文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年5月31日】自分の法輪大法の真相を伝えることと人を救う過程を振り返ってみると、まさしく一つ一つが私心と自我、恐怖心を捨てていく過程であり、さらに修煉してだんだんと慈悲心と正念が出る過程でもありました。
私が不当に連行されてから、警官らはずっと私を留置場、刑務所に拘禁することを企んでいましたが、身体検査で重病であることが報告されたため(私は師父に助けを求めました)、年齢も70歳と高齢だったため、留置場側が拒否しました。しかし警官らは気が収まらず、私をもう一つの病院に連れて行って検査をさせました。一回目の検査と同じように、二回目の検査も結果は同じで企みが否定されました。当然その検査結果は仮相で、実際の身体はとても正常でした。取調べを受けてから私は無事に帰宅しました。
帰宅してから、大法の基準で自分を量りました。内に向けて探し、関を乗り越える中で人心を修めて取り除き、自分を正し、心を静めて多く学法し良く学法し、正念を良く発しました。最も難しいと感じたのは、外へ出て人を探し真相を伝えることでした。始めたばかりの時、毎日真相を伝えていましたが、三退する人がとても少なく、人を救うことが出来ませんでした。私が話すのを彼らは聞きたがらず、緊張したように恐れて、甚だしきには反感を持たれました。私も上手く説明出来ないので、法輪功の資料を学んで紹介したり、同修がどのように話すのかを学んだり真似たりして、上手く説明出来なくても毎日外に出て真相を伝えることを堅持しました。最後に心理的圧力がかなり大きくなり、人を救うことは大変難しく、自分はダメだと思い、それで1カ月ほど真相伝えに行かなくなりました。ずっと家にいて学法し、煉功の時の第二式・法輪椿法と正念を長時間発して威徳が伸びる希望とし、後に真相伝えと人を救うことが出来るように下地を作っていました。
師父は説かれました。「毎日欠かさず修煉することは大法弟子にとって必須のことであり、真相を伝え人を救うことは大法弟子の使命です。円満成就に向かう道のりでは、両者はいずれも欠かせないことです」[1]。師父の教えに照らしてみると、閉じこもって修煉しているのは間違いだと知っていました。
しかし、それでも外に出て人を救うことが出来ませんでした。本当にどうすればいいのか分からなくて、家に引きこもって心が乱れました。しかしまだ少し正念が残っていて、自分は遅かれ早かれ、人を救うことが出来るようになると深く知っていて、この貴重な一念がまだ残っていたので、今日人を救う大願を実践しています。
私が助けの無い中を徘徊していた時、1人の年老いた同修が救助の手を差し伸べてくれました。彼女は「あなたに梯子をあげます。私の肩を踏んでください」と言いました。肩を踏むように言った同修はもうすぐ70歳で、身体に障害のある人でした。彼女の片目は失明しており、かつては半身不随でしたが、現在は脚が少し不自由な状態です。また文盲であり、ただ数人の三退者の仮の名前だけは書くことが出来ます。この同修は志が堅く、毎日の真相伝えを堅持しており、三退させる人は毎日10~20人います。
ある日、大きいマーケットで真相を伝えている時、彼女の状態と心性を真面目に観察してみました。彼女の一切は全て平和であり、自然で、慈悲で、彼女と交流する人は激昂しておらず、負の感情を漏らしたりすることもなく、互いに笑っていて、彼女の笑みの中には大法弟子の無量の慈悲がありました。私は彼女の側で協力して発正念をしました。
彼女と比べて、私が真相を伝える時は、最初から最後まで心の中で恐れていましたが、彼女は少しの恐怖心もありませんでした。彼女は教養もありませんが、人々は彼女の真相伝えを聞きたがり、彼女は良く出来ている(学問が高い)と称賛していました。彼女自身は最後に、世人にどのような話をしたのか覚えていませんでした。私は昔の高校を卒業し、口も達者でしたが、見知らぬ人に真相を伝える時、いつも適切な言葉が見つかりませんでした。彼女はこう言いました。「私は話が上手くありません。師父が私を加持してくださり、智慧を与えてくださっているのです」。しかし私は、力を使い果たしてもそのようにはなりませんでした。彼女は正念があり、勇気があり、善意をもって世人と交流し、人の長所を発見し、そして喜びのままに人と話し人の善念を呼び起こすことが出来ます。しかし私は、人と交流したくなく内向的で、学んで発した言葉は人が聞きたがらず、話す真相は聞く人に疑問を生じさせ、鬱陶(うっとう)しがられます。そもそも彼女は私心が無く、恐怖心が無く、ただ多くの人を救う事だけを考え、残された時間を有効に使って急いで人を救い、慈悲心は強大で正念も十分です。師父は説かれました。「慈悲は能く天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[2]。しかし私が真相を伝え、人を救うのは、自分の圓満を求める心の状態で行っていて、人の状態で行っていたのです。
師父は説かれました。「気と気の間には制約作用がありません。人は高次元で修煉する時に功が現われ、そこから発するものは高エネルギー物質なので、確かに病気治療ができ、病気を制圧でき、抑制の働きをもちますが、しかし根治はできません。ですから真に病気を治療するには、功能があってはじめて徹底的に病気を治すことができます」[3] 私は私心があり恐怖心があって、常人と同じ高さでは人を救えません。人心を持たず、慈悲心を抱いて真相を伝え、善念で教え導き、それでやっと本当に人を救えるようになるのです。
法理を理解し真相を伝える中で、だんだんと恐怖心と私心を無くしていきました。再び外に向けて求めることはせず、ただ人を救う純粋な気持ちと慈悲と正念を持ち、心から修めることを続けてきました。その後の数日間、1人で自転車に乗って、毎日往復30~40キロ走って真相を伝えに行き、人を救う効果は日一日と良くなっていきました。いつも十数人ほどに真相を伝えていましたが、初めの2日間は三退する人は4人でした。3、4日目、十数人中6人が三退しました。5日目は5人でした。毎日外出するとき正念を発し、世人を救うことを妨害する邪悪の要素を一掃します。衣服はいつも清潔にし笑顔で、何か問題が出現すると内に向けて探し、法理上で心性を向上させ、絶えず努力して毎日人を救うことを続け、純粋な正念と慈悲心を用いて人を救い、邪悪の要素を取り除きます。
この5日間の中で、元々あった多方面の観念を突破しました。例えば屈強な人にも話せるようになりました。以前は嫌疑を避けるため、女性に話しかけるのはとても少なかったのですが、現在は話してかけてから発見したのですが、彼女たちは善良で複雑な考えが無く、容易に真相を受け入れることが出来ます。以前は暗くなったら、人の警戒心を心配して話すのをやめていました。現在はマイナス的な考え方が無くなり、その過程の中で見つけたのは、歓喜心、顕示心、疑心(救えるか救えないかを感覚で判断)でした。この人はどうかと決心がつかず迷っているうちに、その人は過ぎ去ってしまいました。人を救うことの機縁は一瞬で、出会うことが縁であり正念と慈悲をもって話しかけ、疑問を持たれたり不理解があったり、どうしても頑固であれば再度正念を発して必ず彼を救うようにします。成功は努力を怠らなかったから得たものです。智慧をもって話せば虚言を一掃でき、慈悲をもって道理をはっきりと話せば、世人の誤解を溶かすことが出来、猜疑心、敵視の一切の悪の心の状態を溶かすことが出来、やっと世人の心の中の甘露を引き出すことが出来るのです。
私はこの経歴を書いて、さらに奮って精進することを希望します。私とあの高齢の同修には一つの宿願があります。それはただただ多くの人を救い、最後に師父の法船に上がることができれば十分です!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『注意喚起』
[2] 李洪志師父の詩 :『洪吟二』「法は乾坤を正す」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』