文/中国 成都市の大法弟子
【明慧日本2017年5月20日】(慶祝513の明慧特別投稿)17年前、私は初めて目を開けてこの世界を見ました。幸いなことに、私の接したその小さな空間は真・善・忍に満たされ、法輪大法を深く信じる家族全員が師父のご加護の下で楽しく暮らしていました。
成長の過程で、よくクラスメートたちにこのように尋ねられました。「なぜあなたはいつも気楽でいられますか?」 「なぜあなたはいつも笑っていますか?」 「なぜあなたは一回も怒ったことがないのですか?」 「なぜあなたは誰にでも優しくしてあげるのですか?」私の唯一の答えは、「私は法輪大法を信じ、真・善・忍という基準に対する信仰を持っているからです」
母は私が生まれる前に私と会ったことがあると言いました。私を身籠って6~7カ月ほどのある日の午後、帰宅途中の母は家の前の花壇で、20センチほどの高さで、赤いエプロンをつけた人形が黄色いカンナの上であぐらをかいて座っているのを偶然に見ました。「お正月の絵と同じように、非常に可愛かった」と母は言いました。近寄ってはっきり見えた母はもっとじっくり観察してみようと思ったとき、人形がカンナに変わりました。その後生まれた私があの時の人形にそっくりだと母は言いました。私は大法を得ようとして、この修煉している家庭に生まれてきたのです!
お祖母さんの話では、赤ん坊だった私が1日に8時間しか寝ず、お喋りが大好きで、毎日1人でイイヤヤってわけの分からないことを話していたそうです。ある日、お祖母さんは生まれて20日ほどの私に「あれだけお喋りが好きなら、『真』を言ってみて」と言いました。こうしてその日、私は目が覚めている間にずっと「金、金」(幼すぎるため、うまく発音できない)と言い続けました。翌日、お祖母さんは私に「善」を教え、3日目に「忍」を教えてくれました。私が寝たくないのは、「真・善・忍」を学びたかったのでしょう!
座れるようになってから、私はお祖母さんを真似てあぐらをかいて、手に『轉法輪』と師父の経文を持って見始めました。お祖母さんが読んでいる間、私は一文字一文字を真面目に見つめていました。2歳になったある日、私は座禅しながら手に師父の経文を持ち、指で指しながら一文字一文字を読んでいました。大人たちは私がふりをしていると思い、面白がって何気なく「どこまで読んだの?」と聞きました。私はすぐに読んでいたフレーズに指さしました。彼らはビックリして、偶然だろうと思い、他の数ページを持って私をテストしました。私は全部正確に発音することができました。その時、大人たちはやっと私が字を読めるようになったことが分かりました! 不思議に思われるかもしれませんが、大法は常に奇跡をもたらして下さるのです。続いて、私はお祖母さんから『論語』と『洪吟』を習い、すぐに暗記できました。
学校に通う道はもっとスムーズで、師父が按排して下さった道をそのまま進むだけでした。年齢制限にひっかかった私は当初、1年を待たないと入学できませんでしたが、ある偶然の機会で地元のもっとも有名な小学校に入学し、しかも皆が賄賂を使っても入れてもらいた人気クラスに入りました。中学校に進学する際、塾を走り回る他の生徒と違い、私は単純に母校が手配した「学校選択」という試験だけを受けました。その後、父は家族が気に入っている学校から電話を受け、私が一番良いクラスに分けられた事を聞きました。
喜びに満ちた子供時代を過ごしてから迎えた3年間の中学校の学校生活も楽しいものでした。私は一度も圧力を感じたことがありませんでした。クラスメートたちは私の明るさと陽気さが好きて、先生たちも私の積極性と教養を高く評価してくれました。その後、私は簡単に国の重点指定校の重点クラスに入りました。クラスの中で、私は唯一、あるいは数少ない塾通いをしていない生徒で、日々やっているのは『轉法輪』を読むこと、真・善・忍に従って良い人として努めること、できるだけクラスメートに大法の真相を伝えて彼らを救い、残りの時間を煉功にあてました。私はこれといった特別なことをしてこなかったのですが、大法の師父は依然として私に順調な学生時代を送らせて下さったのです!
順調な学校生活以外に、私は他の面においても大法から恩恵を受けていました。クラスメートが鼻を撮みながら一摘みの薬を飲み込むのを見て、私は感慨深かったです。学校に行き始めてから、私は薬の味を知らず、学校の定期検診以外に病院に行ったこともありませんでした。
小学校6年生の時、私は2つのオンラインゲームに溺れて、週末に朝早く起きてゲームで遊び、一日中ゲームのことを考えていて、母に知られずに10元まで小銭を貯めて、隣席のクラスメートにチャージしてもらいました。その直後、私の目の周辺に赤い針の穴ほどの小さな出来物が出てきました。最初は一つ一つですが、ゲームに溺れるにつれて、それが一面につながり、蚊に刺されたような大きな腫れ物になってしまい、非常に見苦しいものでした。母は「これはもう師父からの警告だよ」と言いました。怖くなった私はしばらくゲームを手放し、出来物も消えました。しかし、ゲームがどうしても気になる私は遊びの回数を減らしただけでした。その後、私がゲームにログインする度に、それらの小さな出来物が目の周りに出てきて、非常に「効きました」。私はこれが師父によるご教化だと気づき、表裏如一の大法弟子になろうと決心し、子供が溺れやすいゲーム遊びを完全にやめました。それ以来、私は一度も他のゲームに手をつけたことがなく、考えたり、興味を持つことはありませんでした。
高校3年間の勉学の圧力が大きいため、クラスメートたちはよく情緒が不安定になり、物事に敏感に反応して喜んだり、自分の事で悲しんだりして、全体的に成績が優秀なわがクラスにも、勉強のストレスで自殺を図った子もいれば、遊び過ぎて親から登校を禁じられたり、留年になった子もいれば、授業をさぼってネットカフェに通う子もいました。しかし、このすべては映画のワンシーンのように目の前で流れて行って、私とは何の関係もありませんでした。日々、私は母と一緒に大法の本を学んでいました。慈悲なる師父は大法の法理を持って私を諭され、絶えず私の思想を浄化されました。それゆえ、私は濁世にいながらも純潔を保つことができました。
師父は修煉者が他人からの借りがあってはならないとおっしゃっているので、クラスメートが物をくれたり、助けてくれた際、私は後日必ず多めにお返しします。また、師父は弟子が嫉妬心を持ってはならないと教えられているので、他人が自分より優れていたり、成功したりした場合、私は意識的に心からお祝いの言葉を伝え、真に相手のために喜ぶように努めました。誠実な幸せを作るために行う必要があります。高校生はよく気の合う子らと集まって一緒に遊ぶので、女子の偏見や固定観念によって火花が飛び散るのも常でした。しかし、どの集まりのグループも私を歓迎していました。彼らが言うには、私と一緒にいると楽しくて、気楽だからだそうです。
クラスメイトの小潔さんは私と同じ通学路を利用する為、いつも私と一緒でした。雨の日に、私たちは三輪車に乗って帰宅しますが、いつも私が料金を負担していました。そのようなことが何回も重なると、結構の金額になりました。ある日、私は母に不平不満を訴えました。母は「なぜ不満に思うの? どうせあなたは料金を支払って三輪車に乗って帰らなければならないのに、彼女をついでに乗せてあげるだけなので、他人に便宜を図ってあげていいことではないの? 師父は私たちに他人に優しく、思い遣ってあげることを教えられているのではないの?」と言いました。じっくり考えてみると、確かにそうでした。師父は私たちに誠心誠意を持って他人に接し、利益を軽く考えて、重んじないように教えられています。その心を放下してから、不快な気持ちも消えました。その後、小潔さんは自ら料金を2人で割り勘にしようと言ってきました。いつも負担してもらって、彼女も気まずかったそうです。
クラスメイトの小雲さんは負けず嫌いで、常に周りの人を見下し、担任の先生を指さしながら、いかにクラスを管理すべきかを「教えた」こともありました。男子女子を問わずに、誰もが彼女に近づこうとしませんでした。しかし、私はいつも彼女と仲良く一緒にいることができて、しかも彼女に「認められる」存在でした。彼女の言葉は確かにきつくて辛辣ですが、私は常に広い心を持って受け入れてあげました。しかも、傷つく感じもありませんでした。なぜなら、師父は私に他人の欠点に寛容でいられるように教えられているからです。
私の喜びは心から自然に湧き出ているものです。長年大法の恩恵を受けて仲睦まじい家庭環境にも恵まれ、リラックスと積極性の相まった中で勉強する中で、私の真・善・忍に対する信仰が確実なものになりました。
私は引き続きこの純善で、大法に由来する人心に良い影響を与える明るさを周囲の皆に伝播し、世界中から称賛を受けている大法の修煉においてさらに精進し、師父が敷いて下さった道をこれからも変わることなく、堅実に歩んでいきます!