文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年12月31日】
師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は2010年に法輪功を学び始め、これまでの修煉で多くのことを感じ、悲しみや喜びがあり、苦もあれば楽もありました。ここでは修煉中の一部の経験と体験を書き、みなさんと交流したいと思います。妥当でないところがありましたら、慈悲深いご指摘をお願いします。
法を得た縁
冥冥の中で、小さい頃から非常に強い感覚があり、まるで何か重要な出来事を待っているかのようでした。
2008年、無実の罪を着せられ、わけがわからないうちに留置場に入れられました。私はそこで大法弟子に出会ったのです。大法弟子が大法の真相を伝え、特に、大法の素晴らしさと師父のご慈悲を大法弟子が伝えるのを聞いた時、心の奥深いところで強烈な震撼に心が奮い立ち続けたので「なんと、私が待っていたのは法輪大法だったのだ!」とわかりました。李大師こそ、私が探し求めていた師父でした!
素晴らしいもので、無実の罪を着せられて留置場に入れられる前に、法輪功のいかなるネガティブな情報も聞いた事がなく、接触した事もなく、まるで誰かが大法に対する中国共産党の悪魔化された宣伝と私とを故意に隔てていたかのようでした。しかしまた、字が書かれた1元札を受け取ったことがあり、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書かれていました。古いお札でしたが「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じた時、この字が非常に好きになったように感じたので、この1元札を大事にしまっておきました。ですから、大法弟子が伝える真相を聞くのも基本的に何の障碍もなく、聞いた事をほとんどそのまま信じました。毎日、最も楽しいことは「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、師父、こんにちは」と念じることで、念じれば念じるほど歓喜し、心のわだかまりが解けていきました。このようにして法輪大法と縁を結び、そして、心の中で「今生で法輪功を修めなければならない」と決心しました。
不思議なことは、大法を修めようと決心した時から、いつも誰かが大法の悪口を言うようになり、大法を修めるとこうなるとか、ああなるとか、さらには、刑務所に入れられる、などと言ってきたことでした。このようなことを聞かされても動揺せず、それどころか、心の中で「もし本当に刑務所に入れられるその日が来たら、必ず法輪功のために正義の声を上げるのだ」と思いました。
1カ月以上拘禁された後、証拠不足ということで、解放され家に帰されました。刑務所から出た後『轉法輪』という大法書籍を探そうと思いました。果てしない人の海の中で、どこに行けば大法弟子に会えるのかさえわかりませんでした。そこで、蓮華山に行ってそこにいるすべての神に拝み、本当の佛法に会えるよう導かれることを希望し「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と書いた短冊を木にかけて、巡り会えるように願いました。
1年間待ち探し続けていた中、ある日、偶然に機会が訪れ、1年に一度の全国芸術博覧センターの活動の参加に友達に誘われました。センターの会場に着くと、まるで誰かに導かれるかのように女性画家の隣にたどり着きました。留置場で大法弟子がこの女性画家のことを話していたことがあり、この女性画家は目見麗しく崇高なだけでなく、女性の内在的なつつましやかさと秀麗さを持っていることを大法弟子が強調していました。それで、私も興味を持ちこの女性画家の情報をインターネットで調べたことがあり、そのため、この女性画家の名前と容貌を覚えていました。この縁はこのように巧妙につながっていました。
その時、この女性画家が2008年の新年祝賀祭のDVDをくれました。祝賀祭を見終わった日の夜、自分が天に上った夢を見て、極彩色に輝く天宮、端麗な姿容の飛天、チューリップのように大きな金色のうどんげの花・・・今まで見た事のない宇宙のかなたの珍しい景色に、名残惜しくて帰ることを忘れてしまい、現在に至るまで、その景色は依然として昨日の事のように覚えています。
懇請の末、数日後、ついに『轉法輪』という貴重な書籍を受け取りました。その日は特別忙しく、家に帰った時はすでに夜の11時頃でした。洗面とうがいを済ませ、その貴重な書籍を手に取ったのは、ちょうど12時の時計の音が鳴った時でした。歓呼の声が周囲に響き—この日は2010年1月1日、新年でした。これは自分のための歓喜の叫びだと感じ、生命の新しいスタートがこの日から始まったのです。
私は『轉法輪』に引き込まれ、読めば読むほど魅了され、2日目の夜になり、もうすぐ読み終わる時になって、知らない間に寝てしまいました。肉体はすでに熟睡状態にありましたが、元神は非常にはっきりしていて、お腹の上に1列に並んだ三つの法輪が見え、扇風機のようにくるくる回転し、地色は白で、私は一度目が覚めましたが、眠っている時も法輪が回転しているのが見えました。
『轉法輪』を読み終わって、本の内容がなんと重いのかを深く知り、心の中の高ぶりと感慨は形容しがたく、今生きているのはこの法を見つけるためだったのだ、と思いました。まるで生々世々この法を探していたかのようでしたが、今日ついに見つけました! 遠い昔に世に下ってきた時の悲壮な情景が夢の中で再び現れ、万佛が世に下った時の揺るぎなさと悲壮さと偉大さは、人類の言葉を以って形容することは難しく・・・。
私を愛している父が私を平手打ちにした
法輪功を学び始めてから2カ月経たないうちに、家族にだまされて家に帰ると、大法を放棄するように迫られました。これは本当に大きな関でした!
小さい頃から、父親が大きな山のように感じていて、私にとって最も有力な助けでした。母親は体が良くなかったので、私たちの世話ができず、兄弟姉妹はほとんど父親の思いやりの中で成長したので、小さい頃から父親を思いやり、父親とおしゃべりしました。私の賢さと思いやりのために、家族の中で父親に一番かわいがられ、欲しいものはほとんど父親が私を満足させてくれ、もし父親が反対すれば我が侭(まま)は言わずに従っていたので、記憶にある限り、父親が私を叱ったことはほとんどありませんでした。
修煉した途端、初めて父親に叱られるとは、誰が予想したでしょうか、なんと、初めて父親に強く打たれ—掌でビンタされたのでした! 家族全員が私を理解せず、心の中に悲しみが自然とわき、それに悲憤に責められましたが、この時「一つの心が動かなければ、全ての変動を制することができる」[1]という師父のお言葉だけを覚えており、このお言葉を死守し、悲憤の加わった恨む心を強く押し付け、マイナス思考が生まれないようにすると「もし修煉を放棄したら、家族は永遠に希望を失うので、法の中で何も恐れずに歩み続けてはじめて、家族が救い済度される日があるのだ」と私の一面がはっきりと伝えていることがわかりました。
最も厳しかったのは、もう少しで家族に洗脳班に入れられてしまうところでした。というのも、私の決心が鈍らず、上手に出ても下手に出てもだめだったので、私が完全に魅了されてしまったのだと父親が思ったからです。さらに、邪に悟った人が人に理解できないことを起こしたりしたので、家族はさらに私を疑い、どこに行っても制限を受けたのです。この時は本当に師父が説かれた「百の苦一斉に降る」[2]を味わいました。私は両親の手で育てられた娘で、私の性格と品性は両親が最もよくわかっていました。さらに、母親はあんなに苦しい思いをし、世の中の冷たさと温かさを受けてはじめて、佛と菩薩のいつくしみを求めた結果、菩薩が私を授けました。母親は私を身ごもり、私の誕生は母親の生命に希望をもたらしたのですが、ずっとわからなかったことは、なんと、母親は今はそれをすべて忘れてしまい、理非曲直を問わず父親と同じ立場に立っていたことでした。
私が大法を修めていることに対する家族の態度と行動は、文化大革命時期の親子の反目や夫婦の仲たがい、肉親同士の殴り合いなどの悲惨な光景を理解させようとするものと同じでした。党文化に洗脳された後の人はみな事実となった物ごとの原因を理知的に精査できず、善悪の区別がつかず、中国共産党からの抑圧された一方的な話をただ信じていました。事実が目の前に並べられているにもかかわらず認めず、公正な言葉は通用しませんでした。そして、家族の態度は私の心を深く傷つけ--なにしろこのバラバラになってしまった家のために多くのことを費やし、あげくの果てに、私は自分の信仰の自由でさえも許されませんでした!
考え、判断した結果「大法を放棄することはできない」という結論を出しました。たとえどんなに難しくても、この大法を修煉しなければなりませんでした。そこで、心の中で家を出て行くことを計画し、家族がこのような態度を取るのであれば、未練などはなく、ただ修煉できさえすれば、外がどんなに雨風にさらされていようと構いませんでした。
恥を忍んで重責を担い、自分の責任を抱える
家を出て数日たたないうちに、母親が中風で入院し、父親は私のために初めて涙を流したと聞きました。「法輪功の修煉をしたいがために私が家のことでさえ顧みなくなり、両親の健康もまったく顧みなくなった」と家族に思われるわけにはいきませんでした。師父は「どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです」[3]と私たちに伝えられました。家族でさえ正せないのに、どうして人を救おうとする意欲が湧いてくるというのでしょうか! 私が大法を学ぶことに対して両親はずっと心配していたので、父親の願いを受け入れ、母親の世話をしに家に戻ることを決心しました。しかし「私は大法を堅く修めているが、無慈悲な人間ではなく、法輪功の修煉をして、さらによく変わった」ということを行動を以って両親に伝えなければなりません。さらに「法輪功の修煉をする者はもっと良い人で、法輪大法を修煉することは親類と友人にとって最大の光栄である」ということをも行動を以って証明しなければなりませんでした。
家に帰ると落ち着いてきて、さらに、アルバイトを探すとプライベートな空間ができ、24時間どこにでもあった家族の監視から逃れました。よい人になるよう師父が私たちに要求なさっていたので、どこにいても他人に恩恵を与えるべきだ、と思いました。そこで、以前持っていた論争する心を変え、言葉に代えて行動すると、家族との関係が微妙に改善しました。隣近所で手伝えることがあれば手伝い、どこかへ出入りする時はいつでもあいさつし、お年寄りの家で腹を割って話し、子供たちには善行を積み、目上の人を敬う道理がわかるように教え導きました。だんだんと、私はその地方でよい人として称賛されるようになり、両親の育て方が良かったのだと皆が羨ましがるようになり、礼儀正しくすすんで人を助ける子供だと羨ましがられました。それを聞いて、父親はとても嬉しくなりましたが、やはり私が修煉することには反対で、話し合う余地はありませんでした。
母親の体は次第に好転し、いつの間にか1年が過ぎました。父親は以前のようなとがった口調ではなくなりましたが、法輪功の修煉に対する態度は、日に日にさらにきつくなっていきました。
ある日、父親が私と話をしに来たのですが、私は長いこと父親と話をしておらず、法輪功の修煉を始めてから、以前のように腹を割って話さなくなりました。以前は父親と夜中まで話すと、寝ることさえも忘れていたのに・・・。私は声を出さずに「いずれ、あなたは私が以前よりさらに良くなったことに気づくでしょう」と思いました。父親はしばらく沈黙した後「わかっているか? お前にどのように接したらいいのか、家族全員が毎日考えており、私にはもうどうしようもない、だからもう行きなさい、ただし、安全にはくれぐれも注意するように・・・」と言ってくれ、それを聞いて、心の中で声に出せないほど喜び、うなずきました。
このようにして、堂々と修煉の道を歩み始めました。
弟も大法の修煉を始める
堂々と修煉を始めてから、弟と姪、さらには両親までもが、機縁の偶然の一致の下、私の所にやって来ました。大法の素晴らしさが私と同修たちを通して弟と姪、両親の心に少しずつ浸透し、党文化によって毒害された心を溶かしていきました。
弟が最も恩恵を受けました。私との関係で弟は他の同修と接触する機会があり、同修たちは様々な角度から大法の素晴らしさを話しました。すると、次第に大法に対する正常な認識を持つようになったので、しばらくして修煉の道に入ってきました。そして、今では大法に対して非常にきっぱりとしています。根基が良いので、大法に対する理解と認識が普通の新修煉者の認識を越えており、さらに、師父に慧眼を賜ったので、他の人の品性、人柄、性格が1目でわかり、私との前世での関係を夢で見ました。なんと、弟は過去の世において私の息子だったのです。どうりで弟に対する愛しがり方が母親のようで、弟をとても包容していました。弟が修煉すると、今までの固執したわがままで、怒りっぽく、感情的な個性が変わり、飲酒の悪習も改善し、両親を大いに慰めることになりました。今では親孝行の担当で、家の中の事をとてもうまく按排できるようになりました。小さい頃から私たちが大きくなるのを見て来たおねえさんに対して、父親は感慨深く「息子が変わったのは知っているが、こんなによく変わるなんて、これで安心できる」と言いました。
今では両親は、自分の子供がどれだけ親孝行なのかを人に会うたびに話し、今がどれだけ幸せなのかを話し、母親は私たちを見ると、すぐに幸せいっぱいの笑顔を浮かべます。今、家は裕福ではなく、生活はやはり厳しいのですが、精神面で生活は充足し、幸せで、中国のことわざ「家庭が平和であればすべてがうまくゆく」を私は信じます。
確かなことは、今、家では2人が煉功しており、それなら、佛光があまねく照らせばその結果は推して知るべし、ということでした。
兄一家もすべて変わった
兄は常に家族の悩みの種でした。ギャンブルが身に染み付いているだけでなく、いつも家族のものをちょろまかすのが好きで、外の人間には気前がよく、家族に対してはケチなので、いつもスズメの涙ほどの利益のために父親と激しく争っていました。さらに、兄が小さい頃、母親が何年も病気になり、家が貧しくてその日の食事にも事欠いていたのです。自活の道を探すために、父親は故郷から遠く離れた地方で苦労して自活の道を探さなければなりませんでした。その後、母親を連れて行ったので、兄1人だけが家に残され、孤児のように誰も関わらず、誰も相手にせず、いつも授業をサボり、父親の仕事が落ち着いて来た後になって、兄をそばに引き取りました。その間、兄がどれだけ苦しい思いをしたかは、推して知るべしでした。それ以降、両親に対する恨みの種がまかれたのでした。
さらに、私と妹、弟が生まれた時は、家の懐具合がどんどんよくなっていた時で、私たち3人は欲しいものはほとんどなんでもありました。さらに、弟は両親に大切にされて大きくなり、食べる物はおのずと家の中で最も良いものを与えられていました。それで兄の心はさらにバランスがとれなくなり、加えて、父親が激しやすい性格で、人への気遣いも極端で、利益を重く見ていたので、兄と父親の関係にはいつも緊張が走り、多くのトラブルの原因になっていました。
兄と兄嫁の関係も悪く、いつもお金のことでやかましく騒いでいるばかりで、自分の娘の成長には全く関心を示さず、甥と姪はこのような家庭の中で長い間生活していたために気が滅入り、このような温かみのない家から早く離れたいと思っていました。また、姪は自閉症になり、外の人と一切連絡を拒絶していたので、バスに乗るのにも迷子になるのではないか、と私はいつも心配していました。
姪を引き取った時、姪はまだ16歳でしたが、すでに憂鬱な顔に変わっていました。弟と一緒に常に励まし、大法の法理に基づいて姪の心を開きました。半年間の努力を経て、ついに正常に回復し、今では気力があふれ、活発になりました。ある時、姪が私をぎゅっと抱きしめ「おばさん、皆は私が不幸だと思っているけど、私がどれだけ幸せか、わかるわけがないわ」と言いました。今、姪は分別がつくようになったばかりでなく、自分で自分のことを行えるようになり、自分で学費を稼いで勉強し、家族に苦労させなくなりました。
甥が夏休みに私たちの所にやって来ました。家庭と社会の原因で、価値の傾向が捻じ曲げられ、この世界はお金がなければ問題を解決できず、お金がなければ何もなしえないと思い込み、正しい人生観がないために、インターネットゲームにはまって抜け出せなくなっていました。甥は頭はいいのですが、ずるい事ばかりを考えており、どこにいても利益のためにその聡明さを発揮し、他人に対して寛容でなく、家族に対する敵意までありました。
甥の身に起きた行き詰まった出来事を考慮しながら、弟と一緒にゆっくりと甥を導き、誠実さと、善良さと、忍耐こそ人が物事を行うにあたって従うべき原則と態度であることを伝えました。また、常に大法の素晴らしを伝え、私たち自らの言行で教え導いていくと、暖かな保護の下、甥の人生に対する態度はすぐに変わりました。今回、家に帰る前に、甥が私の所を離れたがらないと感じ、甥はこらえきれずに「少なくとも、自分が何をすべきなのかがここでわかりました!」と言いました。夏休みいっぱい、甥はよく言うことを聞き、まじめに絵を勉強し、インターネットのことも思い出しませんでした。私も弟も忙しく、甥と多くの時間関わることはできませんでした。しかし、甥はいつも静かに私たちを待っていてくれて、私たちと一緒にいる時の甥の気持ちは、落ち着いていると感じました。甥とのことで、師父の『オーストラリア法会での説法』での法「一人が煉功すれば、一家全員が受益すると私は言ったのではありませんか? 少なくとも、あなたが持っているエネルギー場は家族に有益なのです。なぜならば、あなたは正法を修煉しているから、持っている慈悲で和やかな力は全ての正しくない状態を正すことができます」を思い出しました。
そして、甥が帰った後、自分の子供の変化に兄は気づき、弟に電話し、自分が今まで行ってきた多くの事は間違っていたと多くのことを話し「今後は改め、家族のことを大切にしなければならず、両親を大切にしなければ・・・」と表明しました。
兄と話し終わって電話を切った後、弟がすぐに電話して来て、それを聞いて涙で声が出なくなり、弟も泣きながら喜び「姉さん、僕は今嬉しくて泣いているよ、さっき兄さんと話したんだ、兄さんとたくさん話した・・・ずっと待っていたんだ、今日のような日が来るのを、僕はひたすら待ち望んでいたんじゃないだろうか? 兄さんが変わることができれば、僕たち家族は仲良くなれる」と言いました。そこで、弟を慰めながら「これこそ佛光があまねく照らすということで、これは私たちが修煉していたからで、歴史上の恨みを師父が溶かしてくださったからこそ、今日があるのです!」と言いました。弟も同意しながら「そうだね、ありがとうございます、師父」と感謝しました。
師父は家族全員を加護してくださっている
「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[4]ということが、私たちにしばしば現れました。いつでも師父が加護してくださり、家族を加護してくださいました。
昨年、海南省で発生した大型台風では、建設が中止された建物が吹き倒されましたが、弟は海口市のちょうど風の当たる場所にある家で、自活の道を探していましたが、何事もありませんでした。というのも、ちょうどその日、荷物を一杯に積んだコンテナトラックが家の前に停まっていて、強風を遮ってくれたからです。
さらに今年、経営している農場の道を広げるために、父親が道路わきの草を燃やしていた時、火災が起こり、約千三百平方メートルの他人の森林を燃やしてしまいました。年取った父親が全力を尽くして消火しているのを、営林場の経営者が見つけました。父親は過度の疲労と煙を吸って肺病が再発してしまいました。営林場の経営者はそんな父親の体の情況をずっと心配し、賠償金も最も少なく、わずか千五百元だけで済みました。この結果は完全に私たちの予想外でした。そればかりではありませんでした。父親は肺病が再発して入院しました。このような状況では、一般的に肺がんに発展し、状況がきわめて危険らしいのですが、父親の場合、肺に少し炎症があった以外、基本的に何も問題はありませんでした。私と弟は「これは火災という苦境から、私たちを師父が解放してくださっただけでなく、父親に肺病という大きな関を乗り越えさせてくださったのだ」ということがわかりました。もし、師父のご加護がなければ、父親のこの関は想像できないものとなっていたでしょう。
今回の出来事を通じて、母親は大法と師父をとても信じるようになり、毎日心を込めて「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えるようになりました。
その日、弟は両親に、自分がすでに法輪功の修煉を始めていることを打ち明けました。すると、父親は始めは受け入れなかったので、弟が「父さんは以前の僕が良いの、それとも今の僕が良いの? 以前の僕が良いなら、ここで以前の僕に戻るけど・・・」と聞きました。父親は黙っていましたが、母親は「今のあなたがいいわ!」ときっぱりと言いました。
父親が母親を見て、弟と私は機嫌がよくなり、父親は自然と黙認しました。
ここ数年の修煉を回想すると、話さなければならないことは実に多いのですが、ひとまずはこれだけを書いて、慈悲で偉大なる師父にご報告申し上げ、それと同時に、同修の皆さんと交流したいと思います。師父の絶え間ないご加護に感謝します! 同修のみなさんの惜しまぬ応援と配慮に感謝します。私というこの新しい弟子を数年という短い間に、法を正す進展に追いつかせてくださり、1人の大法弟子として、自分の先史の大願をやりとげる機会を得られた事、これはこの上ない光栄です!
合掌
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇五年カナダ法会での説法」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)