文/中国の大法弟子 仁慈
【明慧日本2017年10月28日】
一、師父は私に健康な身体をくださった
私は今年74歳で、東北の山岳地帯に住んでいます。1996年に大法の修煉を始めました。以前、私は我が山岳地帯で有名な精神障害者で、しかも身体中病気だらけでした。最も重かったのは心臓病と胃病、腎臓病でした。いまも当時のことを思い出すと失望と恐怖を覚えます。
娘が生まれて4カ月経ったある日、私は家の天井で何かが動いている音を聞きました。ネズミかなと思っていましたが、突然天井から大蛇が一匹落ちてきました。驚いた私は娘を抱き、外へ走り出しました。驚いた私は心ここにあらずで、それから至る所を走りまわるようになりました。また屋根に登ったり、人を殴ったり、罵ったりしました。母さえ私に殴られたことがあります。私はまだ幼い娘の面倒をみることも、家事もしないで、すべて母と夫がやっていました。夫は父として、また母として二つの役割を果たさなければならず、毎日苦しい日々を送り、私の病気を治療するために走りまわっていました。私は病気が重い時は気を失ってしまいました。最後に医者は「帰ってからしっかり療養してください。美味しいものを多く召し上がってください」と言ってくれました。その意味は家で死ぬのを待ってくださいということでした。
私はこの病気にかかって34年間治りませんでした。人生に何回の34年があるでしょうか。私が遭遇した苦しみは言葉では語りきれません。たまに意識が少しはっきりしてきて、一文無しの家をみると絶望し、死んでしまおうと思いました。
一度私は突然私と非常に仲の良い妹が他所に住んでいることを思い出しました。私は彼女に一度会い、別れを告げてから死ぬつもりでした。彼女の家に行き、人生を終わらせたいと告げると、彼女は驚き、慌てて「あなたは絶対自殺してはいけません。自殺すると死後遭遇する罪は更に大きくなります」と言ってくれました。それを聞き、私はどうしようもなく、本当に自分の歩む道がない、と思いました。
妹は自分はいま法輪功という気功を学んでいる、それは李洪志師父の教える佛家上乗大法だと教えてくれました。法輪功の病気治療と健康増進の効果は特にすばらしく、心を修め、善い人になるよう教え、しかも如何なる費用もいらないのだと教えてくれました。私はこの功法がそれほど素晴らしく、しかもお金を取らないと聞き、学んでみようと思いました。妹は私の話を聞き、非常に喜び、私のために大法の書籍を購入してくれ、師父の説法の録音テープも持ってきて私に聞かせ、五式の動作も教えてくれました。
不思議なことに、法輪功を学び始めると、私の病気は日々よくなり、半月経つと大分よくなりました。頭が冷静になり、3カ月経たないうちに全身のすべての病気がなくなりました。私は非常に感動し、嬉しくて子供のように跳ねたりしました。私の命を救ってくださった師父に感謝いたします。師父は私に健康な身体をくださいました。私は本当にあまりにも幸せで、あまりにも幸運でした。
二、師父は私の姉妹と娘を救ってくださった
親戚や、友人、隣近所、農場の幹部らはみな私の病気が治ったことを知りました。精神障害者が治ったから、再び彼女に殴られることを恐れる必要がなくなったと言い、私の見舞いに訪れました。私は自分が法輪功を修煉していることを伝えました。当時、13人がこの不思議な法輪功を学びに訪れました。
私には兄弟姉妹が多く、みな貧乏な生活を送っていて、病気があっても治療するお金がありませんでした。一番上の2人の姉は早く他界しました。私は3人目です。病気が治った後、私はこの嬉しい情報を兄弟や姉妹に伝えました。当時、一番上の妹はひどい腎臓病で全身が浮腫んでいて、目が腫れて細い隙間しか残っておらず、生命が危篤な状態でした。妹は一縷の希望を持って、私から法輪功を学びましたが、数カ月後病気がすべてなくなりました。
私の2人目の妹にはひどい心臓病がありました。薬を飲み、注射してもよくならず、息をすることも困難でした。大法を学んで3カ月後心臓病が治りました。また3人目の妹ですが、胆嚢炎を患っていました。大法を学んで3日後、胆嚢が痛くなくなりました。その後、足首を捻挫し、常に骨折する音が聞こえました。みな彼女に入院するように勧めましたが、彼女はきっぱりと拒み、自宅で学法し煉功しました。二十数日後完全に回復しました。
4人目の妹はひどい婦人科疾患を患っていました。出血が止まらず、顔がまっしろになり、唇も白くなって、少しの赤みもさしていませんでした。病気を治療するお金がなく、至るところ工面して、やっと500人民元を借りて病院に行きましたが、しかしデポジットだけで3,000人民元と言われました。彼女は腹を決め、「もう治療しません。帰宅して、3人目の姉さんと一緒に法輪功を修煉します。私は命を師父に預けます」と言いました。修煉する心があればきっと叶うと言われているように、こうして妹の身体は日々改善され、1カ月すぎると治りました。
私の長女は結婚して、子供を産んだ時、医者からどうしても避妊リングを着けるように説得され、結果的に避妊リングを間違ったところに着けられてしまいました。数年後、リングを取り外そうとしたら、出血が止まらず、医者は驚いて取り出す勇気がなくなり、「私にはできないから、速くほかの大型の病院に行きなさい、費用はいくらでもよいから、私が支払います」と言いました。しかし、どの病院に行っても、みな命に危険があることを恐れて取り出してくれませんでした。危機一髪の時、娘は私が彼女に教えた「危険に遭遇するとき心を込めて『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じ、師父に救ってくださいと求めなさい」という言葉を思い出しました。娘は毎日心を込めて、5、6日間続けて念じました。ある日、突然誰かが耳元で「リングがなくなった」と教えてくれました。娘は信じず、幾つかの病院に行って検査を受けましたが、みななくなったと言ってくれました。お腹には一つの点しか残っていませんでした。こうして娘は師父と大法を完全に信じるようになりました。それから娘も修煉の道を歩み始めました。娘は裁縫の仕事をしていますが、よくお金やものをカウンターに忘れてしまうお客様がいます。少ないときは数百元、多いときは数千元ある時もありますが、娘はすべてそのまま持ち主に返しました。
三、我が家のジャガイモは二段に成長した
私は病気が治ってから、夫と一緒に働きました。私達はつるはしで削り、トラクターで45ムー以上の畑を作りました。大きい畑には大豆を植え、小さい畑にはジャガイモを植えました。秋になると45ムーの畑から90袋の大豆を収穫しました。豊作でした。
ジャガイモを収穫する時になると不思議なことを発見しました。真ん中に植えたのに、収穫する時になるとジャガイモはすべて上に一層、また下に一層と二段に成長していました。しかもジャガイモは非常に大きく、子供の枕のようでした。村の人々に告げると、みな信じず、数十人が確認に訪れました。みな敬服してしまいました。「法輪功を修煉する人にはよいことが絶えないね。ジャガイモさえこれほど不思議な成長ぶりだから」と言いました。みながうちのジャガイモを争って買い、うちで食べるもの以外はすべてみなが買っていきました。
四、木造の部屋が燃えない
ある年の秋、収穫に人手が足りず、私は弟を手伝いに呼んできました。その日、私は急ぐあまり、お湯を沸かしていた電気ポットの電源を切らないで仕事に出かけました。
2時間後、弟はお腹が空いたから家に帰りたいと言いだしました。私も食事を作るため帰宅しました。家に着いてみると部屋のなかは煙がいっぱいでした。電気ポットは焼けて壊れ、ポットの取っ手は焼けてなくなり、部屋のドアも焦げていましたが、火災は起きていませんでした。
私達はみな木造の家に住んでいました。もし師父のお守りがなければ、我が家が焼けるのはもちろん、並んで建っている6軒の家はすべて灰になったはずです。驚いた私は泣き出しました。師父に対する感謝でいっぱいになりました。師父が私達を救ってくださらなかったら、私たち6軒の家はすべて燃えてしまっていたはずです。どんな言葉でも師父の大きな慈悲と大きな恩を語りきれません。
五、神様は見ておられる
私達の農場では4人が360ムーの畑を請け負いました。そのなかの半分は学習者が請け負いました。
不思議なことに、360ムーの畑は繋がっていましたが、2人の学習者の畑には雨が降っても、煉功しない2人の畑には雨が降りませんでした。彼らは「神様はちゃんと見ておられる。煉功する人の畑だけに雨を降らせ、私達のところには降らせてくれない」と文句を言い、非常に怒り、神様を敬わないと口にしました。
また秋のはじめに、暴雨で雹も降りましたが、2人の学習者の畑には降りませんでした。収穫の時、学習者の畑では15ムー毎に30袋を収穫しましたが、煉功しない人は合計26袋しか収穫できませんでした。彼らは収穫物を家まで運んだあと、泥棒に6袋を盗まれました。泥棒は彼らが家のなかからドアを開けられないように外からドアを固定しました。彼らには為す術がありませんでした。
このことを通して、法輪功を修煉しない2人は大法のすばらしさを目にしました。慌てて神様に謝り、再び神様を罵らないと謝りました。また私達と一緒に法輪功を信じるようになりました。
以上、不適切なところについては慈悲なるご指摘をお願い致します。