【明慧日本2018年1月2日】黒竜江省チチハル市の法輪功学習者・武暁紅さんは、法輪功の修煉を堅持したため、2010年10月25日、文化路派出所の警官により不当に連行され、拷問を受け、その後、懲役7年の実刑判決を宣告された。
警官は武さんを地面に押さえつけ、鉄の椅子と背中合わせに腰掛けさせ、両手を鉄の椅子の穴に入れさせて手錠を掛け、両足を上げさせ、身体を宙に浮かさせ、時々両肩を力強く猛スピードで押さえ込んだ。痛めつけられて動けなくなった武さんに対して、王紅軍という警官は「どうだ! これでもまだ、黙っているつもりか!」と憎々しげに尋問した。
数人の警官が一斉に近づいて武さんの両足と両手を背中に回して縛り、太い木の棒に差し込み、武さんを担ぎ上げ、時々武さんの腰を強く押さえ込んだ。その時の武さんは死ぬほど辛かった。
留置場で囚人服の着用を拒否した武さんは、囚人らに殴られ、手錠と足かせを一緒に掛けられたままで放置され、終日痛くて寝れなかった。
下記は、武さん自らが受けた拷問の様子を語ったものである。
私はチチハル市の法輪功学習者・武暁紅であり、1997年に幸運にも法輪功の修煉を始め、「真・善・忍」に従ってより良い人を目指して身を持していた。1999年、江沢民集団が法輪功への迫害を始めたが、私は内心で法輪功の素晴らしさを知っており、修煉を堅持した。
2010年10月25日、私は店で仕事をしていた際、文化路派出所の警官らが店に押し入り、店舗を捜索し、お金やバッグ、鍵などを押収した。自宅の鍵を奪って私の家に駆けつけ、ドアを開けて中に押し入り、家宅捜索を行った。警官の暴行を目撃した夫の母親はすぐに心臓病を再発した。私は警官のパトカーに乗せられ、顔を覆われてある部屋に入れられ、鉄の椅子に座らされ、手錠を掛けられた。
当日夜、私は呼吸が苦しくなって、病院に運ばれ、注射などの救急手当を受けた。
派出所に戻った後、警官は私を地面に押さえつけ、鉄の椅子と背中合わせに腰掛けさせ、両手を鉄の椅子の穴に突っ込み、手錠を掛け、両足を上げさせ、身体を宙に浮かせ、時々両肩を力強く猛スピードで押さえ込んだ。目的は、私に他の学習者を裏切らせるための拷問であった。
「知らない。たとえ知っていても教えない。こんなところに、他の学習者を呼んで来るはずがない」と私は学習者を裏切ることを拒否した。
私は派出所で2日間にわたって2回も拷問され、2回とも病院に運ばれて救急手当を受けた。最も辛かった時に、地面に横になっていた私に、王紅軍という警官は「どうだ! これでもまだ、黙っているつもりか!」と憎々しげに尋問し続けた。
中国共産党による学習者への迫害方法:鉄の椅子 |
3日目、私はチチハル留置場に入れられた。留置場側は私の呼吸困難な様子を見て受け入れを拒否した。病院に運ばれて検査を受け、何か注射されてから留置場に入れられた。私は毎日煉功していたが、囚人らに殴られ、立ったままの姿勢を強いられた。
7、8日後、文化路派出所の警官4人がやって来て、私を尋問した。また数日後、4人の警官がやって来て、私の顔に何かを被せ、ある場所に運び部屋に入れ、鉄の椅子に座らせた。部屋の外には関係者の一団がいた。
そこで、610弁公室の主任は、私に法輪功の情報の提供を強要しようとした。
午後、数人の警官が一斉に近づいて来て、私の両足と両手を背中に回して縛り、太い木の棒に差し込み、私を担いで、時々私の腰を押さえ込んだ。私は全身が落ちそうになり、激しい痛みを感じた。この拷問で、他の学習者の名前と情報の提供をまた強いられた。
拷問のイメージ図:羊の丸焼き |
私は留置場に戻された。学習者の李瑶光さんと私は囚人服の着用を拒否したため、また一団の囚人らに殴られた。李さんは私への暴力を遮るため私の代わりに暴力を受けた。私達2人とも手錠、足かせを背中に回し嵌められて、終日痛くて寝れなかった。数日後やっと拷問の道具を解除された。
2011年1月26日、私を含めて5人の学習者は、建華区裁判所に実刑判決を宣告され、黒竜江省女子刑務所に入れられて引き続き迫害された。
中国共産党による拷問:手錠と足かせに繋がれ、背中に回し掛けられる |
黒竜江省女子刑務所で、私は9監区に入所させられ、そこで細い椅子に座るという拷問を受けた。
3日目から思想改造が始まった。法輪功を誹謗中傷するビデオを強制的に見せられたり、邪悪な理論を聞くことを強要された。私はずっとひどく弱ったままで不整脈もあった。このような思想改造の迫害が4カ月続けられたが、私はずっと法輪大法の信条を堅持した。
今年1月、6年間の迫害を経て、私はやっと解放された。帰宅してから現在まで、身体はまだ回復していないが、生計のために苦しいながらもアルバイトをしなければならない。