に非常に焦っていました。
ある晩の自習時間、1時間目は私が補習する時間でしたが、ちょうど停電になり、教室に入りましたが、ろうそくの数が少ないために、十分に明るくなかったので、多くの学生が教科書を見ながら宿題をすることができなくなりました。そこで、何人かの学生が、何か話してほしい、と私に言ってきました。そこで、老天使と小天使の旅行中の物語を話し、因果応報の道理を伝えました。すると、1人の学生が私の人生について話してほしい、と言ったので、真相を伝える時が来たと思いました! そこで、私が幸せだと思うか、と学生たちに聞きました。すると学生は声をそろえて「幸せです!」と答えました。そこで「私が経験してきたことを知っている人は、私が不幸だと思っているかもしれませんが、私は自分がとても幸せだと思っています」と言いました。
学生はよくわからなかったので、なぜほかの人は私が不幸だと思っているのか、と聞きました。そこで、法輪功の修煉をしており、法輪功の無実の罪を晴らすために北京に陳情に行き、何度も不当に拘禁され(その内1回は不当に労働教養に科された)、経済的にひどくゆすりとられ、賃金もピンはねされ(この3年間では毎月たったの180元ちょっとの生活費だった)などの一連の迫害を受けたことを伝え、さらに、労働教養所では大法弟子がどのような残酷な迫害を受けているかについて、多くの実例を挙げて伝えました。すると、教室の中は水を打ったように静まりかえり、学生たちは驚き、こんな残酷なことが行われているとは思ってもいなかったようで、目の前にいる国語の先生がこんなにもひどい迫害を受けたことが全く信じられないようでした。学生たちを見ると、1人1人のデリケートな顔にはただ涙が流れ、私を見上げていました。すると、学生たちの担任の先生がろうそくを持ってきて、学生たちのためにろうそくをつけましたが、学生たちは担任の先生に早く立ち去るように促し、私にたくさん話をさせるよう促したのでした。
そこで「もう一つ、最も重要なことがあり、これはあなたたちの存亡に関わることです」と言い、「天が中国共産党を滅ぼす、三退して命が保たれる」ことを伝え、なぜ天が中国共産党を滅ぼすのかを伝え、なぜ「三退」しなければ平安を保つことができないのか、を伝え、貴州で発見された蔵字石(訳注:岩壁に「中国共産党亡」の字 が浮かび上がっている)の天機について伝えました。授業が終わると、学生たちは私を取り囲み、ある生徒は焦って「私は共青団と少年先鋒隊に入りましたが、どうすればいいですか?」と言いました。また、ある生徒が「私も少年先鋒隊に入りました!」と言いました。その時は時間が足りないことがわかり、すぐに次の授業に行かなければならなかったので、生徒たちに対してはっきりした態度を示さず「やはり別の授業時間を利用して伝えよう」(現在の状況を見たところではこの場で生徒たちに三退を勧めたほうが良かった)と思いました。ある生徒が「法輪功はどのように修煉するのですか?」と言いました。そこで私が「『真・善・忍』の基準に基づいて自分に要求し、良い人にならなければならず、トラブルに遭った時には自分の不足を探さなければなりません」などと言うと、1人の学生が「先生、先生の性格は本当にいいです!」と言いました。
次の週の晩、自習の時間がやってきたので、学生たちに共青団と少年先鋒隊を脱退する態度を表明させようと決めました。しかし、心の中にはまだ恐れる心があり、授業検査員の耳に入ることを恐れ(学校は毎時間の授業に異なる事務員を授業検査に当てていた)、また、学生の中の誰かが密告するのではないかと恐れ、さらに、理解しない何人かの学生が時間を無駄されたと思うのではないかと恐れ、なにしろ試験まであと1、2週間しかなく、学生たちは分秒を争うように試験の準備をしていたからでした。しかし「これらの生命は大法のためにやって来たのであり、救われるために来たのであり、学生たちのはっきりしている一面は今日、大法弟子が救いに来るのを待っており、これらの学生たちの観念がどうであれ、学生たちの事を顧みないというわけにはいかない」と考えました。そして同時に「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]という師父の法を思い出し、絶えず自分の正念を強化しました。
教室に入ると、比較的成績の良い「羅」という姓の男子生徒が今学期の国語の教科書に載っていた毛xxの詩を高らかに朗読したのですが、実は、この詩は学生に教えておらず、中学の段階で学ぶすべての毛xxの文章について、学生には解説しておらず、なぜならそれらは学生を毒害する嘘であり、背後に邪霊の要素があると思ったからです。私は大法弟子で、できることは人を救うことだけですから、それらの毒素を学生に注ぎ込むことは絶対にできませんでした。もちろん、いろいろ合理的な理由でこれらの文章を学ばない理由を学生にきちんと解説し、時には、あえてその文章の表題1編の趣旨を借りて中国共産党の真実の歴史を伝えました。
真相に対して学生が一定の理解を得たことから考えれば、羅という姓のクラスメイトの表現について、ほかの空間の邪悪が羅というクラスメイトを操って行わせたことだ、ということがわかっていました。正念を発しながら「三退」のことについて学生に提起し、あらかじめ準備しておいた紙片を学生に配り、三退に同意した学生に自分の名前を書いてもらいました。しかし、羅というクラスメイトはずっと非難する言葉を言い「今は勉強しなければなりません」と言ったかと思うと、三退したがっている学生をののしり、さらに「法輪功の修煉者はお金のためにやっています」と言いました。羅というクラスメイトがわざとかく乱していることがわかりました。そこで、その場にすべての学生がいる前で、笑いながら羅というクラスメイトに「法輪功修煉者は自分が食費を切り詰めて節約した生活費で資料を作り、心に任せて行っており、さらに、必死の覚悟を決めてあなたたちに真相を伝えています! もし私があなたにお金をあげたら、あなたにはこれができますか?」と言いました。しかし、羅という学生は得体が知れない様子で「それはまだわかりません、お金は万能で、お金がなければ何もできませんから!」と言いました。そこで私は「羅さんは今はまだ先生が伝えたことを理解できないようですから、後で理解できることを祈りましょう」と言いました。口ではこのように言いましたが、心の中では「この羅という学生は本当に助けることができず、こんなにもたくさん真相を伝えたのに、まだこんなにも理解しないなんて」と思いました。多くの学生がひそひそと討論し始め、共青団と少年先鋒隊から脱退したがっていた学生も躊躇し始めました。そこで、繰り返し三退の重要性を伝えましたが、最終的に提出された名簿には十数人の名前しかなく、大部分の学生は三退しませんでした。
なぜこのような結果になったのか、内に向けて探すと「自分は早く学生を三退させよう、という結果を求め、三退した人数に執着する心があり、さらに少しばかりの恐れる心が挟まり、学生たちを救おうという心から行ったことでは全くなかった」ということがわかりました。
その後の授業の中で、羅という学生が授業から心が離れていることに気づき、授業中、羅という学生はときどき両隣の学生に何かを話し、また、ときどき私を横目で見て、目には挑戦と皮肉が満ちており、また、私が報復することに対して不安を感じ、防備しているかのようで、ときどきわざと机に突っ伏して眠っていましたが、以前はこのようなことはありませんでした。羅という学生の両隣の学生はすでに三退していましたが、羅という学生に影響されてしまうのを心配しました。そこで「羅という学生に対して正念を発し、背後にあるすべての邪悪要素を必ずなくさなければならず、ほかのクラスメイトが救われることに影響を与えてはいけない」と思いました。この時すでに、羅という学生は大法弟子が人の生命を救うことを妨害し、深く中毒された生命であると完全にみなしていました。
最後の数回の授業では、学生に自分で復習させ、その後、学生を1人ずつ呼んで引き続き真相と三退を伝えましたが、1回の授業でどんなに多くても2、3人にしか伝えられませんでした。というのも、授業が始まる時は毎回、いつもよくない人心と観念が学生に真相を伝えることを妨害するので、いつも一定の時間、私が真相を伝えることを妨害する観念と人心をなくさなければならなかったからで、また、心の中では師父の法を念じました。心の中でずっと師父の法を暗唱し、絶えず自分の正念を強化し、さらに、正念を発して、学生が救われることを妨害するすべての生命と要素をなくしました。そして、羅という学生を呼んで真相を伝えようとは全く思いませんでした。
ある授業中、師父の説法「慈悲は能く天地の春を溶かし」[2]を暗唱しながら正念を発すると、心の中にだんだんと慈悲と正念が満ちてきて、羅という学生を見ると、突然「羅という学生を呼んで真相を伝えるべきで、羅という学生はこんなにも深く毒害されているので、さらに真相を伝える必要があり、より多く真相を伝えなければならない。真相を多く聞けば、羅という学生の思想の中にある良くない要素は解体されるだろう」と思いました。そこで、羅という学生に「ちょっと来なさい、先生はあなたに少し用事があります」と言いました。すると、羅という学生は突然申し訳ないと感じたようで、私と一緒に教室を出ていきました。
まじめに、そして慈悲深く羅という学生に「あなたは先生にとても素晴らしい思い出を与えてくれました。去年のクリスマスイブ、あなたは演壇に上がって先生を抱きしめてくれ、授業ではいつもわれ先に問題に答え、教科書を朗読する時もあなたの声は情調もたっぷりで・・・このすべてに先生は感動しました。しかし、先生が残念なことは、法輪功に対するあなたの誤解を解消できないことで、それはもしかしたら先生の能力不足であるかもしれませんが、しかし、これは本当に残念なことです」と言いました。すると、羅という学生はすぐに「先生、実は、私は先生の言うことを信じていますが、ただ困惑しており、十字路で徘徊しているかのようで、どこに向かっていけばいいのかわからないのです」と言いました。羅という学生の答えに意外さを感じ、羅という学生も感動を受けていることが見て取れました。そこで、羅という学生に法輪功の真相の一部と、中国共産党による暴行と虚言を伝えると、法輪功のすばらしさと中国共産党の悪さを羅という学生も認めたので「正義の人として、中国共産党の組織を捨て、中国共産党の組織から離れるべきなのですが、共青団と少年先鋒隊を脱退する気はありませんか?」と言いました。すると、羅という学生は「ネット上で自分で脱退します」と言いました。そこで、私は少し焦り、羅という学生が後で気が変わるのではないかと恐れましたが、焦る心もよくない人心であるので、この焦る心をなくすべきだと気づき、同時に、羅という学生が救われることを邪悪がまだ妨害しているのかもしれない、ということに気づきました。そこで、心の中で正念を発しましたが、表面上では羅という学生の決定を尊重するような態度を示し「それならネット封鎖突破ソフトを使わなければネットに入れません」と言いました。
2日経ってから、ネット封鎖突破ソフトを保存したUSBメモリーを羅という学生に渡し、どのように使うべきなのかを伝えました。すると、羅という学生は突然「先生、やはり先生が三退させてくれませんか」と言いました。そこで「どの名前を使いますか? 実名ですか、別名ですか?」と言いました。すると、羅という学生は少しぐずぐずしてから「考えさせてください、考えがまとまってからまた先生に伝えます!」と言いました。しかし「この場で羅という学生を三退させたほうがいい」と思い、なぜなら、邪悪がずっと羅という学生が救われることを妨害しようとしている、と感じたからでした。そこで「翱翔」という名前を羅という学生に与え「これは自由に飛翔する、という意味で、あなたが人生の道で高く飛ぶことを希望しています」と解説しました。すると、羅という学生は喜んで同意し、さらにまじめに「ありがとうございます、先生!」と言いました。
その後、羅という学生が完全に変わったことに気づき、落ち着かない様子と不安な様子はなくなり、私に対する反感と敵視もなくなり、毎回の授業でも非常に静かに復習し、宿題をやっていました。生命が救われた後の心優しさと幸福が羅という学生の体に現れていました。私はもう少しで一つの生命が救われる機縁を失ってしまうところでした! 羅という学生は救うことはできないと認識した以前の自分の考えのために心がとがめ、自責の念に駆られましたが、幸いにも師父が悟らせてくださったので、私は変わり、よくない観念を放棄することによって、慈悲が心の中に満ち、それで一つの生命を救いました。
今回、私は教訓を受け、衆生の一時的な表現だけを見てはならず、その人の一時的な良くない表現だけを見てあきらめてはならず、その人は救いようがない、と思ってはならず、必ず最大の慈悲で衆生に対処しなければならないのです。弟子と衆生に対する師父の無量の慈悲に、弟子はここで感謝申し上げます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」
(明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)