文/中国 四川省の大法弟子
【明慧日本2017年5月17日】(慶祝513明慧特別記事) 私は1994年に法輪大法を修煉し始めました。5月13日の世界法輪大法デーを慶祝することに際して、慈悲なる師父の救い済度のご恩に感謝致します。
私は1949年生まれで幼い頃から障害を持ち、お寺を歩き回ることが好きでした。1990年7月から、私は積極的にある憑き物の功を練り始めて、多くの知り合いをこの練功に勧誘しました。
私は憑き物にコントロールされて、人に処方箋を出していました。処方する方法は、「××病を治す」と紙に書き下ろします。例えば、「胃病を治す」「頭痛を治す」などなどでした。私はX功を練るとき、気を採ることができて、どこで採ってもすぐにそこの植物を枯らせてしまいました。また、私には動物の叫び声も聞こえました。
憑き物のせいで私は常に全身に寒さを感じ、真夏でも軍用の毛皮コートを着て、夜寝るときに主人に抱いてもらい、全身が暖かくなってからやっと寝付くことができました。親戚の家に泊まる際にも、誰もが私と一緒に寝ようとしませんでした。なぜなら、私と一緒に寝れば、背中や心が冷やされるだけでなく、膝までも痛くなるそうです。いくら電気毛布で温められた布団の中でも、私が寝ればすぐに冷たくなってしまいます。
憑き物の功を練って以来、私は1993年から頭のてっぺんから足のつま先まで病気だらけで、頸椎が増生して神経を圧迫し、メニエール症候群でひどい眩暈があって、飛行機が頭上を通過したり、車が横を通ったり、子供が横を走り抜けただけで倒れてしまいます。また、卵巣嚢腫、神経の衰え、坐骨神経炎があり、すべての内臓がへばりついていました。国内のどの病院、どの医者も私の病気を治すことができず、40歳過ぎてから完全に自分で自分の世話が出来なくなってしまい、杖を支えにして移動しなければならず、医者や気功協会の人たちに「生きている死びと」と呼ばれていました。
師父の後をついて講習会場に入る
1994年4月、成都気功協会は私に師父が成都で講習会を開く前に行われた講演会の入場券を28枚もくれました。その意味は、気功をたくさん練れば、もしかしたら治るかもしれないとのことでした。
1994年5月28日の午前9時ごろ、成都気功協会の中庭に立っていた私の目の前に、一台の黒い車が止まりました。車内の人が降りる際、車のドアが私にぶつかりました。降りてきた男性は若くて背が高く、ハンサムで、優しく笑顔で私を見ました。そのとき、薛軍さん(後に名前を知った)も車から降りて来て、手にいくつかの大きな荷物を提げていました。「これは何ですか?」と私から聞かれて、「学習資料です」と彼は答えました。私は一緒に来た仲間たちを呼んで来て荷物の運搬を手伝い、その後、運んでいた資料を開けてみると、『法輪功』と『文芸の窓』でした。私は『法輪功』を開いて作者の写真を見たとき、どこかで見た気がして、まさに先ほど車から降りたその男性だったことに気づきました。そのとき、人々も作者が本を届けに来たことが分かり、皆が数冊の本を買いました。
講演会の途中休憩のさい、私はこれから開催される9日間の講習会の参加を申し込みました。気功協会の数人の責任者は私を呼び止めてこう言いました。「講演会がまだ終わっていないのに、効果も知らないまま申し込んでおかしくはありませんか?」私はこう答えました。「先程、この先生が指摘された現在の社会における腐敗などの良くない現象を聞くだけでも、この先生はあなたたちのような騙しあう人たちより、ずっといいと感じました。この功をぜひ学んでみたいのです」
その後、毎日午前11時ごろ、私は3人の仲間と一緒に師父の講習会が開かれる成都水利電力局に行って、近くのレストランで昼食をとり、午後の授業を待つことにしました。
翌日の5月29日、昼食を食べた後に、同伴者たちはショッピングをしに行きましたが、私はお金を持っていなかったため、直接教室に向かおうとしました。ある十字路で、突然師父が目の前に立っておられることに気づきました。師父は両手を胸の前で組まれ、私をちらっと見てから振りかえって歩き出されました。私も師父の後を追いました。師父はしばらく歩いてから振り向いて私を見てまた歩き出されました。こうやって歩いては止まり、歩いては止まりしながら、ずっと師父の後について講習会の門の前まで行きました。
その時、中庭には多くの人がX功を練っているのが見えましたので、長い間練ってこなかった私はそこに加わろうとしました。その一念が出た途端に、師父はまたも私をちらっと見られました。私は自然に師父について教室の中に入りました。
午後、授業が始まってすぐに、師父はこうおっしゃいました。「今までこんな小さな講習会を開いたことがありません」。(当時、出席者は700人ほどしかいませんでした。)それを聞いた私は悲しくなってこう思いました。「師父、ご安心ください。私は必ず大法を広めます!」。
師父は続けて「先程の人たちは、イタチの動作を練っています」と言われました。私は冷や汗をかいて、先ほど加わらなくてよかったと思いました。(実はあの時、師父が止めって下さったのです)
翌日、前日の十字路で私は再び師父にお会いしました。師父は両手を組まれてそこに立って私を見ておられました。私はどこか間違いをしたのではないかと自問しつつ、ビクビクしながら師父の後を付いて行きました。前日と同じく歩いては止まり、歩いては止まったりしながら、私は師父の後を追って教室に入りました。
3日目も同じく、師父に教室まで導いてもらいました。その時に私はすでにX功を放棄し、法輪功に専念しようと決心しました。師父が説法される最中に、私は頭をデスクの下に潜り込ませ、持参していた『法輪功』の本の上で落書きを始めました。「輪」の車へんを書いている途中、いきなり師父の声が聞こえてきました。「誰かが私の体の上で落書きをしています」。びっくりした私はペンを落としてしまい、「師父は何でもご存知です!」と思いました。
9日間の講習会の期間中、夫は毎日私を送りに来てくれてスムーズに教室に入れ、ちょうど私たちが動功を習う最中に、夫も一緒に動作を習いました。師父は彼の動作を正して下さいました。いつの間にか、夫の胃の出血も治りました。
しかし、気功協会の秘書長が私に別の気功クラスを勧めようと、連続して3回も私を訪ねて来ても、教室の中に入ることができませんでした。ある日、彼は警備員に「ただ1分間だけでも、中に入らせてください」と頼んでも断られました。後に、彼からこの話を聞いて私は不思議に思いながらも、信じようとはしませんでした。その後悟ったのですが憑き物などに毀(こわ)されないように、師父は私を保護されていたのです。
師父と一緒に写真を撮る
9日間の授業が終わった日に、私たちは師父と記念写真を撮ろうとしましたが、雨が降っていました。「雨だったら、写真はきっとぼやけてしまいます」と言うと、内江から来たある若者は「心配は要りません。僕はすでに3回も師父の講習会を聞きましたが、毎回、終わる日に雨が降っていました。しかし、1回も写真がぼやけていませんでした。信じられなければ、師父の横に立って1枚撮ってあげますよ」と言われた私は、師父に近づき口も開けないうちに、師父は急に大きな声で「何をしますか?」と言いながら、私の左の肩を叩かれました。後で分かったのですが、師父は私の体に付いていた憑き物のイタチを叱って、それを完全に消滅してくださいました。
当時の私は恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆って泣き出しました。どれくらいの時間が経ったか覚えていませんが、「写真を撮りますよ」と誰かに声をかけられて私は泣きやみ、皆が集まる場所へ走りました。しかし、皆がすでに列を成してスタンバイしているので、私の入る場所がなくて、後ろに回るしかありませんでした。その時、師父は軽く私を引っ張られ、自然に師父のそばに立って皆と一緒に写真を撮りました。
どの写真もぼやけていませんでした。しかも不思議なことに、撮られた13枚の写真の内、私たちのグループが撮った1枚の写真にだけ、1本の赤い功柱が写っていました。残念なことに、この非常に貴重な写真は後に中国共産党の610弁公室の者に奪われてしまいました。
大法を修煉してからの心身における変化
1994年5月28日、師父の講習会に参加しに行く初日、私は夫に支えられながら車内の2人に引っ張られ、その上、車の外からも2人に押し上げてもらって、やっと車に乗りました。しかし、その日の午後、講習会からの帰りに誰にも支えてもらうことなく、1人で車を乗り降りしました。
講習会の4日目に、卵巣がすでに摘出された私に再び生理が来ました。
9日間の講習会が終わったある日の午後、私は自分のベッドの三つの縁から、3メートルほどの火や煙が上がっているのが見えました。その日の夜、私は暑くて眠れず、毛布、電気毛布、毛皮のコートを全部脱いでも温もりを感じていました。夫に「これを全部脱いだら寒くはないか? 寝れるのか?」と聞かれ、「大丈夫よ」と答えました。
しばらくしてから、嫁は子供を出産して家のベッドに横たわっていました。ちょうど水が沸いて、子供が泣き出したとき、家には誰もいなくて、どうしようと焦った私は急いで片手で赤ちゃんを抱っこし、もう片手で沸いたお湯を保温瓶に注ぎました。注ぎ終えてから気づいたのですが、まったく自分の世話もできなかったこの私が、こんなこともできるようになりました!
私は病気と無縁になり健康になって、何でも出来るようになりました。師父が私に二度目の命を下さったのです!
1995年5月、師父が成都で説法されて1周年を記念する会議が開かれ、私は2番目に発言しました。壇上で私は興奮しながら、「法輪大法万歳! 私は必ず大法を広めに行きます!」と叫びました。私は泣いて泣いて、みんなも涙を流し、気功協会の人たちも泣き、成都の法輪功の補導員たちも皆泣きました。
大法を修煉する前に、私は憑き物に害されて病魔に悩まされ、完全に生活不能者になりました。生きていくのが辛くて辛くて、希望も全く見えませんでした。大法を修煉してからは病気が一つもなくなり、常に身軽で気分も愉快になり、いつも考えているのは、いかにして法輪功の良さを人々に伝え、多くの人たちにその恩恵を受けてもらうこと、そのことだけです!