文/張家口の大法弟子
【明慧日本2017年7月16日】多くの同修は法を正すことが終わることに対して執着心があるようです。甚だしい場合、師父の写真の落款「正法十八年春」から妄想が始まりました。例えば、2017年春に法を正すことが終わりになるとか、「虎を打つ」とか、アメリカの大統領に希望を託したりしています。私はこのような考え方を持っている同修はしっかりと学法をしていないと思います。
最近、ある同修が不当に拘禁されたことに対して地元の同修は積極的に救助することなく、却って「拘置所に行ってもいいのでは、どうせ2017年春に法を正すことが終わるのだから」と言いました。この話を聞いて私は本当に心が痛みました。これは邪悪の落とし穴に落ちたのではないでしょうか? 邪悪のために迫害の口実を提供したのではないでしょうか?
『2005年サンフランシスコ法会での説法』の中で、師父は弟子の質問に対してこのように説かれました。
弟子: 法を正すことは久しい昔からすでに始まっていたのでしょうか?
師父: 私が法を伝える二年前から始まったのです。しかし、歴史の相当久しい昔、数万年、数千万年、ひいてはもっと久しい年代からすでに始まっていたと見えた学習者がいます。これはあり得ることでしょうか? あり得ます。なぜならば、私たちのところの時間と向こうの時間とは異なっています。ここで始まって一秒経過したら、向こうではすでに長い時間が経ち、一万年が経ったかもしれません。今日になって私たちのところでは十六年経ちましたが、数百万年が過ぎ去った空間もあります。こういう概念です。このような時間的な差異があります。最後の時期になると、当たらなくなると以前私は言ったことがあります。
一部の同修は予言に執着しています。実は師父は「多くの予言は最後の時期になると、当たらなくなると以前私は言ったことがあります。中間の過程ではとても正確でしたが、最後になると外れてしまいます」[1]と語られました。また「大法弟子は如何なる予言にも従って行なってはいけません。あなたは大法に従って行うべきです!」[2]とも語られました。
今の時間は、師父が衆生を救い済度するために延ばされているのであって、いつ終わるのかは法を正すことによって、師父が決められているのです。
同修たちよ、このような教訓が多すぎます。いつの春に終わるか、いつの秋に終わるか、2008年のオリンピック前に終わるなどなど、このような執着心を持っていて円満成就できるでしょうか? それは大きな漏れではないでしょうか? さらに、口を修めない同修は自分勝手に法を正すことが終わると想像し、しかも、常人に教えました。しかし、時間が経ってから、常人はどうして法を正すことが終わってないのかと、大法に対して不信感を持ちました。同修たちよ、私たちのせいで、大法に害を引き起こし、衆生を壊すことになるなら、このような損失をどうすれば補うことができるか考えたことがありますか? 慈悲なる師父は、私たち衆生に再び機会を下さいました。さもなければ、法を正すことがとっくに終わっていたかもしれません。私たちはこの瞬く間に過ぎる万古の機縁を大切にしないばかりか、法を正すことが終わることばかりに執着し、結局 消沈するしかないのです。
三退の人数に私たちの修煉状態が反映されます。今 三退の人数が3億人だと計算すれば、この十数年の間、一億人の大法弟子は、平均3人しか三退を勧めておらず、多くの大法弟子は1人も勧めたことがないと思います。もし大量に学法して、衆生を救うことに身を入れていたなら、今の状況にはならないでしょう。私たちの人心を早く取り除き、邪悪に隙に乗じられないように、そして、せめて半分の中国人を救えるように精進しましょう。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「二〇〇四年復活祭ニューヨーク法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」