文/遼寧省の大法弟子 純良
【明慧日本2017年6月16日】世相が日増しに乱れ、道徳が下落する浮世で私はかつて時流に流され、たくさんの悪い習慣を身に着けました。当時は長髪にして、八字髭(はちじひげ・「八」の字の形に、左右が分かれた口ひげ)を残し、一日中タバコを吸い、酒を飲み、人と喧嘩し、強さを争っており、負けん気が強かった私ですが、一度人の頭部を殴って脳震動を起こさせ、もう少しで失明させるところでした。その人は長期間入院し、私は罰金をたくさん科され、家族に大変な心配をかけてきました。
自分の人生を作り直す
1997年は私の人生においてターニングポイント(転機)でした。私は大法の福音を聞き、大法の法理を知るようになりました。師父は私を浮世(ふせい・苦しみの多いこの世)の深淵から救ってくださいました。私は以前の悪い習慣を改めました。長髪を切り、ひげを剃り、面目一新(外見や内容を改めて変えること)しました。人も温和で善良になり、以前私に虐(いじ)められた人が逆に私を虐めるようになりました。一度彼はたくさんの人の前で私の足を踏みました。私が「あなたは私の足を踏みました」と伝えたら、彼は謝らないばかりか、却ってまた私の足を踏みました。「また踏んだが、どうした?」と喚(わめ)き立てました。私は怒りだす寸前に、『轉法輪』のなかで師父の説かれた韓信が股下を潜(くぐ)る侮辱を受けたことを思い出し、私の受けたこれくらいの侮辱は何でもないと思いました。すると怒りが瞬時にして消えました。そして笑いながら「もしいまも怒っているのなら、もう一度私の足を踏んでもかまわない」と言うと、彼はびっくりして、「お前はこの功を学んで変わったな」と言いました。私は「大法が私を変えてくれた」と答えました。
以前、利益を前にすると私は躊躇しませんでした。毎回勤め先で福利を提供されると、少しも躊躇せず無理やり質のよいもの、量の多いものを選びました。仕事をする時には汚い仕事、体力のいる仕事を避け、出勤するのは三日坊主でした。大法を修煉してから私はコツコツと仕事をこなし、汚い仕事、体力の必要な仕事を争ってやり、少しも文句を言わず、上司が按排した仕事ならすべてこなしました。同僚はみな私と一緒に仕事をしたがるようになり、仕事がよくできるようになった、この法輪大法は本当に彼を別人に変えた、と言いました。偉大なる師父と大法は私の人生を作り直しました。
危険を無事に乗り越える
2000年、私は法輪大法の修煉を堅持したことを理由に、公職を失いました。2001年に非合法に1年間労働教養を科され、解放されてからある個人の炭鉱の立坑(たてこう・垂直に掘りさげた坑道)で働きました。立坑での作業条件は非常に厳しく、また非常に危険でした。十数人の農民工と一緒に仕事をしましたが、私は彼らに大法の実態を伝え、常に「法輪大法は素晴らしい」と念じれば、災難が訪れても無事になると伝えました。彼らはみな半信半疑でした。ある日、5人が立坑で仕事をしていました。爆破した後の煙がまだ残っていたため、4人がその煙を吸い込み、地面に倒れてしまいました。当時私も頭がくらくらし、吐き気がしましたが、自分が煉功者だから大丈夫だと思い、彼らを風がよく通るところまで引っ張って行き、4人は危険から逃れました。今回の事件を通して、彼らは大法の素晴らしさと不思議さを目撃しました。
またある日、私達が立坑で仕事をやり終え、地上に上る時、私達が乗った人車が立坑の出口のところに着いた時、ブレーキが故障して止めることができず、ずっと上り続けました。人車を運転していた人は「速く飛び降りろ」と大声で叫びましたが、60メートル以上の高さのある立坑口で、かつ人車が運行中であるため、飛び降ることが失敗したら生命の危険があります。この緊急時、私は自分が大法弟子であり、師父に守られているので、まず他人の安全を考えるべきだと思い、彼らを1人ずつ支えて飛び降りさせて、みな無事に飛び降りることができ、帰宅し、大法の不思議さと素晴らしさを目にしました。
また一度、私は立坑の中で大きさ1平方メートルの台の上で仕事をしていました。その時、頭上から10メートル上に設置してあるプレートが突然シャキッという音を出し、50キロ以上の大きな石が落下してきました。一瞬にして私は台から飛び降り、石は私が飛び降りたばかりの台に落下しました。私が履いていた雨靴には長い擦(す)り傷ができました。しかし、私はかすり傷さえ負っていませんでした。慣例だとそれほど速いスピードと慣性の力だと私は避けることができません。また、奇跡が起きました。私と一緒に仕事をしていた数人の農民工はこの光景を目にして、一斉に「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。
このような奇跡が何回も起き、命拾いの体験をし、私はさらに修煉者の幸せと師父の時々刻々の保護を感じました。
私と一緒に仕事をしている1人の農民工はある日、出勤途中で、法輪功の真相が書かれた横断幕を引っ張り下ろしている人を見かけると、その人のところへ行き、「どうして引っ張り下ろすのか」と聞きました。その人は「国がやってはいけないと言っているから」と答えました。農民工はその人に向け「あなたと何の関係がありますか」と非難した上で、横断幕を奪い取り自分の肩に載せ、歩きながら「法輪大法は他でもなく素晴らしい」と言いました。
大法は もう少しでばらばらになる我が家を挽回
2004年8月20日、息子が名門大学に入学したことをお祝いする宴会を開催する予定でした。レストランの予約が済み、親族と友人にもすでに通知を出しましたが、18日私は国保大隊の警察官に強制的に連行されました。この突然現れた出来事は、家族に大きな打撃と傷害を与えました。特に妻は毎日泣き暮らしました。妻はリストラされ、私は捕まり、家には貯金もなく、どうやって子供の学費を支払えばいいででしょうか。しかたなく2LDKの家を売り、妻はよそに出稼ぎに行きました。
私は3年間労働教養を科されました。解放されて家に帰ると1錢もなく、一家3人が3カ所に分かれて生活し、その上まだ1万元以上の債務がありました。これはすべて江沢民一派がもたらしたことです。私達大法修煉者の名誉を汚し、経済的にも苦境に立たせられました。私は自分に対する家族の冷たい態度を気にせず、彼らを恨まず、また彼らの困難を理解しました。それから私は自分の観念を変え、善の心で彼らに接したところ、状況は非常に大きく変わりました。数年間、私は他所で仕事をしながら、節約して素速く債務をすべて返済しました。
息子は大学を卒業してから大きな会社のデザイナーとして就職でき、理想的な相手に出会いました。息子の嫁は大変物事をよくわきまえています。我が家もなく、車もなく、ただ彼らが結婚する時に、手持ちの5万人民元をお祝い金として上げただけなのに、一言も文句を言いませんでした。現在彼らは自宅を持ち、車もあり、また可愛い子どもにも恵まれています。しかも息子の収入は結構多いのです。息子の嫁は実家の母親と一緒に商売をしており、子供は彼女の実家で面倒をみています。息子夫婦は非常に親孝行で、常に私に衣服や生活用品を買ってくれます。
大法に感化され妻も変わり、私に関心を持つようになりました。いま私たちは3LDKの自宅を持っています。妻と私の収入は1万人民元近くあります。毎年旧正月前後になると一家団欒をし、幸せな時間を過ごしています。これはすべて大法を修煉したため受けた福報です。我が家で最も恩恵を受けたのはこの私で、60歳近くになりましたが、階段を上るのはずっと小走りで、歯は一つも抜け落ちておらず、あの硬いハシバミの実をかじっても何の問題ありません。
師父は私を苦海から掬い上げ、罪を洗い流し、返本帰真の修煉の道に導いてくださいました。人類の最上の言葉を使っても、師父に対する感謝の気持ちは言い表せません。私はただ心を込めて学法し、真相を多く伝えて人を救うことしかできません。