文/ 中国の大法弟子
【明慧日本2017年6月24日】法輪大法を学ぶ前、私は大病に罹っていて小さな病は14種類もあり、重い病は腎炎で30年も患っていました。脳血栓で手脚が言う事を聞かなくなり、食事をするのも箸が使えず、ご飯粒をあちこちに落とし、ある時は手でつかんで食べていました。500グラムの物さえ持つことが出来ず、脚が不自由で何をするのも這って行い、ご飯作り、家事、トイレに行くのも這って行くしか出来ず、壁を支えてよろよろと歩く事しか出来ませんでした。
それからさらに食道癌にも罹って食事する気力も無くなり、ものを食べても喉を通らず、死んだ方がましだと思いました。あまりにも苦しいので、もう耐えられなくなり薬をたくさん飲んで死のう、そうすればこの苦しみから解放されるだろうと思いました。しかし、3回も失敗して、死ぬことが出来ませんでした。
ある女道士が言いました。「寿命がもうとっくに来ているよ、あなたを救えるのは法輪功しかないようだね。法輪功を学んでみたらどうかね」。それを聞き、私の叔父が法輪功を学んでおり、それに師父の講習会にも参加したことがあり、法輪功を学ぶように誘って来たので、家族も皆私が法輪功を学ぶ事を支持してくれました。
およそ1998年、家族は私を車に乗せて、県の農業器具会社の2階にへ連れて行きました。多くの法輪功を学ぶ学習者が、そこで『轉法輪』を学んでいました。私の家には兄弟姉妹が多く、生活も困難で何日も学校に通っていなかったため字が分からず、他の人が読むのを聞きました。彼らは私に煉功動作も教えてくれました。何日か習っていると、当時、50歳過ぎの私に再び生理が来ました。
その県に6日間住みました。師父は私の身体を浄化してくださいました。何の病気もなくなり、全てが良くなりました。家族が迎えに来て家に帰ると、村中の人たちが私がまだ生きていることが信じられず、さらに、以前よりも元気で健康になって生きているのを見て、皆が私に替わって喜んでくれました!
あれ以来、家の中の仕事が何でも出来るようになりました。肥料を買って来て自分で担ぎ、肥料の商売人が私の肩の上に置くのを恐れましたが、私は大丈夫だからと言いました。きちんと肩に置かれなかったので自分で肥料袋を前にドスンと落とし、担ぎ上げました。
私は字が分かりません。師父は私が修煉の心があるのをご覧になり、手伝って下さいました。ある年配の学習者が『轉法輪』の本を読んでくれて、字を教えてくれました。自分で字が分かればどんなに良い事か! と焦っていると、師父は私に顕わして見せてくださいました。『轉法輪』の本を見ると全ての字が色とりどりで美しく、金色に光り輝いていました。
師父は説かれました。「家に帰って字を書けば、上手か下手かは別として、それに功が入っています!」。私は『轉法輪』の本を書き写そうと思いました。夫は私が本を書き写そうとしていると聞いて「ほとんどの字が分からないのに、さらに『轉法輪』の本を書き写そうとしているとは!」と言って笑いました。私は夫に「書いてみせるわ、鉄の棒を針にすることが出来る」と言いました。字を書き写し始めると、字を一目見て1画書き、正確であるかを見てまた書き、ふさわしい場所に書き、一画一画丁寧に、間違えないように書き写しながら、ある時は一つの字を二十数回も見てやっと書け、たいそう苦労して書き上げました。
師父は私のこの敬虔な心をご覧になられて、私の手を取って下さり字を書く事を教えてくださいました。これで私は字を書くことが出来るようになりました! ある時の事、『轉法輪』の本を書き写している時、まるで自分が空中に舞い上がって書いているような感覚で、書いた字は全て金色に輝き色とりどりで、金色の光を放っており、ある時はさらに小さな佛さまが顕現され、何とも言い表せないほどお美しいお姿でした。
またある時、『轉法輪』を書き写していると、誰かが私の身辺に立っているような気がしましたが、特に気にせずそのまま書き写し、ふと顔を上げてみると師父が私の身辺に立っておられ、感動のあまり泣き出してしまいました。書き写す際に、様々な神秘的なことが多くありましたが、私だけでなく他の大法修煉者も皆このようなことを経験しています。
法輪功の師父は人に真・善・忍に従って良い人になるように教えておられ、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず、また他の人とトラブルが発生したら自分を探して、内に向けて探すことを教えてくださいました。私は師父のお話をよくお聞きして、良い人になるように努め、さらに良い人になるように自分に厳しく要求しました。私の家は道路側にあって道の向こうには川があり、川の縁(ふち)には斜面を保護するため堤防が築かれており、人々は頻繁にこの川の縁で衣服を洗います。
ある日、夫が三輪車を路上で停車させスイッチを切っておらず、大きな三輪車が溝にドンと落ち、衣服を洗っていた人をびっくりさせました。怪我をしたのではないかと、病院に行って全身の検査を行い、夫は大丈夫でした。しかし、もう1人は退院しようとせず、彼女の家族は彼女に仮病を使うように言い、お金をゆすろうとしました。私は気にせず病院で彼女の世話をし、メロンが食べたいと言えば買い、豚足が欲しいと言えば買い与えました。私はおそらく以前に彼女に借りがあったのではないかと思い、借りがあれば返さなければなりませんが、ずっと病院にいれば学法や煉功が出来ないので、師父に助けをお願いしました。薬代を約4千元近く払った後、息子を呼んで来て、彼女に700元近くを渡すように言いました。息子と彼女は仲が良かったので、息子が言うと彼女は快く承諾し、退院しました。以前、私は癇癪持ちで、もし法輪功を学んでいなかったら、このようには対処出来なかったことでしょう。
家庭は仲睦まじくなり、浩瀚たる佛恩の中で心身がリラックスする中、1999年7.20江沢民が法輪功に対する残酷な迫害を発動しました。私も免れることなく、派出所の警官が自宅に来て、私を不当に6回も捕まえようとしましたが、いつも師父の点化(悟らせや手引き)があり、毎回、毎回危険を察知し、無事に事なきを得ました。
派出所の警官が頻繫に自宅に来た事で、家族にとても大きな圧力をもたらしました。この事で夫はよく私を殴り、学法、煉功させないようにして、刑務所にまで送ろうとしました。私の頭を掴んでドアの縁にぶつけたり、殴ったりする時、私は師父に助けを求めて叫びました。ある時一度、派出所から十数人の警官らが私を捕まえにやって来ました。自宅が包囲され、窓や玄関の入り口、裏の入り口全てに警官が立っていました。私は師父に助けを求めると、警官はまるで私が見えないかのようになり、そこから順調に逃れることが出来ました。しかし私の家にいたもう1人の学習者は捕まえられました。私の4番目の息子が警官に言いました。「あなた達は頻繁に母を捕まえようと自宅に来ていますが、母は法輪功を学んでから病気が良くなったのです。仕事も出来るようになり、人を罵らず、殴らず、家の事にも配慮してくれています。それなのにあなた達はどうして善良な母を捕まえようとするのですか」。警官はそれを聞いて激しく罵倒し、4番目の息子にまで手錠をかけようとしましたが、3番目の息子が食い止めました。
警官はたびたび私を連行するために、我が家にやって来ました。夫は私が終日法輪功を学んでいる事を非常に恐れており、心の中で耐えられる限界を越していました。それで、頻繫に私を殴り、追い出し、飲食をさせませんでした。家族は不安におののいていたので、私はトウモロコシの倉庫に住む事にしました。東北の2月は非常に寒く、毎日のように風が強く吹き、雪が降り積りました。そんな日々、倉庫には暖房設備もありませんでしたが、私は少しも寒いとは感じませんでした。
師父が私を助けて下さったものはとても、とても多く、どんな言葉を使っても、師父に対する感謝の気持ちを言い表わすことが出来ません。唯一出来ることは、自分を良く修め、多くの人を救うことで、やっと師父が私を救って下さったご恩に報いることが出来ます!!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』