文/カナダ・トロントの大法弟子
【明慧日本2017年5月22日】私達の偉大で慈悲なる師父は、1992年~1994年の間、北京で直接功法を伝授する講習会を13回開かれ、参加人数は延べ1万3千400人に達しました。また、一部の弟子を連れて1992年と1993年の北京東方健康博覧会に参加され、講演会も数回行われたことがあります。当時、北京の学習者は日増しに増え、煉功場は都市から田舎まで雨後の竹の子のように次々と作られました。法輪功研究会が手配して、北京で大規模な国際交流会を3回開催しました。
ここでは、1996年11月に北京で開催された法輪大法第1回国際交流会の盛況を追憶したいと思います。
1996年10月29日~11月2日にかけて、第1回法輪大法国際交流会が北京で開催されました。スウェーデン、フランス、ドイツ、米国、カナダ、タイ、シンガポール、台湾と香港などからの14カ国と他の地域の修煉者は海外から参加しました。最初、各国の学習者は各自の宿泊しているホテルで北京の学習者と団体ごとに交流しました。師父は1995年から海外でも説法を始められました。師父はかつて法輪大法研究会と北京輔導総站の責任者に、今後海外の学習者が北京に来る時、あなた達は先に法を得たので、あなた達の修煉体験を彼らと交流すべきですといった内容の話をされました。1995年の下半期と1996年の上半期には、一部の海外からの学習者が北京に来て、小規模の交流を行ったことがあります。1996年10月になると、14カ国と地域の学習者100人余りが北京に来ました。そのため、今回の北京法輪大法修煉国際交流会が開催されました。
交流活動
今回、北京に来た海外の学習者はそれぞれ東城、西城と崇文区のホテルに宿泊し、台湾とスウェーデンからの学習者が最も多かったので、彼らを例にして、法会の交流の情況を紹介します。
台湾の代表団隊は東城区の華僑ホテルに宿泊し、1996年10月29日~11月1日に、北京の一部の古い学習者とチームでの交流をしました。29日、スウェーデンとフランスの学習者の提案で、台湾の大法弟子が司会して、ホテル4階の会議室で14カ国と地域の学習者が参加する心得交流会を開催しました。師父のお母さんと妹さんも今回の交流会に出席されました。北京と台湾の学習者はそれぞれ発表し、自分の修煉体験を紹介しました。一つ一つの交流文章はすべて人に感動を与え、心打たれるものでした。台湾の学習者の交流によると、一部の学者や教授達は、医学や科学の角度から法輪大法の超常さを証明しました。そして、心性の修煉を通じて身体も変化し、心性が高くなれば病状がすぐに完治することや、「修」と「煉」は相補っており、修煉することこそ業を消去し病気を根絶することができ、根本的に真に着実に修煉することが肝心なことを述べました。これらの貴重な体験は、今後、台湾の多くの知識者が修煉の道を歩むことにも影響を与えるでしょう。
1996年10月30日午前6時、国内外の大法弟子は車で北京市西郊の戒台寺に行き、約400人が集団煉功しました。師父は戒台寺に行ったことがおありになり、その場を清められました。天目が開いた同修の話によると、皆が大雄宝殿に入ると、如来佛像から師父の法身が現れ微笑んで弟子達を迎えました。新鮮で澄み切った空気の中、あたりの景色も美しい古廟の空き地で五式の功法を2時間行い、多少の寒さを感じましたが、皆は精神と体力が満ち非常に集中して、全身が温かくなりました。国内外の大法弟子が煉功して交流を行った時、天上地上の至る所に多くの色とりどりの大小の法輪が回転していました。
煉功した後、みんながチーム分けをして、芝生の上で足を組んで車座になり交流しました。その中のある50歳の女性同修は、法輪功を学ぶ前には全身に病気があり、40℃の高熱が下がらず半年入院しても原因が分からないため、医者はこれ以上どうすることもできず家に帰るしかありませんでした。次に今度は、漢方医に診てもらっても病状は少しも好転せず、腎臓が衰えていると言われました。自分の人生はもうお終いだと絶望した彼女は、李洪志先生の法輪功は不思議な効果があると聞いて、ほんの僅かな望みを持って北京の講習会に参加しました。数日後に奇跡が現れて病状は消え迅速に好転しました。信じられないほど不思議でした。当時、彼女の顔には赤みがさし健康な身体を見ると、もうあの死神の手から取り戻した気配すら感じませんでした。もう1人の50代の同修は、小学校を1年しか通っていなかったのですが、努力して法を学び、字が読めるかどうかを考えずに、跪いて毎日3時間『轉法輪』を読み続けているうちに、段々と読めるようになり、経文を写すことも出来るようになりました。生まれつきO脚の彼女は、以前歩くことがとても不便でしたが、現在、知らず知らずの間に足がまっすぐになり、全身が軽いと感じ自由自在に歩けるようになりました。法輪功を学んで1年余りで、このような大きな変化があり本当に驚きました。
1996年10月30日に国内外の学習者が北京戒台寺で集団功する |
10月31日、法輪大法研究会を通して北京輔導站は西郊紅塔ホールで準備をし、国内外の2千人以上の大法弟子が参加した学法の心得交流会を開催しました。参加者が多く席が足りないため、両側の通路にも多くの人が立っていました。会場内のエネルギー場が強く純正で、静かで穏やかな雰囲気でした。十数人の大法弟子たちが発表しました。北京の大法弟子は『轉法輪』を通読して、内に向けて探し心性を修め、集団煉功および法を広めるなどの体験を分かち合いました。米国の楊森さんは、法を得る全過程や学法と実際に修煉した実感を話しました。スウェーデンの大竜さんは、師父がスウェーデンで法を伝えられた時の思い出と自分達が法輪大法に出会ったきっかけを話しました。天目が見える大法弟子は、舞台の背景に金殿楼閣があり、会場の空中には雪のように多くの法輪が舞っているのが見えました。交流会はとても良かったです。紅塔ホールの関係者は、使用後の会場の衛生状況をとても心配していました。普通の常人なら人数が多くなくても、果物の屑やたばこの吸い殻などゴミをいっぱい残します。しかし、大法弟子は交流会の時にも静かで、解散の時にも秩序よく退場し、会場内は使用する前と変わらず清潔さを保っていました。ホール関係者は感慨深く「この大勢の人達の教養はすごいですね、今までにこのようなことは見たことがありません!」と言いました。
同修の家で交流することも一つの方法で、お互いに距離感がなく親しく感じます。台湾の団隊は10チームに分けられ、3人ごとに北京の同修の家に行きました。台湾の同修はいくつか課題を出して、北京の同修は自分の体験を持ってお互いに切磋琢磨しました。誰もが平凡ではない修煉の過程がありました。法輪大法の修煉を通して思想の境地が高まり、体格はたくましくなり過去の病気は自然と消え、特に心性の変化が大きく、人生観、価値観などは根本的に変わりました。北京の学法チームはよく一緒に法を学んだり、煉功をしたり交流したりして心性も絶えず昇華していきました。北京の同修の客間に「力を奮って精進し、圓満成就に至るのです」[1]の額縁を掛けて、ずっと怠けず精進するように自分達に気づかせているのです。一部の北京の同修の家に佛堂が設置されており、壁に師父の金色の煉功服のお姿の写真が置かれ、毎日線香が焚かれているそうです。海外の大法弟子はこれを見た後に、すぐ師父に敬意を表し合掌しました。北京の多くの学習者は、毎日『轉法輪』を2講以上通読し、五式の功法を2時間行い、また煉功場や勤務先あるいは親戚友人の中で法を広めて、もっと多くの縁のある人に法輪功を学ばせるように頑張っていました。
師父は第1回国際交流会で説法される
3日間の交流の後、1996年11月2日、皆は北京地壇公園に集まって北京の各地区の輔導員、古い学習者を含め、国内外の大法弟子500数人が、「園中園」と呼ばれる「方沢軒」で交流を行いました。当時、5、6チームに分けて、スウェーデンと台湾はそれぞれ一つのチームで、人数の少ない国の学習者は互いに合併し、すべてのチームには通訳者が配置され二つのホールの間の中庭で交流しました。
北京の学習者の交流によると、師父は1994年12月17日に『北京法輪大法輔導員会議での提案』の時、長春大法弟子のようにと説法された後、北京でも学法のブームを引き起こしました。その時から北京では次々と学法チームが作られ、皆と一緒にあるいは家で繰り返し『轉法輪』を通読し、多くの学習者は本を暗記したり書き写したりして「比べて学び比べて修す」[2]の修煉の環境ができました。学習者達は心を修め執着を取り除き、毎日五式の功法動作を行いました。北京の各地区の輔導站は時々数百人、千人規模の心得交流会を開催していました。法輪功を学びたい人も参加し、多くの人は感動して涙を流し、法輪大法は真・善・忍を修煉するものと認識し、学習者の道徳レベルが高いことを知り、次から次へと学びに来ました。北京の学習者は煉功場や知人の中で常に法輪大法を紹介し、人から人へ、多くの縁のある人が修煉の道に入りました。各輔導站は2~3千人規模の煉功活動も行い、多くの人を修煉の道に導きました。海外の学習者も同じように修煉の体験を話し合いました。
スウェーデンの学習者は、師父が1995年4月にスウェーデンで開かれた7日の法輪大法講習会の思い出を話し、とても喜ばしい貴重なものでした。フランスの学習者は、師父がフランスで説法された当時の様子を話し、皆が師父の説法を聞いた後、相次いで修煉し始めました。国内外の大法弟子は穏やかで、和やかな雰囲気の中で自らの着実な修煉体験を交流しました。
1996年11月2日、青空に風穏やかな清々しいよい天気でした。夕方になると夕日がさらに光り輝いて多彩で、至る所に法輪が回転していました。交流が夕方まで続き6時の食事の時間となり、2番目のおかずができ上がった瞬間に、同修の大きな声を耳にしました。「師父が来られました!」 皆はすぐ立ちあがり、裏のホールにいた人もロビーに走って来ました。師父は米国から北京への飛行機から降りたばかりで、食事もせずに「方沢軒」に駆けつけてくださいました。師父は手を振って親切に「皆は先に食事をして、食事の後に話をします」と言われた後、裏のホールに向かわれました。裏のホールの皆は直ちに沸き上がって、喜びと感激の気持ちでいっぱいで言葉では表現できなくなりました。師父は皆に手を振って言われました。「皆は先に食事をしましょう、私がここにいると皆は食事ができなくなり、食事が終わってからまた来ます」。 師父はホールを出られて外で煉功している小弟子と話されました。一部の学習者は食事をやめて、外へ師父を探しに行きました。師父は車の中で待たれていました。ある学習者は厨房に「料理をストップして下さい」と提案しました。皆は速く食事を済ませて、ロビーのテーブルを裏に運び椅子を並べ、海外の大法弟子を着席させ、北京の大法弟子は両側と後ろに立ちました。師父が再び会場に来られ、会場内の全員は熱烈な拍手で迎え、師父の説法をそろって聞きました。
師父は立ったまま説法され、皆はとても感動し精神を集中して師父の説法を聴きました。研究会の人員は、師父がまだ食事をされていないことを皆に二度合図して、師父に早くお食事をするように勧めましたが、師父は今後このような機会がないかも知れないと食事を断って、説法を続けられました。
師父は弟子にこのように教えられました。『轉法輪』「の本この内涵は非常に大きく」[3]、「あなたが学びさえすれば、あなたの身体は変わり、あなたが読みさえすれば、あなたの思想が昇華していき、あなたが修めさえすれば、異なる次元の異なる境地の状態が現われ、もし最後まで読むことができるなら、この本の指導の下であなたは円満成就できます」 [3]、「『転法輪』に書かれたものは、すでに相当に高いものです。その後のある時期に、私はまた一部他のものを説きました。将来整理して出版することになります。しかし、皆さんに教えますが、本当に皆さんが修煉できるようにするものは、『転法輪』だけです。他にいくらたくさん本を出版しても、いずれも『転法輪』の補助にすぎません。ですから、皆さんが修煉するにあたって、必ず『転法輪』に基づいて修めなければなりません」 [3]
皆は集中して説法を聞き、心の中では非常に明確になりました。「必ず『転法輪』に基づいて修めなければなりません」
師父は他の空間のことについて説かれ、弟子達を計り知れないミクロの世界とマクロの世界へ導いておられました。師父は神佛についての基本的知識を話され、須弥山についても言及されました。過去、一部の学習者は法輪大法に出会う前に多少佛教についての知識を学んだことがあり、特に居士達は、須弥山の周囲に四大部の洲があり、南側の南贍部州はおそらくインド一帯で、東勝神州は中国のことを指し、中国は歴史上に「神州」と呼ばれていたからだと思い込んでいます。しかし、師父は次のように説法されました。「須弥山は、銀河系を超えており、私が先ほど説いたこの宇宙範囲、数々の星系から構成されたこの範囲を超えています」[3] 「実は、須弥山は、この宇宙範囲を超えて、第二層の宇宙の中心にあるのです。これほど大きな山なのです。実際は、須弥山は、三つの山が一つに繋がった大きな山です。この三つの山が表しているのは、阿弥陀佛、観音菩薩、大勢至菩薩です。阿弥陀佛は、この境地の第一位の佛です 」[3] これほど大きく、これほど遥かに遠いのです!
その時「師父は誰ですか?」と質問した学習者がいました。師父は「私に関する物語を語れば、それは相当に相当に長い話になります。私は一層また一層の宇宙の異なる天体を経て下ってきて、一層一層に転生し、さらに人の世で分身して転生してきました。一世の中にもたくさんの私が存在していました。複雑さは語ろうとしても語りきれないほどです。私はごく簡単に皆さんに教えましょう。私はすべての天体宇宙の外におり、すべての神佛や衆生はみな、その中にいます 」[3] この話を聞いて、私達の師父は偉大すぎて、奥深くて、人間や計り知れない高い次元の神でさえ想像できないほど偉大で、人の言語で表現することができないのだと皆が思いました。
師父は歴史上で聞くことができない天機を話されました。「天上の佛、例えば、皆さんが知っている如来や菩薩は、実際はみな一人だけではありません。約十年、あるいは十年にならないうちに一度交替しています。現在の阿弥陀佛も、最初のあの阿弥陀佛ではなくなりました。観音菩薩も最初のあの観音菩薩ではなくなりました。これはどうしてでしょうか? 人類の三界は、あまりにも複雑で、彼らは三界に近すぎるので、下の良くないものが直接彼らに影響することがあります」 [3] 、「天上に一つの規定があります。一定の次元の中の神は、一定の時期になったら、すべて交替しなければなりません。その目的は、彼らを守って落ちないようにするためです 」[3]
師父は弥勒佛(未来佛)の話にも言及されました。「釈迦牟尼佛はかつて『将来、いついつの時期になると、弥勒佛がやって来られることになっている』と言いました。私はこの時期にやって来たのですが、私は弥勒佛の次元の生命ではありません」 [3] 、「天体の中の神々はみな、私が佛法と佛の形象で各次元の衆生を救い済度するためにやってきたことを知っています。彼らも弥勒佛がやってきたと確信しています。弥勒佛も彼の伝承したものをすべて私に託しました」[3]。 私達はこの話を耳にして、大変驚き、師父が宇宙大法を世に伝えられる原因が分かり、乾坤を正され、各界の衆生を救い済度されています。
師父は私達の想像できず知ることもできない天機を教えて下さいました。最後に、師父はこのように私達に説き聞かされました。「大法が伝播される過程は、風雨に耐え、とても容易なことではありませんでした。これは正法であり、必ず邪魔に遭遇します。なぜなら、正しいものが一旦現れると、一切の不正なものやあまり正しくないものは、すべて衝撃を受けます。もし順風満帆に伝えてきたら、それはきっと邪悪なものに符合しており、それなら邪魔されることはありません。もし魔難の中での正念と正しい行いがなければ、世人に残していく参照や威徳もありません。将来、われわれはどのような困難にぶつかっても、皆さんはそれを正しく認識すべきです」[3] 。今後、私たちは困難や魔難などにぶつかる時、正しく認識し、正念を持って正しく行えるように、師父は啓示して下さいました。その後、1999年7.20に、中国共産党が残酷に法輪功を迫害して以来18年間、師父の予見は実証され、大勢の大法弟子は厳しい魔難の中で正しく行い、師父について乗り越えることができました。
当時、私達はこれほど奥深い宇宙の法理を聴くことができ、あまりにも震撼を受け、本当に千載一遇、万古の機縁なのです。師父は説法し終わってお帰えりになる時、囲んで来た弟子達と一人一人に握手されました。同修達は感激して涙を流し、比類のない幸福を感じました。皆は説法を聴いてそれぞれの感想を交流し合いました。
今、師父は交流会に光臨され説法される神聖な場面を振り返ってみると、依然としてはっきり覚えています。それは私達の生命の中で最も素晴らしい貴重な永久の思い出です。偉大で慈悲なる師父は、私達を連れてあらゆる困難を乗り越えて、辛苦な25年の過程を歩まれました。現在、すでに法を正す最後の段階まで来ており、私達は必ず師父の教えをしっかりと心に刻み、三つのことをしっかりと行い、さらに広く深く真相を伝えて、もっと多くの世間の人々を救い、誓約を果たして円満成就できるようにありったけの力を尽くします!!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「悟」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「北京国際交流会での説法」